大白法1012号 令和元年9月1日より転載

御書解説230 背景と大意

上野殿御返事

御書824頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治元(一二七五)年五月三日、日蓮大聖人様が御年五十四歳の時、身延において認められた御書で、駿河国富士上野(静岡県富士宮市)の地頭・南条時光殿が、身延の大聖人様のもとへ御供養の品を届けられたことに対する返書です。
 御真蹟は現存しませんが、第二祖日興上人の写本が総本山大石寺に蔵されています。
 南条時光殿は、南条兵衛七郎殿の次男で、七歳の時に父を亡くしました。父の亡き後も、立派に信心を継ぎ、母親の訓育と直接の師である日興上人からの薫陶を受けられました。
 大聖人様が佐渡配流を赦免されたのち身延に入られると、母の上野殿尼御前と共に御供養の品々を届けられています。
 時光殿が賜った多くの御書を拝すると、大聖人様のもとに、定期的に御供養を届けられていたことが推察され、時光殿の水の流れるような不退の信心と、篤い外護の姿を知ることができます。

二、本抄の大意

 初めに、石のように固く干した芋の頭(里芋)一駄を御供養されたことに対する御礼を述べられます。
 次に、釈尊の弟子で十大弟子の一人である阿那律について述べられます。まず、阿那律は迦葉・舎利弗・目連・阿難と肩を並べる人であり、この人は師子頬王の第二王子・斛飯王の子で、釈尊の従兄弟に当たること、そして無貧・如意・無猟という三つの名があることを仰せられます。
 次に、阿那律の過去世の因縁について述べられます。すなわち、昔、飢饉の時に利●(咤−ウ)〈りだ〉尊者という辟支仏がおり、飢饉で七日間食べるものがなく困っていたところ、山里の猟師が稗の飯を供養した。これによって猟師は現世において長者となり、その後、九十一劫の間、人界と天上界に生を受け、今、斛飯王の太子として生まれた。太子は食に困ることがなく、後に阿羅漢となった。その眼は三千大千世界を一時に見ることができ、法華経の会座では普明如来の記別を与えられたと仰せられます。
 次に、妙楽大師の『文句記』の文を引かれ、たとえ粗末な稗の飯であっても、惜しむことなく、尊き人に供養すれば、その功徳によって勝れた果報を得ることができると教示されます。
 そして、身延の沢には石は多くあるが、芋の頭はないと述べられ、さらに今は夏の田植えの時期で人々も忙しく、また時光殿も大宮の造営の夫役〈ふえき〉で負担も大きくたいへんな中、身延の山中のことを思って芋の頭を送り届けてくれたことに感謝すると共に、亡き父のために御供養したその孝養の志を愛でられます。
 続いて、梵王・帝釈・日月・四天は法華経を持つ者の家を栖とすると誓っており、約束は違えないのが習いであるから、梵王等が仏前の誓いを違えることはないと仰せられます。
 最後に、もしこのことが本当になるならば、自身が大事と思う人がこの信仰を制止し、また大きな難が来るであろう。その時にこのことが叶うと信じて、さらに強盛に信心に励みなさい。そうすれば聖霊も仏となり、あなたを守護してくれると仰せられ、くれぐれも他人にこの信仰を制止されたならば、心に嬉しく思いなさいと諭されて、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

御供養の精神

 本抄において大聖人様は、阿那律の過去世における御供養とその果報について仰せられ、たとえ粗末な稗の飯であっても、御供養の対象である仏様が尊く勝れている故に、その果報もまた勝れることを御教示です。
 これについては『南条殿御返事』にも、
 「徳勝童子は仏に土の餅を奉りて、阿育大王と生まれて、南閻浮提を大体知行すと承り候。土の餅は物ならねども、仏のいみじく渡らせ給へば、かくいみじき報いを得たり」(御書 一五六九)
と仰せられています。
 また、時に適った御供養を心がけることの重要性について、他の御書には、
 「金多くして日本国の沙のごとくならば、誰かたからとして、はこのそこにおさむべき。餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば、誰か米の恩を重くせん」  (同 一二七一)
と仰せられ、さらに、
 「なつあつわたのこそで、冬かたびらをたびて候は、うれしき事なれども、ふゆのこそで、なつのかたびらにはすぎず。うへて候時のこがね、かっ(渇)せる時のごれう(御料)はうれしき事なれども、はんと水とにはすぎず。仏に土をまいらせて候人仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか」(同 一四三六)
と仰せられています。
 すなわち、夏に冬の厚綿の着物をいただくのも嬉しいが、夏用の薄手の着物をいただくには及ばない、また飢えや渇きに苦しむ時には、お金よりも米飯と水をいただくほうが命を保つには重要であるとされた上で、何の価値もない土の餅を仏に差し上げて成仏する者と、玉(宝石)を供養して地獄の業因を作る者との相異はここにあると教示されています。
 私たちは、常に御本尊に対する真心からの御供養、時に適った御供養を心がけ、成仏の功徳を積んでいくことが重要です。

真の孝養

 また、本抄において大聖人様は、
 「所詮はわがをやのわかれのをしさに、父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給ふにや、孝養の御心か。さる事なくば、梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給ひて候」
と、釈迦仏・法華経(御本尊)に御供養されたのは、孝養の心によるのであり、梵天・帝釈等の諸天善神は、そのような者を必ず守護すると仰せられて、亡き父のために御供養された時光殿を愛でられています。
 弘安三年三月八日の『上野殿御返事』には、
 「如来四十余年の説教は孝養ににたれども、その説いまだあらはれず、孝が中の不孝なるべし。(中略)わづかに六道をばはなれしめたれども、父母をば永不成仏の道に入れ給へり。(中略)父母の御孝養のために法華経を説き給ひしかば、宝浄世界の多宝仏も実の孝養の仏なりとほめ給ひ、十方の諸仏もあつまりて一切諸仏の中には孝養第一の仏なりと定め奉りき」(同 一四六三)
と、釈尊の四十余年の説教を「孝が中の不孝」であると仰せられ、父母の孝養のために一切衆生皆成仏道の法華経を説いたことにより、釈尊は真実の孝養の仏となられたと教示されています。
 また『刑部左衛門尉女房御返事』には、
 「父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし」(同 一五〇六)
と仰せられ、父母への真の孝養には、法華経を贈ること、すなわち末法今日においては下種の法華経たる南無妙法蓮華経をもって供養すべきことを御指南されています。

難来たるをもって安楽と心得べし

 また、本抄において大聖人様は、
 「わが大事とおもはん人々のせいし候。又おほきなる難来たるべし」
と、正法を信じ行ずるとき、親や子供など身近で大事な人々が信心の障害となることを仰せられ、また信仰に励み、正法を弘通するとき、世間からの様々な嫌がらせやそれを阻止しようとする難が起こることを教示されています。
 大聖人様が『兄弟抄』に、
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」 (同 九八六)
と仰せられ、また『御義口伝』に、
 「難来たるを以て安楽と意得べきなり」 (同 一七六三)
と仰せのように、大難が競い起こったときこそ、正法受持への確信と、過去世からの罪障を消滅できることへの喜びを持ち、いよいよ精進していくことが肝要です。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「私共が正法正義に基づいて信心に励み、折伏を行じていけば、様々な難が惹起し、正法流布を妨げることは必定であります。(中略)されども、この大難を打ち破らなければ、真の幸せを招来することは出来ないのであります。(中略)難を呼び起こし、その難を打ち破っていくところに、過去遠々劫からの罪障を消滅し、一生成仏を果たすことが出来ることを知るべきであります」(大日蓮 八七五号)
と御指南されています。
 私たちは、いかなる大難が競い起ころうとも、強盛なる信心をもって勤行・唱題、折伏に励み、諸天の守護を得てすべての障魔を打ち破っていくことが肝要です。
 そして、御本仏日蓮大聖人様の大恩に報いるためにも、さらなる折伏弘通に邁進し、令和三年の御命題を何としても達成してまいりましょう。


 次回は『撰時抄』(平成新編御書 八三四)の予定です


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