大白法1014号 令和元年10月1日より転載

御書解説231 背景と大意

撰時抄

御書834頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治元(一二七五)年六月十日、日蓮大聖人様が御年五十四歳の時、身延において認められた御書で、『撰時抄』の題号は大聖人様が自ら題されたものです。
 御真蹟は全百十紙のうち、百七紙が静岡県玉沢妙法華寺(日蓮宗)に現存し、残りの三紙は、二紙が京都府立本寺(日蓮宗)などの四ヵ所に分蔵され、一紙が欠損している状態です。
 身延山久遠寺(日蓮宗)には、かつて妙法華寺本とは別の御真蹟が蔵されていましたが、明治八(一八七五)年の大火で烏有〈うゆう〉に帰しています。
 第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、本抄を御書十大部の一つに選定されると共に、日興上人の外戚である、
 「駿河国西山由比某」(御書 一八七〇)
に与えられた御書であることを記されています。
 本抄は、その題号が示す通り、仏法ではまず時を知ることが肝要であると述べられ、釈尊の白法が隠没する末法今時は「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経」が広宣流布される時であることを明かされます。
 そして、その理由を、正・像・末の三時弘教の次第や念仏・禅・真言宗等への破折、御自身の三度の高名などを挙げて説明され、日本第一の法華経の行者である日蓮が「寿量品の南無妙法蓮華経」を末法に流布すると述べられて、弟子檀那に妙法五字の弘通を勧奨されています。
 総本山第二十六世日寛上人は『撰時抄愚記』に、本抄の抄題を通・別の両釈から、文通(撰は撰捨・撰取。時は正・像・末の三時)と意別(撰は撰取。時は末法)をもって釈されています。
 そして題号の本意は、正像二時を「撰捨」し、ただ末法の時を「撰取」することにあると教示されています。
 さらに、別して末法の時を撰取する本意に、一に必ず文底深秘の大法が広宣流布すること、二に大聖人様をもって下種の本尊とすべきことの両意があると示されています。
 また、題号の下に自署された「釈子日蓮述」の「釈子」について、
 「蓮祖は是れ本化の再誕なるが故に。(中略)蓮祖は能く法の邪正を糾したもうが故に。(中略)蓮祖は能く謗法を呵責したもうが故に。(中略)蓮祖は能く此の経を読持したもうが故に。(中略)蓮祖は即ち是れ本因妙の釈尊なるが故に」(御書文段 二九一)
と五義を挙げて釈され、外用の辺からは上行菩薩の再誕・法華経の行者としての「釈子」、内証の辺からは本因妙の釈尊としての「釈子」という本義があると釈されています。

二、本抄の大意

 大聖人様は本抄の冒頭、仏法を学ぶ方法について、まずは時を習うことが肝要と明示され、時を待った大通智勝仏や釈尊、弥勒菩薩などの事例を挙げて仏法の修行者は時を糾すべきであると説かれます。
 そして、寂滅道場(華厳経)において上根の大菩薩にも説かれなかった二乗作仏・久遠実成・即身成仏・一念三千(法華経)を霊山会上にて不孝・謗法の阿闍世王や提婆達多などに対して説かれたことを示し、それは衆生の機根の熟不熟によるのではなく、説示される時が至ったためであると明かされます。
 次いで、機根ではなく時を判断基準として説くべき道理を法華経や天台等の文証を挙げて説かれます。
 次に、いかなる時に法華経を説くべきかとの問いを設けられ、仏眼を借りて時機を考え、仏日〈ぶつにち〉をもって国を照らせと仰せられ、大集経の滅後における五箇の五百歳の経文を引かれます。
 まず大集経の教説に対する浄土教の曇鸞・道綽・善導の見解(末法では法華経は難行道、未有一人得者、千中無一等であり、浄土教が流布するとの主張)を批判すると共に、釈尊の白法が隠没する第五の五百年は、末法今時であることを経証を挙げて説明され、白法隠没の次に弘まるのは法華経の肝心たる南無妙法蓮華経であると説かれます。
 そして、末法における法華弘通には怨嫉が多く、法華経の行者を用いずに迫害する故に、天変地夭や前代未聞の大闘諍が起こり、その結果、一切の万民は頭を地に付け掌を合わせて南無妙法蓮華経と唱えるだろうと述べられ、法華経の流布の時が在世の八年と滅後末法の二度あることを教示されます。
 次に、先の大集経の五箇の五百歳によって、正像末の三時におけるインド・中国・日本の弘教の次第を詳述されます。
 まず、正法一千年(解脱堅固、禅定堅固)のインドの仏法と像法一千年(読誦多聞堅固、多造塔寺堅固)の中国、日本の仏法における弘通の次第を示されます。
 特に、像法八百年の時、日本に出生した伝教大師最澄が、南都六宗の碩学を屈服せしめ、比叡山に法華経の円頓戒壇を建立したことを挙げ、竜樹・天親・天台・妙楽にも勝れた聖人であると述べられます。
 次に、末法は闘諍堅固・白法隠没の経文の如く、一閻浮提に闘諍が起きているため、この時に上行菩薩が法華経の大白法(妙法蓮華経の五字)を日本乃至一閻浮提に広宣流布することは疑いなく、そうであるならば日蓮は日本国の人々の父母、師範、主君であると仰せられます。
 そして、この閻浮第一の法華経の行者を上下万民が迫害したので、正嘉の大地震や文永の大彗星という閻浮第一の大難が起きたのであると説かれます。
 続いて、最上の上機の竜樹・天親が出現した正法時代も、法華の淵底を極めた天台大師、円頓の大戒場を建立した伝教大師が出世した像法時代も、共に真の法華経流布の時ではなく、また正像二時の諸師は法華経の実義を宣説していないことを示して、正像二千年に未だ弘通されていない最大深秘の正法が、法華経の経文の面に現前であると明かされます。
 次に、それはどのような秘法かとの問いを設けられ、答えの前提として、まず三つ、禍いである念仏、禅、真言の三宗の邪義を挙げて破折されます。特に真言宗は念仏・禅の二宗以上の誤った宗旨であるとして、中国に真言三部経を渡した善無畏等や日本の真言宗の祖である弘法について詳説されます。
 そして、弘法が主張する「法華経は戯論、盗人、無明の辺域」との義は、一切経や大日三部経に説示のない義であること、法華経を醍醐味とするのは涅槃経によるもので、真言宗の者共は仏の明鏡(経典)に照らして自らが謗法であることを知るべきであると破折されます。
 次に、先の三宗よりも最大の悪事として真言勝法華劣の邪義を主張する慈覚を破折されます。
 また、安然が『教時諍論』(注1)に第一真言宗、第二禅宗、第三天台法華宗と判じて禅宗が日本に充満したこと、慧心が『往生要集』の序を著して念仏宗が興隆したことを挙げて、これらの叡山の先師は法華経を失う淵源にして、師子身中の虫であると指弾されます。
 さらに、伝教に背いた慈覚における理同事勝義と日輪を射た夢想に言及され、「依法不依人」を基本とすべきこと、そして真言亡国の現証を示されて破折されます。
 次いで、兆しが大きければ災難も甚大である道理から、日蓮に対する不軽菩薩や覚徳比丘にも過ぎる迫害により、仏滅後未曽有の地震や彗星が起きたこと、そして権大乗の阿弥陀経の題目が弘まった後に法華実経の題目が流布する道理から南無妙法蓮華経が広宣流布することは間違いないことを示して、弘通する日蓮は日本第一の法華経の行者であるとの確信を述べられます。
 また、災難の原因について、国主が亡国の法である禅・念仏・真言を用いたためであることを経証を引かれて説き明かされ、この三宗の元祖を三虫、天台宗の慈覚・安然・恵心(注2)を法華経と伝教の師子身中の三虫であると断じられます。
 そして、これらの大謗法の根源を糾弾したので天変地夭という最第一の瑞相が起きたのであるから、今、蒙古が襲来する時に、上下万民が南無妙法蓮華経と唱え、助けを請うことを思えば悦ばしきことである。しかし、たとえ日本の高僧たちが「南無日蓮聖人」と唱えようとしても「南無」だけで終わってしまうであろうことは、まことに気の毒なことであると仰せられます。
 次に、外典と内典に未来乃至三世を知る者を聖人というが、日蓮には「三度の高名」があるとして、文応元(一二六〇)年七月十六日に提出した『立正安国論』、文永八(一二七一)年九月十二日平左衛門尉頼綱への諌暁、文永十一年四月八日に平頼綱と会見した際の諌言を提示され、これらの的中はひとえに釈尊の教説による故であると述べられ、法華経の一念三千の大事の法門とはこのことであると教示されます。
 そして、末代悪世に少しの智解がなくても、三説超過の法華経を強盛に信じる者は、菩薩や論師人師にも勝れると説かれて、日本国の智人は衆星、法華経の行者日蓮は満月のように心得るべきことを説示されます。
 最後に、我が弟子らは身命を惜しまずに随力弘通し、また諸宗の謗法を破折するよう勧奨され、そうすれば必ず釈迦・多宝、十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩、諸天等の加護があることを述べられて、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

時を知る

 大聖人様は本抄の冒頭に、
 「夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」
と、宗旨を決定する上で、まず時を知ることが絶対不可欠であると教示されています。
 これは、正・像・末の各時代の相違を把握し、時に適った正しい教えによってこそ、私たちの成仏が叶うためです。
 故に本抄には、「時」と「機」の関係について、
 「寂滅道場の砌には(中略)即身成仏・一念三千の肝心其の義を宣べ給はず。此等は偏にこれ機は有りしかども時の来たらざればのべさせ給はず」と、「時」を「機」に優先させることを明確に示され、また、
 「せんずるところ機にはよらず、時いたらざればいかにもとかせ給はぬにや」
と、人々の機根の上下や善悪によって論ずるのではなく、時によって論ずるべきことを教えられ、さらには、
 「されば機に随って法を説くと申すは大なる僻見なり」
と決判されているのです。
 日寛上人は『法華取要抄文段』に、
 「時を知るとは、具には撰時抄の如し。今、一言を以て之を示さん。末法今時は本門三箇の秘法広宣流布の時なり。当に知るべし、今末法に入り小大・権実・顕密共に皆悉く滅尽す」(御書文段五三五)
と、末法とは後五百歳、すなわち白法隠没の時であるため、釈尊が説かれた小乗・大乗、権教・実教、顕教・密教等の教えには一切衆生救済の力がなくなる時であることを教示されています。
 したがって、正法・像法・末法の各時代の違いを正しく知り、今末法の時代は三大秘法が広宣流布すべき時であることを知ることが、「時を知る」ことなのです。

三度の高名

 三度にわたる高名とは、大聖人様が幕府要人に三回にわたり諌言した際の予言(自界叛逆難と他国侵逼難)が、文永九年の二月騒動(自界叛逆難)と、文永十一年の文永の役(他国侵逼難)として現実となったことを言います。
 一度目は、文応元年七月十六日、国主諌暁の書である『立正安国論』を前執権・北条時頼(最明寺入道)に宿屋左衛門入道を介して提出したことです。
 具体的には、提出する際、仲介者の宿屋入道に対して、念仏・禅等の邪義邪宗を禁止せよとの言葉を用いなければ自界叛逆難・他国侵逼難の二難が必ず惹起する、との申し継ぎを依頼したことを言います。
 二度目は、文永八年九月十二日、鎌倉松葉ヶ谷の草庵に大聖人様を捕縛するために来た侍所所司・平左衛門尉頼綱に対し、日本国の棟梁・柱である日蓮を失うならば、同士討ち(自界叛逆難)や他国による殺戮(他国侵逼難)が必ず起きると諌言し、そして念仏・禅等の諸宗寺院を焼き払わなければ、日本国は必ず滅亡すると断言したことを言います。
 三度目は、佐渡配流の赦免直後の文永十一年四月八日、配流地の佐渡から鎌倉に戻り、再度、平左衛門尉頼綱等と対面した際に、念仏・禅等の邪教の中でも、特に日本国にとって最大の禍いの根源は真言宗であり、その悪法によって蒙古調伏を祈祷させるようなことがあれば亡国が早まると忠言し、必ず今年中に蒙古国の襲来があると言明されたことを言います。
 なお、この自界叛逆難と他国侵逼難の的中を、大聖人様は『別当御房御返事』に、
 「閻浮第一の高名なり」(御書 七二九)
とも仰せられています。

四、結び

 大聖人様は本抄において、今末法は一閻浮提に妙法蓮華経の五字が広宣流布すべき時であると教示されています。
 御法主日如上人猊下は、
 「広宣流布は必ず達成すると仰せでありますが、しかし、広宣流布は我々の努力なしでは達成することはできません。そこに今、我々が大聖人様の弟子檀那として、一切衆生救済の慈悲行である折伏をなすべき大事な使命があり、責務が存していることを知らなければなりません。そして、その使命と責務を果たしていくところに、我ら自身もまた広大なる御仏智を被り、計り知れない大きな功徳を享受することができるのであります」 (大白法 八九七号)
と御指南されています。
 本宗僧俗は、心身共に御本仏大聖人様の弟子檀那、すなわち真の仏子であることを自覚し、令和三年の御命題達成に向け、異体同心して、いよいよ折伏弘通に邁進してまいりましょう。


  次回は『三三蔵祈雨事』(平成新編御書 八七三)の予定です

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(注1)正しくは『教時諍』(大正蔵75巻362頁a26行目)。大正蔵では、『教時諍論』と『教時諍』は別の文献。
(注2)本稿中、「慧心」と「恵心」の両表記があるが、同一人物。

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