大白法1024号 令和2年3月1日より転載

御書解説224 背景と大意

大学三郎殿御書

御書884頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治元(一二七五)年七月二日、大聖人様が御年五十四歳の時、身延おいて認められ、鎌倉の大学三郎殿に与えられた御消息です。御真蹟は、千葉県松戸市平賀の本土寺(日蓮宗)に現存しています。
 本抄は、末尾に「七月二日」とあるのみで、系年の明確な記述はありません。しかし、御花押の形態や御筆跡が『高橋入道殿御返事』と酷似していることから建治元年と同時期の御述作と推定されています。
 対告衆の大学三郎殿は、姓は比企、諱は能本〈よしもと〉で、正式には比企大学三郎能本といいます。京都で儒学を習学し、順徳天皇に仕えましたが、後に鎌倉へ下り、儒官として幕府に用いられました。
 大聖人様は、文応元(一二六〇)年七月十六日、『立正安国論』を北条時頼に提出されるに当たり、あらかじめ大学三郎殿に見せられています。これが縁となって大学三郎殿は大聖人様に帰依しています。以後、諸御書の中にもその名が散見されます。
 弘安元(一二七八)年と推定される『大学殿事』には、
 「大がくと申す人は、ふつうの人にはにず、日蓮が御かんきの時身をすてかたうど(方人)して候ひし人なり。此の仰せは城殿の御計らひなり。城殿と大がく殿は知音〈ちいん〉にてをはし候。其の故は大がく殿は坂東第一の御てかき、城介〈じょうのすけ〉殿は御てをこのまるゝ人なり」(御書 一三二四)
とあり、大学三郎殿が竜口法難の時に身命を捨てて味方をしたこと、幕府内で重きをなした城介安達景盛と知音(よき理解者)であったこと、さらには坂東一と言われるほど能筆家として登用されていたことなどが伺えます。

二、本抄の大意

 初めに、外道は天界・人界・畜生界の三善道を明かし、餓鬼の有無を論じるが、地獄道については言及していないことを述べられます。
 次に、小乗経に依憑する倶舎・成実・律の三宗は六道の因果を明かすが、四聖については明らかにしていないことを述べられます。
 次いで、三論宗は天台宗以前に天竺(インド)から中国に伝わったが、八界を立て十界を説かないこと。法相宗は天竺で興り、天台以後、中国に渡ったが、同じく八界を立てた上、五性各別の義を立てて無性有情は成仏できないとしており、これらは外道の教えとほぼ同じであると述べられます。
 次に、華厳・真言の両宗は、天台宗以後の宗で、華厳宗は唐の則天皇后の時に立てられ、真言宗は玄宗皇帝の時に善無畏に渡したが、天竺に真言宗の名はなく、善無畏が天竺の宗と偽称したことを述べられます。そして華厳・真言の二宗は天台大師の義を盗んで自身の義としたと指摘されます。
 続く、法華経以外の華厳経・大集経・般若経・大日経・深密経等の大乗経は小衍相対(大小相対)をもって勝劣を判釈するが、法華経は已今当の三説(法華経は三説超過の教え)をもって判釈すること。天台以前の諸師は、法華経等の一切の大乗経を小衍相対をもって判釈する故に、王臣の差別がなく、上下を混同する愚癡の失があること。天台以後、諸宗は小衍相対の上に権実相対を定めるなど、天台の義を盗み取ったことを明かされます。
 次いで、天台の学者は真言の説に誑惑され、それをことごとく実義であると思い込み、法華経は民の万言、大日経は王の一言などと言う始末であることを述べられ、さらに善無畏三蔵の理同事勝(法華経と大日経とは教理は同じであるが、事相の用きにおいては大日経が勝れているとする義)の主張が第一謬言であることを指摘されます。
 そして日蓮が、論師・人師の添言(恣意的に添えた言葉)を捨てて、もっぱら経文に基づいて考えるに、大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品は、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩乗と仏乗の四乗を説くけれども、その中の大乗の菩薩乗は三蔵経で説く三阿僧祇劫の間修行した菩薩に過ぎず、仏乗も実大乗の菩薩に過ぎないと指摘され、所詮、大日経は法華経に及ばないばかりか、華厳経・般若経にも劣り、ただ阿含と方等の二経と同じであると述べられ、大日経の極理は、いまだ天台所説の別教や通教の極理にも及ばないと論破されます。
 また、日本真言宗の開祖・弘法は、入唐して三年間、真言の秘教を学習し帰朝の後、『十住心論』『顕密二教論』を著して世間に流布させたが、この二論の中で、釈迦牟尼仏と大日如来の二仏の所説の勝劣を比較して、第一大日経・第二華厳経・第三法華経との義を立てたこと。華厳経が法華経に勝るという説は、中国の南三北七の学者の説であり、華厳宗の義であることを仰せられ、南北の諸師並びに弘法は、無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ない愚人であると喝破されます。
 そして、仏は既に明確に華厳経と無量義経との勝劣を説かれているのに、なぜ釈尊の聖言を捨て、南北の凡夫の謬見につくのか。その遠因を察するに、大日経と法華経との勝劣を知らないからであると仰せられ、大日経には「四十余年」や「已今当」の文がないこと。さらに二乗作仏も久遠実成も説かれないことを示され、大日経と法華経の勝劣は、民と王、石と珠との勝劣があると破折されます。
 さらに天台の学僧・安然は、華厳経と法華経との勝劣は明らかにしているようであるが、法華経と大日経との勝劣については暗いこと。また、慈覚は本来、伝教大師に教えを受けたにもかかわらず、入唐の間に真言宗の人々に誑惑されて理同事勝を言うようになったことを挙げて、これらの主張は善無畏の僻見を出ないと台密の経緯と誤りを指摘されます。
 次いで、日蓮は彼らの主張の疑義を正しているが、日蓮を卑しみ、下す当世の学者等はそれを用いないと、その愚かさを嘆かれます。そして、たとい三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戎等の諸戒を固く持つ比丘・比丘尼等でも、愚癡の失によって小乗経を大乗経と思い、また権大乗経を実大乗経と執する謬義を生ずれば、大妄語・大殺生・大偸盗等の大逆罪の者となるのであり、愚人はこれを知らずに智者と尊むと仰せられます。
 そして最後に、たとえ世間の諸戒を破る者でも、大乗と小乗、権経と実経等の勝劣を弁えるならば、世間における破戒は、仏法における持戒となると仰せられ、涅槃経の「戒に於て緩なる者を名づけて緩と為さず、乗に於て緩なる者を乃ち名づけて緩と為す」の文と、『法華経見宝塔品』の「是を持戒と名づく」との文を引かれ、小乗等の戒律を持つ者に付き従わず、実大乗の法華経を持つ大聖人様の教えを信じることの大事を述べられて、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

持戒の真義

 大聖人様は本抄において、
 「設ひ世間の諸戒之を破る者なりとも堅く大小・権実等の経を弁えば世間の破戒は仏法の持戒なり」
と、持戒の真義を明かされています。
 「世間の戒」は、一般的な良識に基づいて守るべき道徳律や法律等として示されます。しかし、その見識がどれほど真理に通じているかによって内容に違いが生じ、時には表面的な事柄や私情にとらわれて、本質を見誤る場合もあるかも知れません。
 それに対して、「仏法の戒」は、過去・現在・未来の三世を了達された仏の教法による戒であり、真理に則する教えを持ち実践することを意味しています。
 世間法の上からは戒を破ってしまったような人であっても、教法の勝劣浅深を弁える者、すなわち五重相対(内外相対・大小相対・権実相対・本迹相待・種脱相対)等の教判をもって正法を選び取り、その正法を受持信行する者は、仏法上は持戒の者として仏道を成ずることができるのです。
 総本山第六十六世日達上人は、
 「乗に緩なるを許さず 汝は今一介の勤息なれど 地涌の眷属たるを惟〈おも〉いて 努めよ励めよ」(日達上人全集一輯一巻巻頭写真)と御本仏・日蓮大聖人様の三大秘法を信じ、師弟相対の筋目を忽せにせず、地涌の菩薩の眷属としての自覚と使命を持って精進すべきことを御指南されています。

四、結び

 御法主日如上人貌下は、。
  「大聖人様が、念仏に対して無間地獄に堕ちると喝破し、禅宗や真言宗、あるいは律宗に対して厳しく破折されているのは、一見すると強言、強くて荒々しい言葉のようではありますが、実には相手を思い、幸せの境界に導くための慈悲の言葉であって、けっして強言ではなく、これこそ真実の言葉、すなわち相手を思いやる折伏の精神が存しているのであります。そもそも、折伏は相手の幸せを願う慈悲行であります。そして、私どもが折伏に対する心得として、まず持つべきものは、この慈悲の心と、真の勇気と、大御本尊様に対する絶対の確信、この三つであります」(大白法 一〇〇二号)
と、御指南されています。この御指南を肝に銘じて真の異体同心の団結をもって勇躍前進してまいりましょう。

  次回は『四条金吾殿御返事』(平成新編御書 八九二)の予定です

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