大白法1042号 令和2年12月1日より転載

御書解説242 背景と大意

上行菩薩結要付嘱口伝

御書939頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治元(一二七五)年、日蓮大聖人様が御年五十四歳の時、身延において認められた御書です。御真蹟は現存せず、写本として『本満寺録外』が伝えられています。
 対告衆も御述作の年月日も不詳ですが、本抄の後半は、建治元年六月十日御述作の『撰時抄』の御文の趣意、もしくは類似の文であることが判ります。
 題号が示すように本抄は、釈尊が法華経『如来神力品第二十一』で、法華経の肝要を四つの大事(四句の要法)に括って、上行等の地涌の菩薩に付嘱し、滅後末法の弘経を委ねた、結要付嘱についての口伝を記されたものです。

二、本抄の大意

 本抄は前後二段からなります。前半は、地涌の菩薩の上首である上行菩薩への結要付嘱を、法華経の経文及び天台・妙楽等の疏釈をもって説示され、後半は三時弘経の次第を示して時を知るべきことを説くと共に、末法は聖人が出現して法華経を流布すべき時に当たると明かされます。
 まず地涌の菩薩が出現する先序の経文が示されます。
 初めに『宝塔品』の宝塔涌現の文を挙げ、次いで同品の「三箇の勅宣」の文、すなわち釈尊が滅後の弘経を募り、その誓願を勧め、さらにこの経をしばらくも持つ者は諸仏が讃められるとの文が示されます。
 続いて『勧持品』の、迹化の菩薩である薬王菩薩等が滅後の弘経を誓願し、また授記を得た五百の阿羅漢や学無学の八千人が他の国土における弘経を誓願した文を挙げられます。さらに、釈尊より黙命を受けた八十万億那由他の菩薩が、「未来の悪世末法において法華経を弘通する者は、『悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん』『悪口して顰蹙し数々擯出せられん』など、様々な大難に値う」と予言した文を示し、天台が『法華文句』で、この文を俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖増上慢の三類の強敵に分類し、中でも僣聖増上慢の罪が最も甚だしいと釈した文を引かれます。
 次いで、『従地涌出品第十五』の、他方の菩薩が仏の滅後に裟婆世界における弘経を請願したことに対し、釈尊がそれを制止し、地涌の菩薩が弘経することを明かした文、及び『嘱累品第二十二』の「総付嘱」の文、すなわち釈尊が三たび無量の菩薩の頂を摩でて付嘱した「摩頂付嘱」の文を挙げられます。
 その上で、前の『涌出品』の文に対する『法華文句』の解釈、つまり釈尊が他方の菩薩の滅後弘経を制止した理由の三義と、地涌の菩薩を出された理由の三義の「前三後三」の文を示されます。さらに、妙楽大師の『法華文句記』の文を引用されます。
 次に、『如来神力品第二十一』において釈尊から上行菩薩への結要付嘱の依文となる部分を、天台大師が『法華文句巻十』に「結要勧持に四」として、称歎・結要・正勧・釈勧〈しゃっかん〉付嘱の四つに分けて釈した部分を図示されます。
 そして、『法華文句』の結要付嘱の四句の要法の釈として、@「如来の一切の所有の法」とは、一切法は皆仏法であることから一切が皆妙の名であることを表わし、A「如来の一切の自在の神力」とは、一切の神力は通達無碍にして八自在を具すことから妙の用であることを表わし、B「如来の一切の秘要の蔵」とは、一切処に遍満するのは皆実相であるから妙体であることを表わし、C「如来の一切の甚深の事」とは、因縁は深事であり妙宗を表わし、「皆此の経に於て宣示顕説す」とは、総じて法華経の一経を結すればこの四句となるので、その枢柄〈すうへい〉を取って上行菩薩に授与したとの文を挙げ、さらに『法華文句輔正記』の「法が久成の法である故に久成の人に付嘱する」との文を示されます。
 そして、前半の最後には、『嘱累品第二十二』の科段を図示されています。
 次に、後半においては、まず大集経の五箇の五百歳を図示し、以下の展開に当てられています。
 そして、釈尊から法を伝持した付法蔵の正師の名を挙げ、始めの五百年は小乗経を正とし、解脱堅固に当たること。正法の後の五百年は馬鳴・竜樹等の人々が諸大乗経をもって小乗経等を破失したが、権大乗と法華経との勝劣は未だ明らかではなかったとし、これを禅定堅固の時に当たると述べられます。
 次に、像法に入って四百年に、天台大師が出て、当時流行していた南三北七の邪義を破したとして、これは多聞堅固の時に当たると示されます。さらに像法八百年には、伝教大師が日本に出て南都六宗の義を責め伏せたが、伝教大師以後は東寺・園城寺等の諸寺が真言宗は天台宗に勝れると主張したことを示し、これは多造塔寺堅固の時に当たると述べられます。
 そして、今末法に入って仏滅後二千二百二十余年には聖人が出世することを明かし、これは大集経の闘諍言訟・白法隠没の時に当たると述べられます。
 続いて、法華経流布の時は二度あり、釈尊在世の八年間と、末法の初めの五百年であると示されます。
 最後に、仏法を学ぶには必ず時を知るべきであると示されます。その例として、大通智勝仏は出世して十小劫が間、一偈をも説かれなかったこと、また今の釈尊も四十余年の間は法華経を説かれなかったとして、『方便品第二』の「説時未だ至らざるが故なり」の文を挙げられます。
 そして重ねて、仏法を修行する人々は時を知るべきであるとして、『薬王菩薩本事品第二十三』の「我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」の文を引用し、末法に大聖人様の下種仏法が広宣流布することは明らかであると述べ、本抄を終えられています。

三、拝読のポイント

別付嘱と総付嘱

 法華経は霊鷲会(霊山会)・虚空会・霊鷲会の二処三会で説かれましたが、上行菩薩等への結要付嘱は、このうち『宝塔品第十一』から『神力品第二十一』に至る虚空会の儀式中になされました。
 『宝塔品』では、釈尊が募った滅後における弘経に、迹化や他方の菩薩が応じましたが、釈尊は「止みね善男子」と言って、これを制止されました。そして、大地より涌出した本化・地涌の菩薩に対し、『神力品第二十一』において、『寿量品第十六』で説き顕わした内証の法体を、多宝塔中において「四句の要法」に括って付嘱されました。これを「結要付嘱」といい、上行菩薩を上首とする本化・地涌の菩薩に限った付嘱であることから「別付嘱」といいます。
 続く『嘱累品第二十二』では、本化・迹化の無量の菩薩等に対し、塔外において総じて法華経を付嘱されました。これを「総付嘱」といいます。
 『嘱累品』の総付嘱について、『曽谷入道殿許御書』(御書七八五)によれば、広・略・要の法華経のうち、要法以外の法華経及び、法華経の前後に説かれた一切経を、法華経一経に括って会座の一切の菩薩に付嘱されたことが示されています。
 この総付嘱に基づいて、釈尊入滅後の時と機に応じ、正法の初め五百年には迦葉・阿難等が小乗経を弘め、正法の後の五百年には竜樹・天親等が諸大乗経を弘め、像法に入っては天台・伝教等が法華経を弘めました。
 釈尊が迹化の菩薩等へなされた総付嘱は、正法・像法時代の弘通を許されたもので、末法の弘通を許されたものではありません。末法においては、『神力品』で別付嘱(結要付嘱)を受けた上行菩薩が出現して法華経を弘通されるのです。

結要付嘱

 大聖人様は『観心本尊抄』に、
 「所詮迹化・他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止めて、地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたまふ」(御書 六五七)
と、『神力品』で釈尊が上行菩薩に結要付嘱されたのは、『寿量品』の肝心たる妙法蓮華経の五字であると仰せられています。
 総本山第二十六世日寛上人は『依義判文抄』(六巻抄一〇一)に、称歎・結要・正勧・釈勧の四付嘱について、称歎付嘱は付嘱する法体である本門の本尊の称歎であり、結要付嘱は本尊付嘱、正勧付嘱は題目付嘱、釈勧付嘱は戒壇勧奨であると述べられ、結要付嘱の法体は、三大秘法総在の本門の本尊であると教示されています。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「仏法に生きる者は折伏が自らの使命であるということを知って、その使命に生きなさいということであり、我々法華講衆は、特に今日、仏の使いとして仏の事を行じていく尊い使命を帯びているということを知って、そして、その使命に生きていくべきであるということであります」(大白法 七〇〇号)
と御指南されています。
 本宗僧俗は、地涌の菩薩の眷属としての使命を忘れることなく、広宣流布実現に向け、一層精進していくことが肝要です。

  次回は『南条殿御返事』(平成新編御書 九四八)の予定です

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