大白法1050号 令和3年3月1日より転載

御書解説243 背景と大意

南条殿御返事

御書948頁 別名初春書

一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年一月十九日、大聖人様が御年五十五歳の時、身延において認められ、南条時光殿に与えられた御消息で、「初春書」との別名があります。御真蹟は明治八年の身延の大火で消失しましたが、第二祖日興上人の写本が総本山大石寺に現存しています。
 本抄は、時光殿の御供養に対する返信で、御供養の功徳によって、亡き父への追善ばかりか、時光殿自身が現世に大果報を得られると述べられています。
 系年については、御真蹟に正月十九日とのみあって年号の記載はありません。しかし、日興上人の写本に「建治二年到来」と記されていることから、建治二年の御述作であることが判ります。
 身延入山後の大聖人様に対する御供養は、檀越中、時光殿が随一であり、継続して定期的に御供養されていたことが判っています。このことからも、時光殿の水の流れるような不退の信心と、篤い外護の姿を知ることができます。

二、本抄の大意

 初めに、新春早々、餅七十枚、酒一筒、芋一駄、河のり一紙袋、大根二把、山の芋七本等を御供養されたことに対して御礼を述べられます。そして、時光殿の真心のこもった志がそれら種々の物に表われていると讃歎されます。
 次に、法華経の『普賢菩薩勧発品』の「願いは必ず叶い、また現世においてその果報を得る」(法華経606)との経文、同品の「まさに現世において現実の果報を得ることができる」(同)との経文を挙げられて現世における果報を示され、続いて天台大師の『法華文句』にある「天子の一言には虚妄はない」(文会中382)「法王に虚言はない」(同)等の釈を挙げられ、また賢王となった人は、たとえ身を滅ぼすようなことがあっても虚言はしないことを示されます。
 言うまでもなく、釈迦如来は過去世に普明王〈ふみょう〉としておられた時、班足王〈はんぞく〉との約束を守り、殺されると判っていながら、正直に班足王の館に帰られたが、これは普明王が不妄語戒を持たれていたが故であること。また過去世に迦梨王〈かり〉としておられた時は、実語の少ない人と大妄語の人は地獄に堕ちると仰せられていたことを挙げ、まして、法華経には仏自ら「要ず当に真実を説く」(方便品・法華経93)と、日・月・衆星が並ぶように多宝仏や十方の諸仏が参集された座で説かれたのであるから(序品・法華経57・文句・文会上268)、法華経に虚言があるならば人は何を信じられようか、と仰せられます。
 そして、この真実を説く法華経に一華一香でも供養する人は、過去世に十万億の仏を供養した人であると述べられ、また釈迦如来の滅後、末法において世が乱れた時代に、王臣と万民の心が一つになって一人の法華経の行者に迫害を加えようとする時の状況は、あたかも干ばつのわずかな水の中に棲む魚のようであり、また大勢の人間に囲まれた鹿のようであるのに、一人でこの行者を助けに訪ねてくる人は、生身の教主釈尊を一劫の間、身・口・意の三業相応して御供養し奉るよりも、なお功徳が勝れていることは如来の金言より明らかであると、御供養の功徳の大なることを御教示されます。
 そして、日が赫々と照り月が明々と輝くように、法華経の文字は赫々明々であること。また明々赫々の明鏡に顔を映し、澄んだ水に月の影が浮かぶように明らかであると、その功徳の大なることを重ねて述べられます。
 そして、それならば、「現世にその福報を得る」という如来の勅宣や、「必ず現世に現実の果報を得る」という経文が、七郎次郎(時光)殿に限って空しいはずがあろうか。日が西より昇るような世、月が大地から出るような時になったとしても、仏の御言葉に虚言はないと定められているのである。これをもって推し量れば、供養の功徳は亡くなられた慈父・南条兵衛七郎殿の聖霊が教主釈尊の御前においでになり、檀那である時光殿もまた、現世に大果報を招くことは疑いないと述べられて、本抄を終えられています。

三、拝読のポイント

 仏の説に虚妄なし

 本抄において大聖人様は、時光殿の真心からの御供養の功徳を述べられるに当たり、法華経『普賢菩薩勧発品』の経文や天台大師の釈を挙げられ、法華経の経文には絶対に嘘がないことを示され、また仏の御言葉には一切虚妄がないことの例証として、釈尊の過去世における普明王の振る舞いを挙げられています。
 すなわち、釈尊が過去世において普明王と称していた時のこと。ある日、園林へ遊行のため城門を出ようとした時、一人の婆羅門から布施を請われた。王は「私か帰城したら、必ずあなたに布施いたします」と言って出かけた。その遊行の最中、普明王は班足王に捕らえられてしまった。班足王は、ある邪師の言を聞いて、千の王の首を得ようとし、すでに九百九十九人の王を捕らえていた。ちょうど千人目が普明王だった。普明王は嘆息し、「私は死ぬのが怖くて嘆くのではない。ただ嘘をつくことが残念なのだ。私は城を出る時、一人の婆羅門と会い、布施することを約束した」と、その心情を吐露した。
 班足王は、普明王に一週間の猶予を与えた。普明王は城へ帰ると、その婆羅門はもとより、国中の多くの修行僧を集めて供養した。
 そのあと、普明王は位を太子に譲り、周囲が止めるのも聞かず、「自分は約束を果たす」と言って、再び班足王のもとに赴いた。
 班足王は普明王の正直なる振る舞いに大いに歓喜し、「あなたは実語の人だ。本当の大人である」と讃嘆し、普明王のみならず、他の九百九十九人の王を許すと共に、自らも正法に帰依したということです(本生譚)(仁王般若経・大正蔵8-830a・国訳釈経論部05下326)。
 これは、大聖人様が仰せのように、普明王が不妄語戒を持っていたことを示すものです。
 普明王は、その正直な生き方に命を賭けましたが、法華経は釈尊自ら、
 「世尊は法久しうして後 要ず当に真実 を説きたもうべし」(法華経 九三)
と、爾前権経で明かさなかった一念三千の真実の教えを説き明かした実大乗経です。
 しかも、その会座に来至した多宝如来は、
 「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」(同 三三六)
と述べ、十方の諸仏は広長舌相をもって法華経が真実であることを証明しています。
 大聖人様は本抄において、もし法華経に偽りがあるとしたならば、人は何を真実として信じたらよいのであろうかと述べられ、その後、法華経の行者を供養する功徳がいかに広大であるかを示されて、法華経の経文が時光殿に限って虚妄になるわけはないと、激励されています。

 私たちは宿縁深厚の身

 本抄において大聖人様は、末法に法華経の行者を御供養する功徳がいかに広大であるかを、法華経『法師品』の文を挙げて説示され、南条時光父子の現当二世に亘る功徳を讃歎されています。その『法師品』には、
 「已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所〈みもと〉に於て、大願を成就して、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ずるなり」(同 三一九)
と説かれています。
 末法において大聖人様の門下として、下種仏法を受持し、一華一香をも御供養することができる私たちは、宿縁深厚の身であることを確信すべきです。
 さらに大聖人様は、濁世末法において、あらゆる人々が法華経の行者を憎み、迫害している時に、一人立ち上がって法華経の行者を御供養する功徳は、教主釈尊を御供養する功徳よりもはるかに大きいことを仰せです。
 末法の法華経の行者とは、正しく御本仏日蓮大聖人様の御事です。
 弘安四(一二八一)年九月の『南条殿御返事』にも、
 「釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給ひて候」(御書 一五六九)
と、本抄と同様の御指南が拝されます。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、かつて御供養の功徳について、
 「たとえ砂の餅でも、真心から仏様に御供養された功徳はまことに大きく、(中略)皆様方から寄せられた財の供養、身の供養をはじめ、真心からの御供養の功徳は計り知れないほど大きなものがあると存じます」(大白法 八四五号)
と御指南されています。
 本宗僧俗は、このたび宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念の諸事業を、真心からの御供養と折伏実践をもって見事に成し遂げました。その功徳は甚大です。
 今後は、広宣流布・大願成就に向け、さらなる折伏弘通に邁進し、仏国土の建設と自他共の成仏を期してまいりましょう。

 次回は『大井荘司入道御書』(平成新編御書 九五三)の予定です

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