大白法1052号 令和3年5月1日より転載

御書解説244 背景と大意

大井荘司入道御書

御書953頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年二月、日蓮大聖人様が御年五十五歳の時、身延において認められ、甲斐国巨摩郡(山梨県南アルプス市)の大井荘司〈おおいしょうじ〉入道に与えられた御消息で、入道からの御供養に対する御礼の御手紙です。御真蹟は現存していません。
 対告衆の大井荘司入道は、波木井実長と同じく甲斐源氏の一門で、甲斐国巨摩郡大井荘の荘司(荘園の管理職)であったと思われます。
 日興上人の『弟子分本尊目録』(本尊分与帳)に、
 「甲斐国大井庄司入道は、寂日房の弟子 なり」(歴全1-93)
 「甲斐国大井庄司入道の後家尼は、寂日房の弟子なり」(同)
と記されていることから、大井荘司(庄司)入道とその妻(後家尼)は、日興上人の教化により大聖人様に帰依し、寂日房日華師の俗弟子となっていたことが判ります。
 ただし、大井荘司入道の孫・肥前房日伝については、『弟子分本尊目録』に、
 「甲斐国大井入道殿の孫肥前房は、寂日房の弟子なり。(中略)但し今は背き了んぬ」(歴全1-90)
と記されており、残念ながら後に日興上人に違背しています。
 本抄には御述作年次の記載がないため、系年についてはこれまで、
 @建治元年七月
 A建治二年
 B建治二年二月
の三説がありました。
 しかし、本抄冒頭の御供養の品の中に「土筆〈つくし〉」の語が見られること等から、建治二年二月(当時の二月は、現在の暦の三月に相当)が採用されています。

二、本抄の大意

 初めに、大井荘司入道から串柿三本、酢一桶、茎立菜〈くきたちな〉、土筆などの御供養の品々に対する御礼を述べられます。
 次に、「竜門の滝」の故事を挙げられます。すなわち「中国・天台山に竜門という高さ百丈の滝があり、この滝の麓に春の初めから滝を登ろうと多くの魚が集まり、もし千万に一でも登ることができれば、その魚は竜となることができる」とのあらましを示されます。
 そして、魚が竜になりたいと願うことは、ちょうど平民が昇殿(御所の清涼殿〈しょうりょうでん〉にある殿上〈てんじょう〉の間へ昇ること)を望んだり、また貧しい者が財を求めるようなもので、たいへん難しいと述べられ、衆生が成仏することもこれと同様に難しいことである仰せられます。
 次いで、この滝を登ることが、どれほど困難であるかを例をもって述べられます。
 竜門の滝の高さは百丈もあり、上から落ちる水の早いことは強兵〈ごうひょう〉が天から矢を射落とすよりも早いこと。
 また魚がこの滝を登ろうとすると、人が集まり網をかけ、釣糸をたらし、弓で射るなど、滝の左右の畔〈ほとり〉からは絶え間なく狙われていること。
 さらに空からはG〈くまたか〉・鷲〈わし〉・鵄〈とび〉・烏〈からす〉が狙い、夜になると虎・狼・狐・狸などがどこからともなく集まってきて魚を捕って食べることなどを具体的に挙げられ、仏になることがいかに難しいか、これらのことをもって知るべきであると仰せられます。
 次に、有情は六道を生死輪廻するといわれるが、我らが過去に、インドにおいて師子と生まれ、また中国や日本においては虎・狼・野干〈やかん〉と生まれ、あるいは空を飛ぶG・鷲、地に棲む鹿・蛇として生まれたことは数え切れないこと。
 またある時は、鷹に狙われた雉や、猫に狙われた鼠として生まれ、生きながらに頭を啄〈ついば〉まれ、肉を咬み千切られたこともまた数え切れないこと。
 そして、このようにして一劫という長い間に、生死を繰り返してきた私たちの身の骨は、須弥山よりも高く、大地よりも厚く積み重ねられているのであり、惜しい身ではあるけれども、言うほどの甲斐もなく簡単に命を奪われて六道を輪廻してきたことを示されます。
 最後に、このように輪廻を繰り返す中で、このたび人間として生を受け、法華経を信じることができたのだから、もはや法華経のために身を捨て命を奪われてこそ、無量無数劫の間の最上の思い出となるのであり、そのことはまた申し上げましょう、と仰せられ、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

 「竜門の滝」の故事

 大聖人様は本抄の前段に、「竜門の滝」の故事を挙げて、仏道を成ずることの難しさを教示されています。
 この故事は、中国の黄河中流に、高さ百丈(十丈とも。一丈は約三メートル)にも及ぶ竜門の滝があり、鯉がこの滝を登り切れば竜になるといわれることから、多くの鯉が集まって登ろうと試みます。しかし、滝の水勢は強く、加えて鯉を狙う漁師や鳥獣が多く構えているため、滝を登り切ることのできる鯉は千万に一匹もいません。
 この故事を難関を突破して栄達する譬えとして、「登竜門」という呼称が生まれました。これは『後漢書六七巻』李膺〈りよう〉伝の中に出てくる話です。
 この故事を仏道成就になぞらえれば、滝を登る鯉は修行者のことであり、その行く手を阻む漁師や鳥獣たちは、成仏を阻む障魔の用きにほかなりません。
 大聖人様は、たとえ仏法を信受したとしても、競い起こる障魔に負けることなく、また仏道修行の厳しさに心を翻すことなく精進し、成仏の境界に至ることがいかに難しいかを、この故事をもって示されています。

身命を賭して信行に励むべし

 大聖人様は本抄の後段に、私たち衆生がこれまで数え切れないほど多くの生死を繰り返し、六道輪廻してきたことを説示された上で、
 「然らば今度〈このたび〉法華経の為に身を捨て命をも奪はれたらば、無量無数劫の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給ふべし」
と、六道輪廻の生死の苦しみを乗り越え、成仏という最高の境界を築くために、身命を賭して仏道修行に精進しなければならないことを教示されています。
 『松野殿御返事』にも、
 「迹門には『我身命を愛せず但無上道を惜しむ』ととき、本門には『自ら身命を惜しまず』ととき、涅槃経には『身は軽く法は重し、身を死して法を弘む』と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てゝ法を弘むべしと見えたり。此等の禁めを背く重罪は目には見えざれども、積もりて地獄に堕つる事、譬へば寒熱の姿形もなく、眼には見えざれども、冬は寒来たりて草木人畜をせめ、夏は熱来たりて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし」(御書 一〇五一)
と、『法華経』本迹二門及び『涅槃経』の文を挙げられ、身命を捨てて法を弘めなければ、経文に背く重罪となることを仰せられています。
 また、『佐渡御書』には、
 「魚は命を惜しむ故に、池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑ〈餌〉にばかされて釣をのむ。鳥は木にすむ・木のひきゝ〈低〉事をおじて木の上枝〈ほつえ〉にすむ。しかれどもゑにばかされて網にかゝる。人も又是くの如し。世間の浅き事には身命を失へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。故に仏になる人もなかるべし」(同 五七八)
と仰せられ、さらに『佐渡御勘気抄』に、
 「仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ、仏にはなり候らめ」(同 四八二頁)
と、御教示です。
 受け難き人としての生を受け、さらに値い難い正法に縁する身の福徳に感謝し、身命を惜しむことなく信行に励むことが大切です。

四、結  び

 御法主日如上人猊下は、
 「三障四魔をはじめ様々な諸難が襲ってきたときこそ、信心が試されているのであります。障魔に打ち勝って一生成仏へ向かうか、あるいは障魔に負けて悪道に堕ちるかの大事な岐路に立たされているのであります。(中略)私達はいかなる 障魔に出遭うとも、ただ大御本尊様への絶対信を持って、疑念なく、浄心に信敬して、強盛なる自行化他の信心に励んでいくならば、御金言の如く、いかなる困難も、立ちはだかる障誕も必ず乗りきっていくことができるのであります」(大 白法七六一号)
と御指南されています。
 今なお、日本乃至世界は、新型コロナウイルス感染症をはじめ五濁悪世の惨状を呈しています。
 これらの災難を真に乗り越える方途を知るのは私たち日蓮正宗の僧俗のみです。
 今こそ御法主上人貌下の御指南を心肝に染めて、本宗僧俗それぞれが強盛なる信心を確立し、身命を賭して折伏弘通に精進してまいりましょう。


 次回は『南条殿御返事』(平成新編御書 九五四)の予定です

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