大白法1054号 令和3年6月1日より転載

御書解説245 背景と大意

南条殿御返事

御書954頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年三月十八日、日蓮大聖人様が御年五十五歳の時、身延において認められ、駿河国富士郡上野郷(静岡県富士宮市)の南条時光殿、そして橘三郎・太郎大夫に与えられた御消息です。御真蹟は現存しません。
 時光殿の父・兵衛七郎は、幕府への勤務で鎌倉に住していた時、大聖人様に帰依しました。この縁によって、時光殿は幼い頃に入信したと考えられます。兵衛七郎が文永二(一二六五)年に亡くなり、長兄も早世したことから時光殿は若くして南条家の当主となり、本抄を頂戴した時は、まだ十七歳でした。
 大聖人様が佐渡配流赦免後に身延に入られると、母の後家尼を筆頭に一族で常に大聖人様に御供養申し上げています。
 また、熱原法難の時には、弾圧を受けながらも、時光殿は農民をかくまうなど献身的に活躍し、大聖人様の御指南と日興上人の指揮のもと、法難を乗り越えられました。大聖人様は、その功績を讃えられ、「上野賢人」との称号を贈られています。
 また、追伸にある橘三郎と太郎大夫については、日興上人の『弟子分本尊目録』に、
 「遠江国前住甲斐国大井橘六の三男、橘三郎光房者、日興の舎弟なり」(歴全1-92)
 「富士上野太郎大夫後家最妙尼は、日興の弟子なり」(同95)
とあります。
 この記述によれば、橘三郎は日興上人の弟であり、太郎大夫は上野在住の人であることが判ります。

二、本抄の大意

 初めに八頭芋(里芋の一種)、川海苔、わさびの一々の供養と一人ひとりの志に対する御礼を述べられます。そして、このことは親鳥が卵を温め、親牛が仔牛を舐めてかわいがるようなものであると述べられます。
 次に、衣は身体を包み、食物は命を繋ぐ物である。それ故、法華経を身延の山中で読む私を懇ろに供養することは、釈迦仏を供養し、法華経の命を継ぐものであると述べられます。
 続いて、妙荘厳王は三人の修行者を養うことによって沙羅樹王仏となり、須頭檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏となられたとの故事を挙げられ、自らが読誦・書写せずとも、読誦・書写する人を供養すれば、仏になることは疑いないと仰せられます。
 そして、経証として『神力品第二十一』の、
 「是人於仏道 決定無有疑」(法華経 五一七)
の経文を挙げ、本文を締め括られています。
 また追伸として、橘三郎・太郎大夫への返書も、この一紙にまとめて申し訳ないが、くれぐれも伯耆殿(日興上人)から読んで聞かせてもらいたいと述べられています。

三、拝読のポイント

 「法華経の行者」を供養する功徳

 大聖人様は本抄において、
 「法華経を山中にして読みまいらせ候人を、ねんごろにやしなはせ給ふは、釈迦仏をやしなひまいらせ、法華経の命をつぐにあらずや」
と、法華経の行者に供養する功徳は、釈迦仏を養い、またその出世の本懐たる法華経の命を継ぐことに当たると仰せられています。
 さらに法華経の行者を供養する功徳の大なることについて、『上野殿御返事』に、
 「法華経の第四に云はく『人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん』等云云。文の心は、仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給ふ」(御書 七四四)
と仰せられ、また『高橋殿御返事』に、
 「法華経の法師品には『而於一劫中』と申して、一劫が間釈迦仏を種々に供養せる人の功徳と、末代の法華経の行者を須臾も供養せる功徳とたくらべ候に『其の福復彼に過ぐ』と申して、法華経の行者を供養する功徳はすぐれたり。これを妙楽大師釈して云はく『供養すること有らん者は福十号に過ぐ』と云云。されば仏を供養する功徳よりもすぐれて候なれば、仏にならせ給はん事疑ひなし」(同 八九三)
と仰せです。
 すなわち、末法の法華経の行者に供養する功徳は、在世において一劫という長い間、仏に直接供養する功徳にも勝ると御教示です。
 『撰時抄』に、
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(同 八六四)
と、御自身を末法の法華経の行者であると明示されています。つまり、「法華経の行者」とは、別して久遠元初の御本仏日蓮大聖人様を指すのです。

妙荘厳王・阿私仙人の故事

 妙荘厳王については、法華経『妙荘厳王本事品第二十七』(法華経五八三)に、妙荘厳王は浄徳夫人と浄蔵・浄眼の二人の子供の勧めによって、それまでの邪見を改め、仏に帰依したこと。また、妙荘厳王は今の華徳菩薩、浄徳夫人は光照荘厳相菩薩、浄蔵・浄眼は薬王・薬上菩薩であることが説かれています。
 天台大師は『法華文句』に、この四人の過去世の因縁について、
 「昔、四人の比丘が山林で修行していたが衣食に困った。そこで一人が修行を辞めて、衣食を調達し、三人の修行を助けた。これにより三人は法を悟ることができ、残りの一人は王として生まれ変わった。三人は王となった一人を救うため、王の夫人とその子供として生まれ変わり、王を正法に導いた(趣意)」(国訳一切経)(文会下564)
と詳しく解説しています。
 阿私仙人については、法華経『提婆達多品第十二』に、
 「昔、釈尊が須頭檀王であった時、王位を捨て無上法を求めていた。そこへ阿私仙人が来て『妙法蓮華経を所持しているから、自らに違うことがなければその法を説く』と言ったので、須頭檀王は大いに歓喜し、阿私仙人のために菜を摘み、水を汲み、薪を拾い、さらにその身を座とするなど、千年の間、給仕し供養した。これにより須頭檀王は成仏したのである。須頭檀王とは釈尊、阿私仙人とは提婆達多の過去世の姿である(趣意)」(法華経三五七)
と説かれています。
 これらの故事が示しているのは、法華経の行者に給仕し供養することによって、実際に法華経を読誦・書写し修行するのと同じ大功徳を得るということです。

供養と給仕

 「供養」とは供給奉養〈ぐきゅうほうよう〉の意で、仏法僧の三宝を尊崇し、その志を奉ることをいいます。経典には、二種供養(財供養・法供養)・三業供養(身業供養・口業供養・意業供養)・事理供養(事供養・理供養)など、多くの供養が説かれていますが、大別すると法供養と財供養とになります。
 法供養とは、正法の所説に随って法を弘め、人々を教化し、利益せしめることです。
 財供養とは、香華や食べ物・衣類・資材などを三宝に供養することです。
 これによって、法灯を護り、ひいては衆生を利益することになります。
 「給仕」とは、側に仕えて雑用を勤めることをいいます。妙荘厳王の過去世における三人の比丘に対する給仕、及び釈尊が須頭檀王として阿私仙人に千年にわたり仕えたことも、身の供養であり、財の供養に当たります。
 大聖人様が『経王殿御返事』に、
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書 六八五)
と仰せのように、大聖人様の御魂である人法一箇・独一本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、真心からお給仕(信徒の立場からはご登山や寺院参詣)、御供養申し上げていくところに、即身成仏の大功徳を得ることができるのです。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「私どもは改めて大聖人様の教えのままに、断固たる決意と強盛なる信心を持って、いかなる障魔をもものともせず、講中一結・異体同心して大折伏戦を果敢に展開し、もって妙法広布に挺身して(中略)力強く前進していくことが、今こそ最も肝要であります」(大白法 一〇三七号)
と御指南されています。
 私たちは、「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の年」の本年、大聖人様への真の御報恩のためにも、本門戒壇の大御本尊在す総本山を外護し、破邪顕正の折伏を実践して、法供養・財供養にわたる御供養の精神をもって、広宣流布大願成就に向け、いよいよ精進してまいりましょう。

次回は『南条殿御返事』(平成新編御書 九七〇)の予定です

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