大白法1058号 令和03年08月1日より転載

御書解説247 背景と大意

宝軽法重事

御書989頁 別名 報大内書

一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年五月七日、日蓮大聖人様が御年五十五歳の時、身延において認められ、西山殿に与えられた御消息です。本抄の御真蹟は、全八紙が総本山大石寺に蔵されています。
 本抄に関連する御書として、『覚性御房御返事』(御書九八八)・『筍御書』(同)の短編二書が挙げられます。
 『覚性御房御返事』によれば、本抄述作の六日前、五月五日の端午の節句の日に、信徒から覚性房を通じて、清酒一筒、ちまき二十の御供養があったことが判ります。
 この信徒について、一説には北条家にまつわる人物であり、直接の御返事を憚って覚性房に宛てたものとされています。
 また、『筍御書』によれば、その五日後の五月十日、本抄の冒頭及び抄末にあるように、西山殿より筍百二十本の御供養があり、大聖人様はそのうちの二十本を、覚性房を通じて信徒に届けられていることが判ります。

二、本抄の大意

 初めに御供養の筍の本数を示されます。
 次いで、法華経『薬王菩薩本事品第二十三』の文を引かれ、続いてこの経文を釈された天台大師の『法華文句』第十の文、次いで妙楽大師の『法華文句記』巻十の文を挙げられます。
 そして、法華経と天台・妙楽の心は、一切の仏に対して七宝の財を三千大千世界に満つるほど供養するよりも、法華経の一偈を受持し、あるいは護持する人の功徳のほうが勝れていると説くところにあると述べられます。
 次に、九界の一切衆生と仏とを相対し、一切衆生の福は一本の髪の毛のように軽く、仏の御福は大山のように重い。さらに、その一切の仏の御福は梵天三銖〈しゅ〉の衣(極めて薄く軽い羽衣)のように軽く、法華経一字の御福は大地の如くに重いと述べられ、「人軽し」の人とは仏のことであり、「法重し」の法とは法華経のことであると仰せられます。
 次いで、法華経以前の諸経・諸論は仏の功徳を讃めているので仏、法華経は経の功徳を讃めているので仏の父母のようなものである、と述べられます。
 そして、華厳経や大日経等が、法華経よりも劣ることは、一毛と大山、三銖と大地のような違いがあり、また法華経の最下の行者と、華厳・真言の最上の僧とを比べれば、帝釈天と猿、獅子と兎のような勝劣があると示されます。
 次いで、民が勝手に王と名乗れば、必ず命を失い、諸経の行者が法華経の行者よりも勝れていると言えば、必ず国も滅び、本人も地獄へ落ちる。ただし、敵がいない時は、その偽りもそのままに過ぎることもある。それは譬えば、平将門や安倍貞任〈さだとう〉が、これを討伐した平貞盛や源頼義がいなかった時は領地を支配し、妻子も安穏に過ごすことができたようなものである。また、敵がいなければ、露は空に向かって蒸発し雨は地面に降るが、逆風の時は雨も空へ吹き上がり、晴れた日の早朝に葉の表面に付いた露が地面に落ちるようなもの、と仰せられます。この譬えのように華厳等の六宗は伝教大師が世に出られる以前は安泰であり、真言宗もまた同様であったが、強敵が出現して法華経をもって強く責めたならば、比叡山の座主や東寺・御室〈おむろ〉等も、朝日に遭った露のように地に落ちるものと思いなさいと述べられます。
 次いで、法華経は仏滅後二千二百余年が経っても、未だに経文の通りに説き究めて弘めた人はいない。天台・伝教も知らなかったわけではないが、時が来たらず衆生の機根もなかったので、書き究めずに入寂された。しかし、日蓮の弟子となった人々は、法華経を容易に知ることができる。一閻浮提の中で法華経の『寿量品』に説かれている釈迦仏の形像を画き造る堂塔は未だかつてないが、どうして今、現われないことがあろうか。これについては長くなるので、ここでは止めておくと述べられ、詳述を控えられます。
 最後に、筍百二十本の御供養に対して、法華経の法門を説き顕わしたのは、布施は軽いけれども、その志が重い故であると仰せられ、さらに今、農繁期に加えて、大宮の造営も重なり、忙しい時期にもかかわらず、その志が深い故に大事の法門も顕われたのであると述べられ、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

人は軽く法は重し(法勝人劣)

 大聖人様は本抄において、法華経『薬王品』の、
 「此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」(法華経五三二)
の文、及び天台大師の『法華文句』にある、
 「人は軽く法は重し」(文会下五〇五)
の文、妙楽大師の『法華文句記』の、
 「四同じからずと雖も法を以て本と為す」(同)
の文を挙げられた上で、
 「人軽しと申すは仏を人と申す。法重しと申すは法華経なり」(御書九八九)
と、法が勝れ、人(仏)が劣るという、法勝人劣の法門を説き明かされています。
 この御文について、総本山第六十七世日顕上人は『三大秘法義』に、
 「仏とは三十二相・色相荘厳の仏をもって人劣とされている。これに対し、一往、法華経を挙げられるが、さらにその要点を括って、妙法五字の題目をもって末法の本尊とされていることが判る」(三大秘法義 四七五)
と、仏とは下種の本仏のことではなく、色相荘厳の仏、すなわち脱益の仏を指すのであり、法とは一往は法華経であるが、再往は妙法五字の題目・末法の本尊を指すと御指南されています。
 そして、日顕上人はさらに、
 「小乗・大乗、迹門・本門の一切に通ずる在世釈尊の化導のすべては、三十二相の色相の仏として説かれたのであるが、それを能生の法華経に対すれば、所生の故に劣となるのである。その法華経の文意は、久遠元初に遡って本因名字の妙法に能生の根源が存するのである」(同)
と教示されています。
 つまり、「法」とは、久遠元初の本因名字の妙法のことであり、この本因名字の妙法こそが、諸仏の師であり、能生の根源なのです。故に、ここに妙法五字の題目(法)を勝、脱益の仏(人)を劣とする法勝人劣の法門の意が明らかです。

寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔

 大聖人様は本抄において、
 「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いかでかあらわれさせ給はざるべき」(御書九九〇)
と、末法今時に未だかつて世に顕わされたことのない寿量品の御本尊が顕われることを仰せです。
 身延派等の他宗他門では、「寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる」の御文を、釈迦仏の画像・木像と考えます。
 しかし、大聖人様が顕わされた御本尊は大漫荼羅本尊であり、釈尊像を造立されたことも、仏像の造立形式を教示されたこともありません。
 この御文は、文脈から大聖人様が顕わされる御本尊は仏滅後二千二百余年に未だ顕わされたことのない本尊であり、これを信行する大聖人様の弟子・檀那はたやすくその功徳に浴することができると拝すことができます。
 日顕上人は、この御文について、
 「正義はこの文も、『本尊抄』の、『末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との文と同様に、寿量品文底下種の法即人の本尊をお示しである。『報恩 抄』の、『本門の教主釈尊』とも同義であり、久遠元初自受用身、本因名字下種本仏の内証を、その外用の辺より指南されている。
 故に、その『形像』とは大漫荼羅本尊であり、『かき』とは本尊の御顕示を、『つくれる』とはその本尊の体相を言われるのである」(三大秘法義 四七三)と教示されています。

四、結び

 大聖人様は本抄において、
 「諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり」
と、謗法こそが亡国・堕地獄の根源であると教示されています。
 御法主日如上人猊下は、
 「邪義邪宗の誘法を断ち、すなわち不幸と混乱の根源である謗法を対治しなければ、一人ひとりの幸せはもとより、国土の安穏も、世界の平和も実現することができないのであります」(大白法 一〇五一号)
と御指南されています。
 私たちは、日本乃至全世界の人々が、新型コロナウイルス感染症という疫病の蔓延によって苦しんでいる今こそ、勇猛果敢に慈悲の折伏を実践し、大聖人様の下種仏法による救済と、御本尊の絶大なる功徳を世に広く示していくことが肝要です。

  次回は『四条金吾殿御返事』(平成新編御書 九九一)の予定です

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