大白法1074号 令和04年04月1日より転載

御書解説252 背景と大意

 報恩抄送文

御書1037頁

一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年七月二十六日、日蓮大聖人様が御年五十五歳の時、身延において、出家時の兄弟子である安房国清澄寺(千葉県鴨川市)の浄顕房・義浄房に対し、『報恩抄』の送状として認められました。
 本抄の御真蹟は現存せず、写本として『本満寺録外』があります。
 本抄には『報恩抄』に示された法門の重要性と、拝読の心構えを御教示されています。
 この年の三月、大聖人様の出家時の師匠である道善房が逝去しました。六月にその訃報を受けられた大聖人様は七月二十一日、『報恩抄』を著されました。
 そして、安房や上総に地縁の深い弟子・民部日向を使いとし、御図顕された御本尊と『報恩抄』に、本抄を添えて送られたのです。

二、本抄の大意

 初めに、浄顕房から師道善房の逝去の報せが届いたことを述べられます。
 次に、親疎の関係によらず、法門というものは心に入れない人、すなわち信解拝承できない人にはけっして説かないものであるとして、その心得を喚起されます。
 次いで、御本尊を御図顕して差し上げること。
 そして、この法華経の弘通は、釈尊在世よりも滅後、また正法時代よりも像法時代、さらに像法時代よりも末法の初めと、時代が下るにつれて怨敵が次第に強くなり、大きな迫害に値うこと。この由を確かに心得たならば、日本国には日蓮以外に法華経の行者はいないと判るであろうと述べられます。
 次に、道善房の逝去の報せを聞き、自ら早々と参上するか、この御房(日向)をすぐにも遣わすべきであった。しかし、我が内心ではそう思わなくても、他人の目には遁世と見られることから、この身延の山を出ないことにした。
 また内々に人が言うのには、近く宗論が行われそうであるとのことから、多くの弟子たちを十方に分け、国々の寺々に遣わして経論等を探させていたが、駿河国(静岡県中部)へ遣わしていたこの御房がようやく戻ってきたので、この時期になったと仰せられます。
 次に、『報恩抄』には非常に大事の中の大事の法門を記した。このことを信解できない人々に聞かせると、かえってよからぬ状況になる。たとえそうでなくても、広く聞こえたなら余所にまで伝わることになる。すると、貴方(浄顕房)のためにも、当方のためにも安穏にいかないことになる、と教示されます。
 そこで、貴方と義浄房との二人、この御房を読み手とし、嵩が森の頂にて二・三遍、また故道善房の墓前にて一遍、読み上げさせてもらいたいと仰せになります。
 そして、読み上げた後は、この御房に預けておき、常々御聴聞するよう指示し、たびたびこうして聴聞すれば、大事の法門が心に入り、気づくこともあろうと述べ、本抄を終えられています。

 心に入れぬ人に言わぬこと

 大聖人様は本文の初めに、
 「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ」
と仰せです。これは後段の、
 「詮なからん人々にきかせなばあしかりぬべく候。又設ひさなくとも、あまたになり候はゞほかざまにもきこえ候ひなば、御ため又このため安穏ならず候はんか」
との御教示と呼応するものです。
 これらの御文は、大事の法門に対し、聞く対象の器を選別した上での御指南です。
 前の御文では、相手が親しくても、そうでなくても、大事の法門については拝承できない人にはけっして説き示さない、との定義を示した上で、対象となる浄顕房・義浄房にも、よくこの意を心得て『報恩抄』に臨むよう、慎重を期して喚起されているのです。
 大聖人様は、本抄で、
 「随分大事の大事どもをかきて候ぞ」
と仰せの『報恩抄』において、通じては諸宗の謗法を破し、別しては真言・天台両宗の密教の誑惑を破して、他の五大部にも明かされなかった正法、すなわち宗旨である本門の三大秘法の名義を明かされたのです。
 また本抄においても、この大事の法門を建立弘通するのは末法の法華経の行者であり、それは大聖人様御自身をおいて他にない旨を御示しになっています。
 こうした文底下種仏法の大事の法門の開示について、「心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」と仰せになっているのです。
 また、これに対する後段の御文では、清澄寺にあっても、浄顕房・義浄房以外には、この法門はけっして聞かせてはならないと誡められています。
 当時の清澄寺は密教や念仏が盛んな天台宗寺院であり、そこに住する大衆も大事の法門を信解できる土壌にはありませんでした。それどころか、かえって文底下種仏法の仇となり、下種仏法を信ずる人々を迫害する勢力があったことが判ります。
 また、特に他宗との公場対決が予測されていたことも背景にありました。
 このように、聞かせるべき器にない輩に対しては、「詮なからん人々にきかせなばあしかりぬべく候」と御指南なさったのです。

 題目は法華経の心

 大聖人様は『報恩抄』に、
 「疑って云はく、二十八品の中に何れか肝心なる。(中略)答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。(中略)題目は法華経の心なり」(御書 一〇三二)
と仰せです。
 この御文について、第二十六世日寛上人は『報恩抄文段』に、
 「『法華経の心』とは本因所証の妙法なり云云。四信抄に云わく『妙法蓮華経の五字は文に非ず、義に非ず、一部の意ならくのみ』〔一一一四〕云云」(御書文段 四五八)
と、法華経の心とは、本因所証の妙法、すなわち人法を能所に配すと、人は能証、法は所証となり、能証の仏である久遠元初の御本仏の説き顕わされる所証の法・文底本因下種の妙法五字こそが、文・義・意のうちの意の妙法であり、法華経一部の肝心であると御教示されています。

 大事の法門とは三大秘法

 また、大聖人様は本抄において、
 「此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ」
と、同送の『報恩抄』の中に、大事の中の大事の御法門を説き示されたことを明かされています。
 これについて日寛上人は『報恩抄文段』に、
 「今当抄の中に於て、通じて諸宗の謗法を折伏し、別して真言の誑惑を折破し、正しく本門の三大秘法を顕わす。是れ則ち大事の中の大事なり、故に『大事の大事』と云うなり」(御書文段三七九)
と、『報恩抄』において、本門の三大秘法の名義を顕わされたことを、「大事の大事」と教示されています。
 『報恩抄』における当該の御文は、
 「一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし・所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮華経と唱ふべし」(御書一〇三六)
の箇所です。
 そして、日寛上人は同文段に、
 「吾が祖は是れを以て即ち師恩報謝に擬したもうなり」(御書文段 三七九)
と仰せられ、大聖人様が三大秘法の大事の法門を説き顕わされたことをもって、通じては四恩報謝、別しては師恩報謝に擬えられたことを教示されています。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「今日、邪義邪宗の謗法がはびこり、ために世情が混乱し、戦争、飢餓、疫病、異常気象等によって様々な悪現象を現じている時、まさにこのような時こそ、我々は不軽菩薩の行いを軌範として、一人でも多くの人々に妙法を下種し、折伏を行じていかなければならないのであります。(中略)信心とは、すなわち実践であり、体験であります」  (大白法一〇七三号)
と御指南されています。
 宗旨建立七百七十年の本年、宗祖日蓮大聖人様に仏恩報謝し奉るためにも、御本仏の大願である広宣流布達成に向かって、いよいよ折伏弘通に邁進してまいりましょう。

 次回は『持妙尼御前御返事』(平成新編御書一〇四四)の予定です

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