大白法1076号 令和04年05月1日より転載

御書解説253 背景と大意

 持妙尼御前御返事

御書1044頁


一、御述作の由来

 本抄は、建治二(一二七六)年十一月二日、大聖人様が御年五十五歳の時、身延において認められ、前年に夫を亡くされた持妙尼に与えられた御消息です。御真蹟は現存しませんが、日興上人の写本が総本山に蔵されています。本文に相思樹の故事を挙げられていることから、「相思樹御書」との別名があります。
 対告衆の持妙尼は、富士賀島(静岡県富士市)の高橋六郎兵衛入道の夫人で、河合入道の娘であり、日興上人の母方の叔母に当たります。夫の高橋入道の病気中に尼(妙心尼とも称される)となり、さらに晩年、生家のある西山の窪に住んだことから窪の尼とも称されています。
 本抄は、夫婦離別の故事を挙げて、夫を亡くした持妙尼を慰められ、御題目を唱えて乗り越えられるよう激励されたものです。
 なお、『平成新編御書』には大聖人様の和歌が三首収録されていますが、その内の二首が本抄の御歌です。

二、本抄の大意

 初めに、尼御前から故入道の一周忌追善供養のための僧膳料が届けられたことに対する御礼を述べられます。次いで、早くも故入道の命日を迎えたこと、大聖人様が忙しさに紛れてそれを忘れていたこと、そして持妙尼には忘れることはないだろうことを述べられます。
 続いて、中国における夫婦の故事を三つ挙げられます。
 まず、蘇武という武士が、漢王の使いで胡国に行って十九年、蘇武夫妻は互いに忘れることがなかった。あまりに恋しいので、妻は夫の衣を秋が来るたびに砧〈きぬた〉の上で叩いた。すると思いが通じ、夫の耳にその音が聞こえたという故事。
 二つ目に、陳子が妻との離別に当たり、鏡を割って半鏡ずつ持つことにしたが、妻が夫を忘れた時には、妻の持っていた半鏡が鳥となって夫のもとに飛び来たったという故事。
 三つ目に、相思の妻が夫を恋しく思い、夫の墓に至って木となり、それが相思樹と言われたという故事。
 次に、日本の故事を挙げられ、中国に渡る途中に志賀の明神という神があるが、これは中国に渡った夫を恋い慕った妻が神になったもので、神を祀る島の姿は女人に似ており、松浦佐与姫〈まつらさよひめ〉というのがその神であるという故事が示されます。
 そして、昔から今に至るまで、親子の別れ、主従の別れなど、いずれも辛くない別れはないが、夫婦の別れほど辛い別れはないと、持妙尼を慰められます。
 最後に、過去遠々劫より女人の身と生まれてきたが、このたびの夫こそ、娑婆世界における最後の善知識であると仰せられ、和歌二首を詠まれます。意訳を挙げると、
 「散った花や落ちた木の実も、再び咲き実を結ぶのに、どうして亡くなったこの人は帰らないのだろうか」
 「去年も悲しく、今年も辛い月日を過ごしている。それは想いがいつも晴れないからである」
 そして、故入道への追善のために、いつも法華経の題目を唱えて供養されていくよう述べられて、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

 夫婦離別の故事

 本抄において大聖人様は、持妙尼を慰めるため、夫婦の離別についての故事を四つ引かれています。
 一つ目の蘇武とは前漢の武将で、『漢書』によると七代・武帝の命により遣わされた匈奴〈きょうど〉で捕らえられてしまい、降伏することなく十九年後、ようやく漢に戻ることができたという忠臣です。その故事に、囚われている十九年の間、夫恋しさのあまり妻が夫の衣を
秋ごとに仕立て、それを柔らかくするために砧の上で叩いた音が夫に届いたというものがあります。
 二つ目の陳子の話は、陳の東宮侍従の徐徳言が、妻との離別に際して鏡を割り、その半分を渡します。後にその半鏡を探し出し、他人と暮らしていた妻を呼び戻して再び添い遂げたというものです。
 三つ目の相思の話は、宋の時代、王に妻を奪い取られた夫の韓憑が自殺し、それを知った妻も夫と一緒に埋めてくれるように遺言して身投げします。しかし、王は二人を別々の墓に埋葬します。二つの墓からは梓が木が生え、根と枝が交錯したという「相思樹」の故事です。
 四つ目の松浦佐与姫の話は、肥前国松浦、現在の佐賀県唐津市の辺りに住んでいた伝説の女人のことで、第二十八代宣化天皇(在位五三六〜五三九年)の頃、朝鮮半島南部にある任那〈みまな〉に行く夫の大伴狭手彦〈おおとものさかてひこ〉を鏡山に登って別れを惜しんだ姿が、男女の別れの悲しさの譬えとして、万葉集などに詠われている故事です。
 いずれの故事も、夫婦の離別が最も悲しく辛いことを表わしたものであり、これは四苦八苦の中の愛別離苦に当たります。
 『御講聞書』に、
 「六とは六根なり、万とは六根に具する処の煩悩なり、八とは八苦の煩悩なり、千とは八苦に具足する煩悩なり。是即ち法華経に値ひ奉りて六万八千の功徳の法 門と顕はるゝなり。所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る外に、六万八千の功徳の法門之無きなり」(御書 一八五一)
と御教示のように、末法今時においては南無妙法蓮華経の題目を唱え奉るところに、四苦八苦等の煩悩を即菩提に転じて功徳と開くことができるのです。

 成仏には善知識が不可欠

 また、本抄において大聖人様は、持妙尼に対して信仰を教えた夫の故入道が、過去世以来、最高の善知識であると称賛されています。『三三蔵祈雨事』に、
 「されば仏になるみちは善知識にはすぎず」(同 八七三)
と教示されているように、善知識とは他人を仏道に導く人やその用きをいい、仏道成就に欠かすことのできない重要な要素であることが判ります。
 善知識について、天台大師の『摩訶止観』には、
 「知識に三種あり。一に外護、二に同行、三に教授なり」(摩訶止観弘決会本中一〇四)
と、三種の知識が説かれています。
 一の「外護」の知識とは、信心修行における家庭や職場などの協力者や支援者のことをいい、二の「同行」の知識とは、修行をする上で必要な同心者との語らいや励まし合いなど切磋琢磨する同行との触れ合いを指します。三の「教授」の知識とは、特に御本仏日蓮大聖人様の教えを継承される時の御法主上人猊下を大師匠と仰ぎ、その御指南を伝える指導教師などのことを指します。
 なお、『御講聞書』には、
 「知識に於て重々之有り。外護の知識、同行の知識、実相の知識是なり」(御書一八三七)
と、「教授」を「実相」と示されて、
 「実相の知識とは所詮南無妙法蓮華経是なり」(同)
と教示されています。つまり、末法の衆生が即身成仏を遂げる根本の善知識は、南無妙法蓮華経の御本尊に極まるのです。私たちは、御本尊を信受し、自行化他の仏道修行に励むことが肝要です。

 真の追善供養

 大聖人様は本抄の最後に、
 「ちりしはな をちしこのみはさきむすぶ  いかにこ人のかへらざるらむ」
 「こぞもうく ことしもつらき月日かな おもひはいつもはれぬものゆへ」
と、持妙尼の悲しみを慮られて和歌を二首詠まれたあと、真の追善供養、すなわち法華経の題目を唱えて、その功徳を亡夫に回向することを勧められています。
 『御義口伝』に、
 「今日蓮等の類聖霊を訪ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。廻向の文此より事起こるなり」(御書 一七二四)
と御教示のように、精霊は題目の光に照らされて即身成仏の境界に至るのですから、いよいよ唱題に励み、自他共の成仏を期してまいりましょう。

 四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「邪義邪宗の間違った教えは、個人を無間大城に堕とすのみならず、一国をも世界をも地獄に堕とすことになるのであります。この邪義邪宗の謗法を対治し、塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救い、仏国土実現を果たしていく最善の方途こそ折伏であります」(大白法 一〇七一号)
と御指南されています。
 私たちは、疫病の蔓延も軍事力の行使による大惨事も、そのすべてが貪瞋痴の三毒が強盛になることから起こる謗法の害毒であることを正しく見抜き、改めて妙法弘通の志を立て、自行化他の信行を実践してまいりましょう。

 次回は『道場神守護事』(平成新編御書 一〇五二)の予定です

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