大白法1110号 令和05年10月1日より転載

御書解説267 背景と大意

兵衛志殿御返事

御書1228頁



 一、御述作の由来

 本抄は、弘安元(一二七八)年五月、日蓮大聖人様が御年五十七歳の時、身延において認められ、武蔵国池上(東京都大田区)に住する池上兵衛志宗長に与えられたお手紙です。御真蹟は、京都妙覚寺(日蓮宗)に蔵されています。
 対告衆てある池上宗長は、建長八(一二五六)年頃に、兄の右衛門大夫宗仲〈えもんのたいふむねなか〉と共に大聖人様に帰依しました。極楽寺良観の強信者であった父康光〈やすみつ〉は、良観の策謀と入れ知恵により兄宗仲を二度も勘当し、弟宗長を懐柔しようとしました。しかし、大聖人様から『兄弟抄』等の御書を賜った兄弟は力を合わせて法華経の信仰を貫き、父に宗仲の勘当を解かせ、さらには康光を大聖人様に帰依させることができました。
 本抄の系年については、弘安元年秋説などもありますが、本文中に、「やせやまいと申し」とあり、大聖人様が病を患われていたことや、また「三人ともに仏になり給ひ」と、父康光との関係改善がうかがえることから弘安元年とし、また「たうじはのうどき〈農時〉にて」(農繁期)とあることから、五月としています。

 二、本抄の大意

 初めに、農繁期で忙しい時に、身延まで家人を遣わし銭十余連等の御供養を届けたことへの御礼を述べられます。
 次に、百済国から日本に仏法が渡った時、大船に乗せて海を渡り、車で都まで運んだが、御供養の品も運ぶ人や馬がいなければ、運ばれてくることもなく、日蓮の命が助かることはないと述べられ、徳勝〈とくしょう〉童子と無勝〈むしょう〉童子の故事を挙げ、宗長の御供養はこれらの人とは比べものにならないほど功徳が大きいことと、御供養の品々を運んできた馬が釈尊出家の時に乗られた金泥駒〈こんでいごま〉となり、引いてきた人は釈尊の出家に従った御者である車匿舎人〈しゃのくとねり〉となって成仏することを述べられます。
 次いで、過去の波羅奈国の摩訶羅王と二人の太子の故事、すなわち兄の善友〈ぜんう〉太子の持つ如意宝珠を奪うため、弟の悪友〈あくう〉太子が兄の眼を抜き取ってしまうが、この時の王は浄飯王、善友太子は釈尊、悪友太子は提婆達多である。兄弟で宝を争って世々生々に敵となり、一人は仏となり一人は無間地獄に堕ちたことを挙げられます。
 また日本においても、一院(後白河天皇)と讃岐の院(崇徳天皇)は兄弟でありながら天皇の位を争い、ついには敵となって今は地獄にいるであろう、さらに当世において大将殿(源頼朝)が弟の九郎判官(源義経)らを亡ぼしたため、かえって我が子が所従らに亡ぼされたことは眼前の出来事であると述べられます。
 次に、宗仲・宗長は兄弟として上下はあるが、弟であるあなた(宗長)が欲深く心が曲がり、道理を弁えていなかったならば、兄の勘当は解かれなかったであろう。そうであれば宗仲は法華経を信じて成仏しても、親は法華経の行者である子を勘当したことにより地獄に堕ち、あなたは兄と親を損ずる人として、提婆達多のようになるところであった。末代ではあるがあなたが賢く欲がなかったので、三人とも成仏し、父方・母方の親族も救う人となった。子息らも末代まで栄えるであろう。このことは一代聖教を引用して百千枚書いても書き尽くせないが、今は病のため詳しくは述べない。いつかお目にかかって申し上げたいが、嬉しさのあまり語ることもできないので、だいたい申し上げた次第である。万事は推量されたい。女房殿のことについても、同じく喜んでいると伝えてもらいたいと仰せられ、本抄を結ばれています。

 三、拝読のポイント

 仏様の命を継ぐ御供養の功徳

 大聖人様は本抄において、宗長が身延の大聖人様のもとに御供養の品々をお届けしたことにより、それを運んだ馬、そして馬を引いた人にも功徳が及ぶことを御教示です。
 当時は輸送手段も限られており、御供養の品々に加え、大聖人様のもとにお届けする費用や人足等の手配も必須でした。そのため大聖人様は、仏様の命を継ぐ大切な御供養を携えて遠い道程を登山参詣してきた人や、重い荷物を運んだ馬にもその功徳が及び、成仏することができると御教示されているのです。
 また本抄には、徳勝童子・無勝童子が、土の餅を仏様に御供養したことにより、阿育大王とその大臣羅提吉〈らだいきち〉として生を受けた故事が引用されています。
 大聖人様は『白米一俵御書』に、
 「たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うヘたるよに、これはなし〈離し〉ては、けう〈今日〉の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれう〈御料〉を仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう〈養〉、凡夫のためには理くやう、止観の第七の観心の檀はら蜜と申す法門なり」(御書 一五四四)
と、我々凡夫が成仏する上で重要なのは、法華経(御本尊)に対する信心の志であること。そして、それは自らの命を継ぐのに欠かせない大切な物を仏様に御供養することであり、末法においてはそれが身命を仏様に捧げることになると、御供養の精神と意義を教示されています。
 なお、『立正安国論』には、
 「設ひ五逆の供をば許すとも謗法の施を許さず。(中略)夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む」(同 二四七)
と、謗法に対して施を許さない、謗施不許の義が示されています。これは謗法を根絶すると共に、正法を受持する者に地獄の業因を積ませないための制誡です。
 私たちは、この謗法厳誡の精神を忘れることなく、また外護の任を果たすべく、御本尊様に真心から御供養を申し上げていくことが肝要です。

 親族の折伏と育成の大事

 大聖人様は本抄において、
「ちゝかた〈父方〉、はゝかた〈母方〉のるい〈類〉をもすくい給ふ人となり候ひぬ」
と仰せられています。これにより池上兄弟の父方・母方の親族が大聖人様に帰依したことがうかがえます。
 池上兄弟は大聖人様に帰依して約二十年間、極楽寺良観の策謀によって父親から兄宗仲が勘当されるなど、様々な難や迫害に遭いましたが、どのような状況にあっても、大聖人様の御教示に従い、一族への折伏を怠りませんでした。
 二人は『兄弟抄』の、
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず」 (同九八六)
との御言葉を心に刻み、また同抄に、
 「一〈ひとり〉もかけなば成ずべからず。譬へば鳥の二つの羽、人の両眼の如し。又二人の御前達は此の人々の檀那ぞかし」(同)
とあるように、兄弟、夫婦が力を合わせて信心を貫き通し、困難を乗り越えて折伏を実践したのです。
 また、本抄に、
 「とのゝ御子息等もすへの代はさかうべしとをぼしめせ」
とあるように、子供たちにも信心の大事を説き、正法を受持させ、法統相続していることが判ります。
 このような池上兄弟の信仰姿勢は、現代の法華講衆の範とすべきものです。私たちも、親族をはじめ縁ある人々を折伏して正法に帰依させることで、自他共に幸せな境界を築いていくことができるのです。

  四、結  び

 私たちの周りには、謗法の害毒によって苦しみの境界から抜け出せずにいる人々がいます。
 そのような人々を一人でも多く救うため、いかなる障魔が競い起きようとも、それらにけっして屈することなく、さらなる折伏弘通に邁進していくことが大事です。そして、本門戒壇の大御本尊在す総本山へのご登山、所属寺院への参詣などに、一族・縁者がそろって精進してまいりましょう。
 御法主日如上人猊下は
 「本宗におきましては、受持正行、折伏正規、そして謗法厳誡ということを厳しく言っているわけです。我々は、この謗法に対しては厳しく破折をしていくのです。それは、その人を救うためだからです」(大白法 一一〇〇号)
と御指南されています。
 この「謗法に対しては厳しく破折をしていくのです」との御言葉を肝に銘じて、本年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山に参加した功徳をもって、それぞれがさらに、縁ある人の折伏を必ず成就してまいりましょう。

  次回は『治病大小権実違目』 (平成新編御書 一二三五)の予定です


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