大白法1112号 令和05年11月1日より転載

御書解説268 背景と大意

治病大小権実違目

御書1235頁



 一、御述作の由来

 本抄は、弘安元(一二七八)年六月二十六日、日蓮大聖人様が御年五十七歳の時、身延において認められ、下総国葛飾郡八幡庄〈やわたのしょう〉若宮(現在の千葉県市川市)の富木常忍に与えられた御手紙です。
 御真蹟は中山法華経寺(日蓮宗)に現存しており、また総本山大石寺には第六世日時上人の古写本が蔵されています。
 本抄の題号は、御真蹟の上書に、常忍が本抄の趣旨を要約して書いた標題によります。
 本抄の追伸には、常忍からの帷子〈かたびら〉や太田乗明等の人々から預かった品々など、四条金吾に託された御供養をたしかに頂戴した旨が記されていますが、門下を代表する信徒たちが一斉に大聖人様に御供養申し上げた理由については触れていません。大聖人様は前年末から下痢の症状があり、それがこの年の六月上旬にかけて悪化し、重篤な状況であったことが、同月三日の『阿仏房御返事』(御書一二二九)から拝されます。大聖人様の御病状を聞いた常忍や乗明等は、大聖人様の御体を案じ、皆で御供養をお送りすることにしたと考えられます。本抄は、その時に常忍が金吾に託した書状の返書です。
 なお、本抄と同日付けの『中務左衛門尉殿御返事』(同一二三九)と『兵衛志殿御返事』(同一二四一)によると、大聖人様の症状は、金吾の投薬によって六月下旬頃にはいったん和らぎますが、同年十一月二十九日の『兵衛志殿御返事』(同一二九五)によれば、その後、十月頃に再び悪化した様子が拝されます。

 二、本抄の大意

 冒頭、常忍の書状にあった疫病が大流行していることを挙げ、続いて、人の病には身と心の二つがあると示されて、身の病である四百四病は名医によって治るが、三毒・八万四千もの心の病は仏法でしか治せないと述べられます。
 しかし、心の病に軽い重いなどの浅深があるように、仏法にも小乗と大乗、権教と実教には勝劣浅深があり、これを正しく弁えて治療に当たらなければ病はむしろ悪化し、たとえ法華経を用いたとしても、行者が権実を雑乱していれば験〈しるし〉(効果)はないと説かれます。
 また、法華実教には迹門と本門の二経があり、この二経にも教主や弟子らに水火・天地の相異があると示されます。そして、これを明確に立て分けた人は釈尊の滅後に三国並びに一閻浮提に一人もおらず、わずかに天台大師と伝教大師が分けられたが、迹本二経の大事の法門がある中で本門の円戒については何も明確にしなかった。それは内面では知っていたが、一には時が来ておらず、二には機がなく、三には付嘱されていないからであると説かれます。
 さらに、末法今時は地涌の菩薩が出現して本門を弘通すべき時であるため、人々が小乗・権大乗・法華迹門によって疫病の平癒を祈念しても験がないと明かされます。そして、今日、小乗・権大乗・迹門を信仰する人々が大小・権実・本迹の勝劣に迷って、末法適時の実教である真の法華本門を誹謗し、その行者を憎むため、実教を守護する諸天善神が日本を罰して国に先代未聞の三災七難が起き、それが去年や今年、または正嘉の時代に起こった疫病や大地震等であると教示されます。
 次いで、二つの問答を示されます。
 まず、災難の興起が法華経の行者への迫害によるのであれば、どうして日蓮の弟子檀那が罹患したり死んだりするのか、との疑問を設けられます。それに対し、善神は法華誹謗の悪人を憎み、悪鬼は善人(法華経の行者)を憎むゆえに、善神が少なく悪鬼が充満する末法では日蓮の弟子檀那のほうが多く病むのが道理であると述べられつつ、日蓮の弟子檀那の被害が念仏者等の謗法者よりも少ないのは信心強盛なるゆえであると答えられます。
 次に、先代の日本国にもこうした疫病等があったのかとの問いに対し、日本における疫病等の三災七難の先例を挙げられると共に、仏教伝来以後の災難は特に仏法内の乱れから起こると答えられます。
 その上で、この三十年来(当時)の災難は、日本一同に法華本門を弘通する日蓮を憎み大瞋恚の心を起こしたことが原因であり、この災難を対治する方途は諸宗と勝負を決して、人々が法華本門を崇敬する以外にはないと説かれます。
 続いて、三障四魔が天台や伝教よりも大聖人様に競い起きていることについて、一念三千の観法に理と事の二つあり、像法の天台・伝教等が説いたのは理で、末法に日蓮が弘通するのは事であるから、日蓮の観法が勝るゆえに大難も盛んになると教示されます。
 最後に、天台等は迹門の一念三千、日蓮は本門の一念三千であり、そこには天地の相異があるため、臨終の時は心の病が本門・事の一念三千でなければ治らないことを心得ておくよう仰せられ、本抄を結ばれています。なお、追伸には、常忍らが四条金吾に託した御供養の品々をたしかに受け取ったことが記され、次いで本抄に認めた法門の一端は金吾宛の書状にも書いたので、見せてもらうよう記されています。

 三、拝読のポイント

 災難興盛の原因と対治の方途

 本抄では、疫病等の三災七難が起きた原因は、ひとえに上下万民が末法適時の本門を弘通する大聖人様に大瞋恚を起こして誹謗・迫害したためであると述べられています。
 また大聖人様は、人々がなぜ大瞋恚の心を懐いたのかについて、諸宗の僧は大聖人様に屈すれば国主からの帰依を失い、国主も権力維持のために人数の多いほうに付き、あるいは上代の国主が崇拝した仏教を改めることができなかったからだと指摘されています。
 そして、こうした原因によって起こる疫病等の災難を対治する方途を、本抄に、
 「結句は勝負を決せざらむ外は此の災難止み難かるべし」
と仰せです。
 つまり、疫病等の三災七難は謗法によるため、その謗法を正法によって責める破邪顕正の折伏が、心の病の唯一の治療法にして災難対治の根源的な方途と説かれているのです。
 したがって、私たちは『立正安国論』等に示された破邪顕正の精神を忘れることなく、謗法による害毒から人々を救うため、邪宗邪義の人々を勇猛果敢に折伏していくことが大事です。

 真の事の一念三千

 本抄において大聖人様は、一念三千に天台・伝教等の迹門理の一念三千と、大聖人様の本門事の一念三千とがあることを仰せられ、末法に流布される本門事の一念三千を天台等が説けなかった理由を、
 「一には時来たらず、二には機なし、三には譲られ給はざる故」
と教示されています。
 天台大師は、法華経迹門『方便品』の十如実相に約して理の一念三千を明かし、本門寿量品の因・果・国の三妙合論に約して事の一念三千を説きましたが、これは文上脱益の法華経における一念三千に他なりません。像法の天台は、末法の時と本未有善の衆生の機、そして釈尊からの結要付嘱がないために末法における事行の一念三千の南無妙法蓮華経を説くことができなかったのです。
 故に『観心本尊抄』には、
 「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く之を行ぜず」(御書 六六〇)
と教示されています。
 また、『本因妙抄』には、
 「一代応仏のいきをひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八四)
と御教示です。
 文上脱益の法華経における迹本二門は共に迹門・理の一念三千であり、ただ大聖人様の文底下種の法華経すなわち独一本門こそが、真の事の一念三千、事行の南無妙法蓮華経となるのです。

 四、結 び

 御法主日如上人猊下は、
 「不幸の根源である邪義邪宗の謗法を放置したまま、破折もせず、折伏をしなければ、未来永劫にわたる真実の幸せを獲得することはできない」(大白法 一一○一号)
と御指南されています。
 私たちは、勤行唱題・折伏育成という自行と化他行の実践の中にこそ、国土の安寧と自他共の即身成仏の大道があることを銘記して、信行に精進してまいりましょう。

 次回は『中務左衛門尉殿御返事』(平成新編御書 一二三九)の予定です。


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