大白法1162号 令和07年12月01日より転載

御書解説284 背景と大意

出家功徳御書

御書1371頁 別名 一四句偈功徳書



 一、御述作の由来

 本抄は、弘安二(一二七九)年五月、日蓮大聖人様が御年五十八歳の時、身延で認められた御手紙です。御真蹟は現存しません。
 本抄の対告衆については不詳ですが、冒頭の御文から、還俗、すなわち、出家した身を捨てる心を生じた弟子に宛てたものと考えられます。
 大聖人様の門下は破邪顕正の折伏弘通によって、大聖人様はもとより、弟子檀越もたびたび迫害を受けていました。こうした状況のなか、本抄を著された弘安二年当時、退転には至らないものの還俗の念を懐く弟子がいたのです。その直接的な原因は、本抄に「悪縁」とあるのみで不明です。
 この弟子に対し、出家の大きな功徳と還俗の罪の重さを説示し、大慈大悲の上から改悛を促されたのが本抄です。

 二、本抄の大意

 冒頭、内々に還俗したいとの心を生じている弟子のことを耳にされ、本当のことか虚言か心配であるため一筆書いたと、御述作の趣旨を示されます。
 次に、世俗の生家を出て僧侶になることは必ず父母を助ける道であり、その功徳がいかに大きいものであるかを、次の三つの経典を引いて説示されます。
 すなわち『出家功徳経』に、「高さ三十三天に及ぶほどの百千の塔婆を建てるよりも、一日出家した功徳の方が勝れる」(大正蔵四巻三七六b)と説かれること。
 『大集経』に、「出家して髪を剃り袈裟をかける僧侶の姿には天魔も恐れをなす」と説かれていること。
 また『一経』の、「海辺を通った人が喜び躍る餓鬼を見て、その理由を尋ねると、『自分の七代末の子孫が今日出家したため、その功徳によって生死を繰り返す迷いの世界を離れることができるから喜ばしいのだ』と答えた」との説を挙げられています。
 その上で大聖人様は、出家には我が身のみならず、上無量の父母をも助ける功徳があること。またに人身を受けることは難しいが、その人身を受けても出家となることは、さらに難しいと述べられます。
 続けて、それにもかかわらず悪縁に触れて還俗の思いが起こることは、金や薬を捨てて石や毒を取るように浅ましいことであり、自分が悪道に堕ちるばかりでなく六親・眷属までも悪道に導くことになると誡められます。また、出家の道を違えなければ十羅刹女の守護も堅く、違えたならば諸天善神もその者を捨てるのが道理であると示されます。
 さらに『大勢至経』を引かれて、薫発(過去世に修した善根が外面に発露すること)して出家した者が還俗するならば、五逆罪を犯した人よりも罪深く大地獄に堕ちると述べ、還俗を思いとどまるよう諭されます。
 重ねて、我が身は父母の肉身を分けた身であるため、その身を損ずることは父母の身を損ずることになるとの道理を心得て、親の仰せに随うことを孝行といい、それに背くことを不孝という、と諭されます。
 そして、心にどのような考えが起きたとしても、一生涯出家の身であれば自然と仏天の冥加もあるが、この理に背いて還俗すれば、現当二世にわたり仏天の御罰を蒙ると説示され、最後に、身は無智無行であっても出家であるならば故郷の人も私も喜び、ましてよき僧侶になればなおさらのこと。詳しいことは追って伝えると述べられ、本抄を結ばれています。

 三、拝読のポイント

 疑う心なくば、自然に仏界に至るべし

 本抄の弟子が、発心して出家したものの還俗の念を懐くようになったのは、悪縁に触れて求道心が弱くなったからと考えられます。
 大聖人様の御在世中、弟子や檀越のなかには、悪縁に触れるなどして信心が弱くなり、あろうことか退転した者もいました。その原因は、大聖人様が『聖人御難事』に、
 「なごへの尼・せう房・のと房・三位房なんどのやうに候をくびゃう、物をぼへず、よくふかく、うたがい多き者ども」(御書一三九八)
と示されるように、折伏弘通による迫害で臆病になったり、欲深いために名聞名利に流されたり、正法を疑ったりしたためです。
 大聖人様は『開目抄』に、
 「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。
 天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし」(同五七四)
と教示されています。
 諸難が起きても疑う心がなければ自ずから仏界に至ると日頃は信じていても、信心の拙い者は災難が起きた最も大切な時に、それを忘れてしまうとの仰せですから、私たちはいかなる大難に遭おうとも、疑う心なく御本尊様を信じ抜くことが肝要なのです。

 出家と法衣の功徳

 釈尊は出家の功徳が大きいことを『賢愚経』に、
 「須弥より高く大海より深く虚空より広し」(大正蔵4-376b・国訳一切経本縁部七巻一五六)
と説示されています。
 また、その上で、
 「人の出家を聴〈ゆる〉し若しは自ら出家すれば功徳最も大なり」(大正蔵4-376c国訳一切経本縁部七巻一五七)
と説かれるように、自分が出家するのみならず、例えば自分の子供に出家という発心の姿があれば、それを許す功徳も大きいのです。
 さらに、出家した御僧侶が身に着ける法衣(袈裟・衣)についても、
 「法衣は三世の諸仏等のしるしであるため、もし人々が法衣を着る僧侶に悪心を起こして向かえば、その人は三世の諸仏等に悪心を持つことになり、無量の罪障を負うことになる(趣意)」(大正蔵4-438a・国訳一切経本縁部七巻三五九)
とも説かれています。
 しかし、総本山第二十六世日寛上人は『法衣供養談義』に次のように仰せです。
 「問うて云わく、自他宗の袈裟等に此の功能有るや。答えて云わく、功徳の浅深は天地水火なり(中略)一滴と大海と、一塵と大山と、沙と金と、星と月との如し・况んや復彼々の宗々は謗法の罪あり(中略)皆是れ法華誹謗の大罪なり。故に知んぬ、『其の人命終して阿鼻獄に入らん』の袈裟衣なり」(日寛上人御述作集四三五)
 つまり、諸経典に法衣の功徳が説かれているものの、受持する教法の正邪によって、その功徳は本宗と他宗とで天地水火の浅深があるのです。しかも、他宗の僧侶は法華誹謗の大罪を犯しているため、いかに豪華絢爛の法衣を着用しようとも、堕地獄必定の法衣と知るべきなのです。

 四、結び

 現在の創価学会は、第二祖日興上人を押しのけて、在家教団の創価学会こそが僧宝であると宣言しています。また、近年発刊した創価学会の『御書全集(新版)』では、「会員の信行に資さない」との身勝手な理由から、本抄をあえて不収録としました。
 本抄を拝すれば、創価学会の「僧侶不要論」や「学会僧宝論」が、大聖人様の御聖意に背く大謗法であることは明らかです。
 御法主日如上人猊下は、『生死一大事血脈抄』の、
 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」(御書五一四)
との御文を引かれて、
 「これは、僧宝たる法主のもと、僧俗が固く団結し、異体同心に南無妙法蓮華経と唱え奉るところに、個々の成仏がかなう生死一大事の血脈がありまして、そこに広宣流布の要諦があるとの御教示であります」(大白法九六八号)
と仰せです。
 本宗の信仰の基本は、御本仏日蓮大聖人と本師(血脈付法の御歴代上人)、本師と小師(所属寺院の御住職・御主管)、小師と信徒という師弟の筋目を重んじます。この師弟相対の信心に住することで、初めて即身成仏の大功徳に浴し、広宣流布の大願も成就するのです。
 私たちは、僧宝たる御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、指導教師を日頃の信心修行における直接の師と敬い、僧俗一致・異体同心して折伏行に励むことこそ、大聖人様の御意に適った仏道修行であると銘記いたしましょう。

  次回は『蒙古事』(平成新編御書一三七八)の予定です


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