令和5年1月 御講拝読御書

大悪大善御書

御書796頁 別名・大善大悪御書


御真蹟の所在

 本書は、御真蹟が大阪府堺妙国寺(日蓮宗中山門流)にあるとされる御書で、宛名などはなく、対告衆は不明。
 本書が初めて収録されたのは、『縮冊遺文』の第一続集であるが、初めて系年を判断したのは『昭和定本』の編者である鈴木一成であろう。地涌上行菩薩の出現に言及されるといった内容や、あるいは筆勢などから、文永12年頃の御書と判断したものと推測される(昭和定本877)。それ以後は特に手がかりもなく、その系年が踏襲されている。
 今日まで御真蹟の写真は公開されていない。『日蓮仏教研究』創刊号の、都守基一のレポート(平成18年4月22日)に、
 「諸氏と合流して本山妙国寺を参拝。宗祖御真筆など重宝の数々を親しく拝見させて頂きました。立正安国会『日蓮大聖人御真蹟対照録』や法蔵館『日蓮聖人真蹟集成』に載っていない『大善大悪御書』(『昭和定本日蓮聖人遺文』八七七頁)の真蹟一紙十二行も見ることができました(万一模写であっても真績の臨写と確信できた)。」(該書116)
とあり、「万一模写であっても」という記述から、真蹟そのものとは断定できないという心証が読み取れ、今日まで写真公開されていない事実と考え合わせても、妙国寺に真蹟は存在しないものと推測される。(堺市立博物館に所蔵されているというのは誤情報のよう。)ただし「真績の臨写と確信できた」ともあるので、都守の言を信用するならば、内容を御書として扱うことには問題ないようである。

本書の概要と対告衆の検討

 本書では、謗法を元凶とする三災七難は、末法に地涌上行菩薩が出現する前兆なのであるから、歓喜してその出現を待つよう信心を激励する内容となっている。
 大聖人御自らが地涌上行菩薩の再誕であることには言及せず、表面的には、これから出現するとしているところに、いまだ大聖人の御内証について理解が及んでいない人物に対しての御教示であることが伺われる。信仰的な距離感としては、富木常忍あたりが考えられるだろうか。「各々」と、複数形の表現も見られることから、大田・曽谷氏なども含まれるかもしれない。
 竜口法難を目の当たりにした四条金吾に対しては、刑場を寂光土とする教示など、もう少し核心を突いた表現もある。
 地涌の菩薩の出現に言及される内容は、佐渡以後に顕著となる。『観心本尊抄』では、
「此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り。正像に未だ出現せず、末法にも又出で来たりたまはずば大妄語の大士なり。三仏の未来記も亦泡沫に同じ。此を以て之を惟ふに、正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむべき先兆なるか」(御書661)
と、正嘉の大地震や大彗星が地涌の菩薩の末法出現の前兆であるとしながらも、大聖人自らが地涌上行菩薩の再誕であることには言及されていない。こういった趣旨は、本書と共通するものである。

以下本文通釈

「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なに(何)をかなげ(歎)かせ給ふべき。」

 (末法に上行菩薩が出現し、結要付嘱の大法を弘通するという)大事が起こる際には、小瑞など起こることはない。(必ず大地震などの大瑞相が現れるはずである)また、大悪が起これば必ず大善が来る。大悪としての大謗法が蔓延っているのは、大善である大正法が弘まるべき前兆でもある。
(すなわち正嘉の大地震などの三災七難は、日本国中の大謗法が原因となって起こっているものであるが、視野を変えれば、三災七難それ自体が、大事・大善の起こるべき瑞相なのである。)
 大謗法・三災七難が大事・大善の瑞相・前兆であることを理解すれば、今現在の状況は嘆くべきではなく、むしろ歓喜踊躍すべきである。

「迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてをどりぬべし。」

 迦葉・舎利弗は、二乗として長らく成仏できないと教えられてきた。しかし、法華経の会座における開三顕一の説法により、仏子であることを理解し、仏より成仏の記別を受けて大いに歓喜踊躍したのである。(譬説周の迦葉は信解品第四の冒頭(法華経185)、法説周の舎利弗は譬喩品第三の冒頭(同128)でそれぞれ歓喜踊躍した。)今また末法の我々は大悪を目の当たりにして、迦葉・舎利弗と同じように喜ぶべきである。

「上行菩薩の大地よりいで給ひしには、をどり(躍)てこそいで給ひしか。」

 三災七難や大謗法の蔓延が、上行菩薩の末法出現、大正法の弘まるべき瑞相であると理解し、歓喜踊躍して信心に励んでいればこそ、必ず上行菩薩は出現されるであろう。

「普賢菩薩の来たるには、大地を六種にうごかせり。」

 普賢菩薩勧発品第二十八の冒頭(法華経596)には、普賢菩薩が東方から来たる時、普く大地が振動したと説かれている。また華厳経(大正蔵9巻630b・国訳大蔵経経部6巻548)では、普賢菩薩の説法の際「東涌西没、西涌東没、南涌北没、北涌南没、辺涌中没、中涌辺没」の六種の震動があったと説かれている。(普賢菩薩の出現でさえ大地が震動したのであるから、地涌の菩薩の出現にはさらに大きな震動・瑞相が現れて当然である。)


「事多しといへども、しげきゆへにとゞめ候。又々申すべし。」

 色々申し上げたいことは多くあるが、きりがないのでこれで止めます。また折々申し述べます。

以上

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