仏教用語の解説(2)大白法0971 平成29年12月16号
  四苦八苦


 四苦八苦とは、私たちが生活していく上で避けて通ることのできない苦しみです。
 誰もが必ず大なり小なりいろいろな悩みや問題を抱えており、苦しみから離れた生活はないと言えます。
 『法華経譬喩品第三』には、
 「三界は安きこと無し 猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし 常に生老病死の憂患有り 是の如き等の火熾然として息まず」(法華経168)
とあり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の衆生が業の因縁によって輪廻転生する欲界、色界、無色界の三界は、衆生の煩悩により苦悩が充満した世界であるとされています。その煩悩は家を焼き尽くす炎の如きものであり、その中で暮らす衆生は安まることがないのです。
 釈尊が出家を決意する動機となった一つに、四門出遊の説話があります。釈迦族の王子であった釈尊は、迦毘羅衛城の東門から出ると老人に会い、南門から出ると病人に会い、西門から出ると死者に会いました。王子は、生あるものは必ず老・病・死の苦しみから逃れることができないという無常を感じました。そして北門から出たところで一人の沙門(出家者)に会い、その清浄な姿を見て、出家の意思を固められたと言われています。
 四苦とは根本的な苦しみである生老病死の四つの苦しみ、八苦は四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四つを加えたものです。四苦八苦の内容は次の通りです。
一、生苦・生まれることの苦しみ
二、老苦・老いる苦しみ
三、病苦・病にかかる苦しみ
四、死苦・死ぬ苦しみ
五、愛別離苦・愛する者と別れる苦しみ
六、怨憎会苦・憎む者と会う苦しみ
七、求不得苦・求める物を得ることができない苦しみ
八、五陰盛苦・五陰(衆生の色心を表わす色・受・想・行・識)が盛んになることによって生じる苦しみ
 私たちが生活の上で感じる苦しみや悩みは、人によって異なりますが、およそこの四苦八苦に大別されます。

 苦悩の原因と解決法

 『大智度論』に、
 「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く(中略)仏の大慈大悲は真実に最大なり」
とあるように、仏は苦悩の根本原因を悟り、衆生の苦悩を除くため、大慈大悲をもって様々な教えを説かれました。
 苦悩の原因は、衆生の心に必ず存在する煩悩によります。煩悩が生じることにより悪業を積み、そこから結果として苦を生じます。そしてまたその苦から煩悩が増長するという悪循環により、苦しみの境界から抜け出せなくなるのです。
 それに対し仏は、苦の原因となる煩悩を除くためには善業を修し、よい果報を得ていかなければならないとして、因果の理法を示されました。
 また、衆生の生命は今生一生限りではなく、三世永遠であると示し、今生・後生によい果報を得るために何をなすべきか、そのための方法を説かれたのです。
 しかし、釈尊の説かれた仏教は正法時代、像法時代〔*1〕の本已有善〔*2〕の衆生のための教えであり、末法の本未有善〔*3〕の衆生はその教えに従っても苦しみがなくなることはありません。
 日蓮大聖人は『報恩抄』に、
 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(御書 1036)
と仰せられ、本未有善の衆生は、末法の御本仏である日蓮大聖人が唱え出だされた題目を唱えることにより、その功徳によって苦しみの境界から抜け出せることを示されています。

 唱題で苦を取り除こう

  『立正安国論』に、
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(同 234)
とあるように、世間に目を向ければ、戦争や災害が絶え間なく起こり、また連日のように悲惨な事件や犯罪があり、不幸な出来事が起こり続けていると言えます。
 これらの原因は、衆生が己の煩悩に任せ、目先の利益や執着によって自分勝手に振る舞い、さらに我見をもって様々な宗教・思想に毒され謗法の悪業を積んでいるところにあります。
 人々が正法に背いて様々な悪法を崇めることにより、世の中が乱れ、国土が乱れ、そこに住む衆生は、より苦しむことになるのです。『一生成仏抄』に、
 「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり」(同 46)
と、衆生が迷い苦しむ国土は自ずと乱れ、正法を受持する清い心の衆生の国土は浄土となる。国土が浄土になるか、根土になるかは、そこに暮らす衆生の心の善悪によるのであると教示されています。
 また『四条金吾殿御返事』に、
 「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや」(同 991)
と示されています。
 私たちは生活していく上で、様々な苦しみと向き合わなければなりません。その際、しっかりと御本尊に題目を唱え、苦楽を達観した仏の境界に立ってこそ、苦しみや困難を乗り越えていくことができるのです。
 日蓮大聖人の仏法を知らない人々は、自分自身が本当に苦しみから抜け出し、幸せになるための方法を知りません。また国土に蔓延する苦しみから自身一人だけが逃れ、幸福になることなど絶対にできません。
 それは、自分自身の幸せを願うだけの信心は、大聖人様が仰せの仏道修行とはならないためです。
 日々の真剣な勤行・唱題に励み、慈悲の心をもって折伏と育成に精進し、自他共に幸福な人生を歩める仏国土を築いてまいりましょう。

*1正法時代、像法時代(末法時代)
 釈尊は、自らの入滅後に仏法が衰えていく様相を、「正法時代」(釈尊滅後千年)、「像法時代」(その後の千年)、「末法時代」(像法時代の後、万年)と三つの時代に分けた。正法時代は釈尊の教えが正しく伝わる時代で、迦葉・阿難・竜樹・天親等の人師論師が小乗教や権大乗教を弘めた。像法時代は教えや修行の形のみが正法時代に像ており、天台大師・伝教大師等が法華経迹門の教えを弘めた。そして仏滅後二千年が過ぎて釈尊の仏法が効力をなくし、人々の心が荒廃し争い合い、仏法を修行しない者が充満する末法時代には、御本仏日蓮大聖人様が出現され、南無妙法蓮華経を弘められた。
*2本已有善 既に善根を有している機根を言い、前に仏法の種を植えられた正法・像法時代の衆生。
*3本未有善 未だ善根を有さない機根で、仏となるべき種を持たない末法の衆生のこと。

  次回は、「仏性」について掲載の予定です


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