仏教用語の解説(3)大白法0973 平成30年01月16号
  仏 性


 仏性とは、衆生に具わる仏としての性分や、成仏の可能性を意味します。
 仏性と同義の言葉として如来蔵や仏種という言葉もあります。如来蔵とは如来を蔵するの意で成仏の因のこと、仏種とは仏になる種という意味です。

 煩悩に覆われた仏性

 釈尊は法華経において、一切衆生は仏の子供であり父の釈尊と同じように仏としての性分を具え、成仏できることを明かされました。また涅槃経では、
 「一切の衆生に悉く仏性あり」(大正蔵12-402c・涅槃部1-146)
と、すべての衆生が仏性という成仏の因、成仏の種を持っていることを説かれました。しかし一方で、
 「衆生の仏性も、亦復是の如し。常に一切の煩悩に覆われて見ることを得べからず(中略)善男子、是の如く菩薩、位十地〔*1〕に階〈のぼ〉るだも、尚了了に仏性を知見せず。何に況んや声聞・縁覚の人にして、能く見ることを得んや」(大正蔵12-411c・涅槃部1-175〜6)
とあります。つまり、衆生に本来具わっているはずの仏性は、煩悩に覆われて見ることができず、別教の十地という高い境界の菩薩ですら知見することができないのであるから、声聞・縁覚の二乗も当然見ることはできないのであると、仏性を顕わして成仏することの難しいことを示されています。

 敗種

 一般的に小乗仏教では、衆生自らが仏になることを説かず、阿羅漢果〔*2〕を得て灰身滅智〔*3〕し、身心を無に帰するとされますので、仏性という概念がありません。
 一方、大乗仏教では仏性という概念を示しますが、法相宗などでは機根によって成仏できるかできないかは予め決まっており、絶対にそれを変えることはできないと主張します。(五性各別)
 これは、法華経以前の爾前経には二乗や女人の成仏を説かないため、爾前経によって宗旨を立てる宗派では、自ずと成仏できない機根があるとされるのです。
 従って、爾前経における二乗の仏性・仏種は、絶対に成仏の芽が出ない焼いた種や腐った種の意で、敗種と言われます。

 法華経における仏性

 『法華経方便品』には、
 「若し法を聞くこと有らん者は一〈ひと〉りとして成仏せずということ無けん」(法華経118)
と説かれ、法華経を信受するすべての衆生は、法華経の功徳によって必ず成仏できると説かれました。
 そして、爾前経ではけっして成仏することができないとされてきた二乗、女人、また五逆罪を犯して必ず無間地獄に堕ちるとされた一闡提の提婆達多でさえも成仏できると説かれました。
 本当の意味での仏性、一切衆生の成仏が法華経において明かされたことにより、初めて十界互具・一念三千が確立されたのです。

 三因仏性

 天台大師は法華経の理をもとに、仏性を三つの側面から捉え三因仏性を説きました。三因仏性とは、
@正因仏性(すべてのものに具わる一念三千の理)
A了因仏性(理を照らす智慧)
B縁因仏性(智慧を起こすための善行)
という三つです。衆生は修行を積み、智慧によって仏性を開発〈かいほつ〉していくことにより成仏するとしたのです。
 そして妙楽大師はさらに、
 「一草一木、一礫一塵、各々一仏性、各々一因果ありて、縁了を具足す」
と説き、草木や石ころ、塵一つまで、一念三千の諸法、法界全体が正・了・縁の三因仏性を具えた仏の当体の一部であり、成仏することができると、さらにその意義を徹底したのです。

 仏性を顕わすには

 天台大師が説いた三因仏性は智慧によって仏性を開発するという教えですが、大聖人は「以信代慧」と説かれ、末法には一分の智慧がなくても信によって行を起こすことで顕われると説かれます。
 そして末法における仏性を現実に顕わすための行とは、『法華初心成仏抄』に、
 「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ」(御書1320)と、末法の御本仏日蓮大聖人が御図顕された御本尊に対して御題目を唱える時、篭の中の鳥が、空飛ぶ鳥の鳴き声に誘われて外に出ようとするように、我が命に具わる仏性が自ずと顕われるのであると説かれています。

 不軽の跡を紹継す

大聖人は『聖人知三世事』に、
 「我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」(同 748)
と示されています。
 不軽菩薩とは、『法華経常不軽菩薩品第二十』に説かれている菩薩で、
 一切衆生に尊い仏性が具わることを知り、在家・出家を問わず、すべての人を礼拝したという菩薩です。
 不軽菩薩が礼拝した人は、不軽菩薩を悪口罵詈し、杖や瓦石をもって迫害しました。不軽菩薩はそれでも礼拝行を止めず、逆縁ではありましたが衆生を成仏に導こうとされました。
 末法の一切衆生も皆等しく仏性を具えています。しかし多くの人は間違った教えや思想によって苦悩に喘ぎ、仏性を顕わせずにいます。
 大聖人はそうした衆生を成仏させるために、不軽菩薩と同じように順縁・逆縁を問わず、すべての衆生を折伏し、導こうとされたのです。
 現在の宗門は、こうした大聖人の御心のままに、御法主日如上人猊下御指南のもと、平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築をめざして大前進をしています。
 私たちは日蓮大聖人の教えを正しく受け継ぐ、真の仏子であるという自覚のもとに、折伏・育成に精進してまいりましょう。

*1 十地(の菩薩)
 別教では菩薩が仏になるために、五十二位の段階があるとされる。十地とは、四十一番目から五十番目の位を言い、見惑・思惑・塵沙惑といった無数の煩悩を断じて、さらに一分の無明惑を断じて円教の十住位に到った断無明の高位の菩薩。
*2阿羅漢果
 小乗の最高位、見惑・思惑の煩悩を断じ尽くした位。
*3灰身滅智
 十界のうち、地獄界から天上界までの六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天上)の衆生は死んでもなお六道を輪廻し、苦しみの境界を抜け出せないとされるが、声聞界・縁覚界の二乗の衆生は身心を無に帰して三界から解脱し輪廻の苦しみを離れることをもって最高の悟りとする。身を灰にし、智を滅する境界なので灰身滅智と言う。




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