仏教用語の解説(4)大白法0975 平成30年02月16号
  追善供養


 追善供養とは

 追善供養とは、故人の冥福を祈るために追って善行を修することです。
 日蓮正宗では、正しい御本尊を中心として、法要・塔婆の建立・墓参などを行い、その功徳をもって故人の抜苦与楽・仏道増進に資するのです。

 回向の道理

 回向とは自分自身の積んだ功徳善根を他に廻らせ、向かわしめることです。この回向の道理により、願主の積んだ善根が亡き精霊に向かい、利益することになります。
 この回向の大事を示す例に、目連尊者の故事があり、『仏説盂蘭盆経』に詳しく説かれています。
 目連は釈尊の弟子の中でも神通第一と言われた弟子です。ある時目連が神通力をもって亡き母の姿を見たところ、母は慳貪の罪により餓鬼道に堕ち、骨と皮だけになっていました。目連は神通力によって母に食べ物を送りますが、母が食べ物を口に入れようとするとすべて炎となり、かえって母を苦しめるばかりで、どうすることもできませんでした。
 つまり、神通力では母の宿業を浄化することができなかったのです。
 目連が釈尊に教えを請うたところ、夏安居〔*1〕が明ける七月十五日に十方の聖僧を招いて供養すれば、その功徳の一端が母に及ぶであろうと指南され、目連がその通りにしたところ、母は一劫の間、餓鬼道の苦を脱れたということです。(大正蔵16-779・経集部14-436)
 この話は、孟蘭盆会の起源として一般的に知られています。
 神通第一の目連でさえも、自らの神通力ではなく、聖僧に供養した功徳によって母の苦を除くことができたのです。

 追善供養の功徳

 『新池殿御消息』には、子供を亡くした新池殿が追善供養のため、日蓮大聖人にお米を御供養したことが記されています。
 それに対し大聖人は、
 「竜は一の水を手に入れて天に昇りぬれば三千世界に雨をふらし候。小善なれども法華経に供養しまいらせ給ひぬれば功徳此くの如し。(中略)法華経の行者を供養せん功徳は、無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候なり」(御書1363)
と仰せられ、一滴の水を手に入れた竜がたくさんの雨を降らせるように、たとえわずかな志であっても、法華経に対する供養は無量の功徳となって亡き子に及び、さらに末法にあって法華経の行者たる日蓮大聖人を供養する功徳はあらゆる仏を供養する功徳に勝れると教示されています。
 逆に、
 「阿弥陀仏や大日如来、達磨など、謗法に対する供養は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる原因である(趣意)」(同 1364)
とも仰せです。
 また『御義口伝』には、
 「今日蓮等の類聖霊を訪ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ(中略)法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪はんに豈此の義に替はるべきか」(同1724)
とあり、提婆達多が仏の光明に照らされて成仏したように、たとえ無間地獄に堕ち苦悩に喘ぐ人がいたとしても、成仏することができるのです。したがって孝子が正法を受持し追善供養すれば、必ず成仏できると御指南されています。

 塔婆建立の意義

 本宗では追善供養の際、塔婆を建立してその功徳を故人に回向します。
 塔婆は詳しくは卒塔婆と言い、釈尊をはじめとする諸仏の入滅後にその舎利(遺骨)を安置して、その仏徳を供養するために建てられた仏塔(ストゥーパ)に由来します。
 塔婆の形は五輪(地水火風空)を象っていますが、本宗おいては妙法蓮華経の五字を意味しています。
 法華経『法師品第十』には、
 「舎利を安んずることを須いず。所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有す」(法華経 326)
と、仏の滅後には仏舎利を安置し供養するのではなく、法華経に如来の全身が具わっているのであるから、法華経に対して塔を建てて供養するようにと記されています。
 大聖人は塔婆供養の意義について『草木成仏口決』に、
 「妙法とは有情の成仏なり、蓮華とは非情の成仏なり。(中略)我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(御書 522)
と教示されています。
 すなわち、五輪の塔婆に、妙法五字と故人の戒名を認めて開眼供養することにより、亡くなった人の霊を仏身に表わし、その功徳が故人に回向されるのです。

 追善供養の実践

 追善供養の実践には、先に述べた塔婆供養が最善の方法です。
 塔婆供養は、故人の命日忌や回忌法要の他、お盆、お彼岸、毎月の御経日などの機会に寺院に申し込んで建てることができます。
 さらに、墓地がある場合は、墓地に塔婆を持参して読経・唱題を行うこともできます。その際の塔婆の建て方について、総本山第九世日有上人は『化儀抄』に、
 「一、卒都婆を立つる時は大塔中にて十如是自我偈を読みて、さて彼の仏を立つる所にて、又十如是自我偈を読むべし」
と御指南されています。総本山及び各寺院の墓地においては、まず中央の三師塔にお詣りしてから、各自の墓前に向かいます。
 また、本宗では古来「常盆・常彼岸」と言われ、朝夕の勤行などでも毎日、先祖を供養することが重要であるとされています。さらに追善供養の本義は、正しい御本尊に対する、願主の信力・行力をもって故人の仏道増進に資することにあるのですから、追善供養のためには、まず私たち自身が、日々信心を錬磨していくことが大切です。

 成仏の根源たる題目

 塔婆に認められる題目及び本宗僧俗の唱える題目の根源の法体は、一大秘法の本門の本尊、すなわち総本山大石寺の奉安堂に在す本門戒壇の大御本尊です。
 したがって、塔婆に題目が認められていたとしても、日蓮大聖人の意に背き、大御本尊を信仰の対象としない他宗他派によって営まれる追善供養には、一分の功徳もありません。そればかりか、かえって故人を苦しめる結果となります。
 追善供養の実践は、故人はもちろんのこと、願主自身にとっても大きな功徳を積む機会となることを忘れずに、日々精進してまいりましょう。

*1夏安居
 安居とは、外出しないで一定の住居に留まること。インドで夏の雨期に当たる三ヵ月間(四月十六日から七月十五日)、僧侶は遊行を止めて一処に集まり、遊行中の罪の懺悔や経典の講説が行われた。


 次回は、「四悉檀」について 掲載の予定です。



目 次