仏教用語の解説(6)大白法0979 平成30年04月16号
  謗法厳誡


 「謗法厳誡」とは、謗法を厳しく誡めるとの意味で、古来、本宗の宗是として堅く持ち続けられてきました。

 謗法とは

 謗法とは誹謗正法の略で、正法に違背し誹ることです。一般的には大乗経に対する誹謗を言いますが、法華経『譬喩品』には、
 「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん(中略)若しは仏の在世若しは滅度の後に 其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん(中略)其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経 175)とあり、「此の経」、すなわち仏の真実の教えである法華経を誹謗することが、地獄に堕ちる謗法であると説かれています。
 さらに日蓮大聖人は『法華初心成仏抄』に、
 「末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給ふべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり」 (御書 1312)
と御教示されています。
 つまり、末法においては、大聖人が弘通される法華経の肝心たる南無妙法蓮華経のみが衆生を救済する正法となるため、これ以外のすべての信仰や、大聖人の仏法を信じないこと自体が謗法に当たります。
 この大聖人の立てられた正法の筋道を、ただ一人正しく御承継された方こそ第二祖日興上人です。本宗における謗法厳誡の宗是は、取りも直さず、日興上人の厳格なる御振る舞いに由来しています。
 すなわち、日興上人の申状には、
 「爾前迹門の謗法を対治し」(日蓮正宗聖典568)
と、爾前経や法華経迹門に依って立つ宗旨は皆、謗法であり対治すべきと断じられ、そのような法華経の本門と迹門との立て分けに迷う、五老僧〔*1〕らの邪義を厳しく破折されました。

 破邪顕正

 大聖人は『立正安国論』を著されて、国家の安寧のためには、そこに暮らす人々が正法を受持しなければならないと説かれました。この『立正安国論』の「立正」の二文字について、総本山第二十六世日寛上人は、「破邪顕正」の意義を含むと説かれています(立正安国論愚記・御書文段4)。
 正しく『安国論』本文の、
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書 241)
との御金言の通り、正法を立てるためには、間違った教え、すなわち謗法を破折することが不可欠であり、謗法の破折なくして正法が立つことはないのです。
 また『善無畏三蔵抄』には、
 「設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり。(中略)日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つべし、禅宗・真言宗も又謬りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし」(同 445)
と御教示されています。謗法を見過ごし、当たり障りなく、優しく人に接することは「軟語」、優しい言葉のようですが、実は人を悪道に堕とす非情の言葉となります。これに対し、謗法を破折するのは「強言」、強く厳しい言葉のようですが、人を成仏へと導く真実の優しい言葉となるのです。
 私たちは謗法を容認せず、常に慈念をもって折伏を行じていくことを心がけなければなりません。

 謗法与同を恐れる

 『秋元御書』には、
 「法華経の敵を見て、責め罵り国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕つべし。譬へば我は謀叛を発こさねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如し」(同 1453)
と仰せられています。
 これは、たとえ自身の信仰においては謗法を犯していなくとも、周囲の人々の謗法を認知していながらこれを放置するならば、共犯の罪に当たり、堕地獄の原因となるということです。このような周囲の謗法を看過する共犯の振る舞いを、大聖人は「与同罪」と仰せられ、固く誡められているのです。
 また、日興上人の『日興遺誡置文』には、
 「謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」(同 1885)
と、与同罪を恐れるが故に、謗法の寺社の主催する法要・祭礼には参加することのないよう誡められています。

 血脈違背は大謗法

 日興上人は『佐渡国法華講衆御返事』に、
 「案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」(歴代法主全書1ー184)
と御指南され、大聖人の後継者として血脈を一身に受け継がれる日興上人に背き、大聖人の直弟子であると主張する輩に対しては、大謗法であると厳しく咎められています。
 総本山第九世日有上人も、
 「其の筋目を違はば即身成仏と云う義は有るべからざるなり(中略)血脈に違うは大不信謗法なり、堕地獄なり」(有師物語聴聞抄佳跡・富要1ー247)
と血脈の筋目に違うことは大謗法であり、堕地獄であると厳しく御指南されています。
 つまり、たとえ大聖人の仏法を信じ、御本尊を拝むという姿があったとしても、血脈付法の御法主上人に背くことがあったならば、それは大謗法であると知らなければなりません。

 謗法厳誡

 大聖人は『曽谷殿御返事』に、
 「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらは必ず地獄に堕つべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(御書 1040)と御教示されています。この「漆千杯に蟹の足一つ」とは、千杯ものたくさんの漆があったとしても、そこに蟹の足が一つでも入れば、すべての漆が使い物にならなくなってしまうことを言われたものです。
 これと同じように、たとえどんなに法華経を信じる気持ちがあっても、たった一つの謗法があれば功徳善根はすべて無に帰し、地獄に堕ちてしまうのです。
 私たちは、御法主上人猊下の御指南に随順し、自ら謗法を犯さないことはもちろん、他の謗法を見たならば正義を示して導いていくことが肝要です。その自行化他の振る舞いこそが成仏への道となることを知り、なお一層の精進をしていきましょう。


*1五老僧
 日蓮大聖人が御入滅に先立って定められた六人の本弟子(六老僧)のうち、日興上人を除いた五人(日昭、日朗、日向、日頂、日持)のこと。日興上人は、日蓮大聖人から唯授一人の血脈相承を受けられて第二祖となられたが、五老僧は、大聖人の正義から離れ日興上人に違背していった。

 次回は、「娑婆即寂光」について掲載の予定です。


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