仏教用語の解説(11)大白法0993 平成30年11月16号
  九横の大難


 九横の大難とは

 九横の大難とは、九悩、九罪報とも言い、釈尊が在世に受けた九種類の横難のことです。「横難」とは道理に合わない、邪な迫害や不慮の災難を意味します。
 釈尊は、三十歳のとき、伽耶城近くの菩提樹下で悟りを開いて成道し、それ以後、鹿野苑で阿若 陳如ら五比丘〔*1〕に四諦・八正道〔*2・*3〕を説いたのをはじめとして、四十二年間にわたり衆生の機根に合わせた様々な説法をされました。
 そして七十二歳のとき摩訶陀国の霊鷲山において、法華経を説かれたのです。
 九横の大難は、釈尊成道以後から法華経の説法に至るまでに起こった迫害です。
 この説話のもとは『興起行経』・『大智度論』といった経論に見られ、名目には諸説ありますが、ここでは 『法華行者値難事』に挙げられた代表的な九種類を解説したいと思います。

孫陀梨が謗り……釈尊が外道の者に孫陀梨という外道の女性と関係したように吹聴され、誹謗されたこと。
婆羅門城の漿……釈尊が阿難〔*4〕と婆羅門城で乞食したが得られず、老女から臭い米のとぎ汁を供養され、それを見た婆羅門たちから「釈迦はあんな腐った物を食べている」と誹謗を受けたこと。
阿耆多王の馬麦……阿耆多王は釈尊と弟子を自国に招いたが、王は供養を忘れ、釈尊と弟子たちが九十日間、馬の飼料となる麦を食べて飢えをしのいだこと。
瑠璃殺釈……舎衛国の波瑠璃王に釈迦族の多くが惨殺されたこと。波瑠璃王の父波斯匿王は、騙されて末利夫人という釈迦族の賎しい身分の女性を娶らされ、波瑠璃王をもうけました。ある時、波瑠璃王が釈迦族の国へ行ったところ、「波瑠璃は奴隷の子」と軽蔑され、釈迦族に強い怨みを持ち続けました。王位についた波瑠璃王は、釈迦族の国へ軍隊を派遣し、釈迦族を皆殺しにしたとされます。
乞食空鉢……釈尊が阿難と婆羅門城に入った際、王が民衆に布施を制止したため、供養が受けられなかったこと。
旃遮女の謗……婆羅門の旃遮女が鉢を腹に入れて、釈尊の子を懐妊したと誹謗したこと。釈尊の名声 高まるにつれ、釈尊は他の宗教 修行者たちから歌嫉まれていきました。そしてある時、旃遮女という容姿端麗な婆羅門は、周りの修行者たちにそそのかされ、木の鉢を腹に入れて妊婦の格好をし、聴衆に「釈尊によって孕まされた子だ」と言いふらし、釈尊に対して「あなたはお腹の子の面倒を少しも見ない」と言い放ったのです。この時帝釈天の力により鉢を縛っていた紐が切れ、まとっている着物を風が吹き上げると、周囲の人は旃遮女を直ちに追い出したと言います。
調達が山を推す……調達(提婆達多)が釈尊を殺そうとして、耆闍崛山(霊鷲山のこと)の上から大石を投げつけたこと。釈尊は、この大石の欠片が足の小指に当たり、出血したと言われています。
寒風に衣を索む……冬至前後の八日間、厳しい寒風の中三衣を求めて寒さを防いだこと。『大智度論』には、この時の寒風は、竹を破るような寒さだったとあります。
阿闍世王の酔象を放つ……阿闍世王が提婆達多にそそのかされ、酒で酔わせた象を放ち、釈尊を踏み殺そうとしたこと。しかしこの酔象は釈尊の面前に出ると立ち止まり、膝を屈しました。

 大聖人の法難とその意義

 『如説修行抄』には、
 「本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今日蓮は二十余年の間権理を破るに其の間の大難数を知らず。仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気、遠国の流罪、竜口の頚の座、頭の疵等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争でか及び給ふべき」(御書 673)
と、末法の法華経の行者は、釈尊の九横の大難にも超え、竜樹菩薩・天台大師・伝教大師が到底及ばないような大難に値うと説かれています。
 すなわち大聖人の御生涯は、古来「大難四力度(伊豆配流・小松原の剣難・竜の口の頚の座・佐渡配流)・小難数知れず」と言われるように、法難に次ぐ法難の連続でした。
 しかし、末法の法華経の行者が大難に値うことは、法華経『勧持品』の二十行の偈に明確に説かれていることであり、経文通りの大難に大聖人が値われたということは、大聖人が身をもって法華経を読まれたということなのです(これを身業読誦と言います)。
 そして、大聖人が難に値われたという振る舞いは、釈尊の説いた法華経が真実であることを証明するのと同時に、大聖人が末法の法華経の行者、末法の御本仏としての御立場を顕わされたということに他なりません。

 成仏は持つにあり

 『四条金吾殿御返事』には、
 「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり」(同 775)
と、我々の成仏は法華経を持つことにあり、末法に法華経を持つ人は、必ず難に値うだろうと御示しです。
 私たちは自行化他の信心に励んでいく中で、様々な難に値うこともあるでしょう。その中には、苦しい思いをすることもたくさんあるでしょう。大聖人は『聖人御難事』に、
 「我等現には此の大難に値ふとも後生は仏になりなん・設へば灸治のごとし。当時はいたけれども、後の薬なればいたくていたからず」(同 1397)
と仰せです。
 現代の私たちが信仰をしていく上で値う難は、大聖人の御法難、釈尊の大難には到底、及びませんが、これを成仏への試練と心得て、「一心欲見仏・不自惜身命」の精神で唱題と折伏・育成に励んでまいりましょう。

*1比丘
 四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の一つで男性の僧侶のこと。
*2四諦
 苦・集・滅・道の四つの諦(真理)のこと。四聖諦とも言う。人生に様々な苦悩を集め作る原因(苦・集)と、それを滅する方法(滅・道)のこと。
*3八正道
 四諦のうち道諦の修行法で、修行の段階が八つに分かれるので八正道と言う。八聖道とも書く。
*4阿難
 釈尊十大弟子の一人。釈尊のいとこにあたる。釈尊の弟子として出家した後は常に給仕して、よく説法を聞いて記憶することに勝れていたことから多聞第一と言われた。

 次回は、「教外別伝・不立文字」について掲載の予定です


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