仏教用語の解説(15)大白法1001 平成31年03月16号
  六種の釈尊



 六種の釈尊とは

 仏教の開祖である釈尊は、三千年前のインドに出現し、八万法蔵と言われる数多くの教えを説かれました。その際、教法の高低浅深や化導の段階によって、教主である釈尊自身も、様々な仏身を顕わしたとされます。
 総本山第二十六世日寛上人は、『観心本尊抄文段』に、
 「『教主釈尊』の名は一代に通ずれども、其の体に六種の不同あり。
 謂わく、蔵・通・別・迹・本・文底なり・名同体異の相伝、之を思え」(御書文段 270)
と示されています。
 つまり本宗においては、相伝の上から、同じ釈尊でも、六種類(蔵教・通教・別教・迹門・本門文上・本門文底)があり、釈尊は化導の段階によって、徐々に真実の仏身を顕わしていったのであるとされるのです。

 仏身の不同

 法華経『信解品』に説かれる「長者窮子の譬え」では、仏を長者、衆生を窮子(貧しく流浪していた長者の子供)に響え、釈尊の衆生化導の段階と、その意義が示されています。
 「長者窮子の譬え」では、流浪していた子供が初めて父の姿を見たとき、到底父であるなどと理解できず、師子の座に座る立派な人物(父)を見て、逃げ出してしまいます。
 そこで長者は、やつれた使者を遣わして窮子を自分の元へ戻し、除糞の作業をさせたり、自らも汚い服を着て窮子に近づくなどしました。そして、徐々に子供を導き、最終的に父子の因縁を明かし、すべての財産・家督を譲りました。
 これと同じように、仏は方便によって衆生の機根に応じた種々の身を顕わすため釈尊の仏身に違いがあるのです。

 蔵・通・別・迹・本の仏

 十九歳で出家し、三十歳のとき伽耶城にほど近い菩提樹の下で成道した釈尊は、八十歳で入滅するまで五十年間衆生を教化しました。それを化導の時期で分類したのが五時(華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時)であり、教えの内容によって分類したのが化法の四教(蔵教・通教・別教・円教)です。
 蔵教の釈尊は、低級な衆生に応じて現われた、一丈六尺(約五メートル)の仏で、丈六の劣応身と言われ、天台大師の『法華玄義』には、
 「多多婆和」(法華玄義釈籤会本 上59)
とあります。
 多多は、幼児の歩行、婆和は幼児が発する言葉を意味し、蔵教の仏は、幼児のように未成熟な仏であるという意味です。この釈尊は、主として二乗に対して「但空の理」を説きました。
 次に通教の釈尊は、先の蔵教の衆生よりも勝れた衆生に応現する仏であることから、勝応身と言います。
 万物は「空」の一面だけでなく、因縁が仮和合した「仮」の一面、空に非ず仮に非ずという「中」の一面もあると「不但空の理」を説きました。
 別教の釈尊は、さらに機根の高い衆生に対して教えを説く他受用報身で、華厳経の教主である盧舎那報身仏のことを指します。
 他受用とは、他の機類に対して法益・法楽を受用させる仏のことで、別教の高位の菩薩に対し、「但中の理」を説きました。
 法華経迹門の釈尊は、娑婆世界を次第に寂光土に変え、仏の身の上に円教の法身仏を顕わした応即法身の仏です。この釈尊は十如実相を示し、万物はそのまま空であり仮であり中であると空仮中の円融三諦を説きました。
 法華経本門文上の釈尊は、『寿量品』に、
 「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」(法華経 433)
と、五百塵点劫の久遠に成道し、衆生を教化してきた久遠実成の釈尊です。この本門の釈尊の説いた『寿量品』の説法により、在世の衆生はことごとく得脱したのです。
 蔵教の応身仏が次第に昇進して久遠実成の本地を明かした、本門文上の釈尊は、自らの意のままに法の利益を受け用いる仏であるため「応仏昇進の自受用身」と言います。

 文底独一本門の釈尊

 『寿量品』の文上には、釈尊が久遠五百塵点劫に成道し、色相荘厳〔*1〕の仏になったことが説かれます。
 しかし、『総勘文抄』に、
 「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき。後に化他の為に世々番々に出世成道し」(御書 1419)
と仰せのように、実は釈尊は五百塵点劫で成道したのではなく、それよりも遥か以前の久遠元初において凡夫の身のまま即座開悟したことが、大聖人によって初めて説き明かされました。この仏が、『寿量品』の文底に秘沈された久遠元初の自受用身であり、文底の釈尊です。
 この仏について、日寛上人は『法華取要抄文段』に、
 「久遠元初の自受用身とは本地自行の本仏、境智冥合の真身なり。故に人法体一なり」(御書文段 541)
と、久遠元初の自受用身こそ、妙法蓮華経の本法と体一をなす文底下種の御本仏であることを仰せです。
 対して、本門文上の釈尊は、
 「色相荘厳の仏は迹中化他の迹仏にして、世情に随順して現ずる所の仏身なる故に人法に勝劣あり」(同)
と、久遠五百塵点劫における釈尊は色相荘厳の方便を帯した垂迹化他〔*2〕の仏であることを仰せです。

 久遠元初自受用身とは日蓮大聖人

 日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
 「第六の文底の教主釈尊は即ち是れ蓮祖聖人なり。名異体同の口伝、之を思え云云」(同 270)と、文底の教主釈尊、すなわち久遠元初の自受用身は日蓮大聖人であり、これについて名異体同の御相伝があると示されています。名異体同とは、名は異なっていても体は同じという意味です。
 つまり、大聖人は、御書中で自らが上行菩薩の再誕であることを示唆されつつも、久遠元初の自受用身と同一であることは明確に述べられていません。ただ御相伝の法門として日興上人に付嘱されたのです。
 五十六世日応上人が『弁惑観心抄』(107)において、久遠の古仏(久遠元初の自受用身)と上行菩薩と日蓮大聖人は一体の異名であることを教示されているのもこのためです。
 この日蓮正宗に身を置く私たちは、血脈相伝の仏法により、大聖人を久遠元初の自受用身、末法の御本仏であると正しく拝することができます。

*1色相荘厳
 衆生に渇仰、尊崇の念を起こさせるために仏が三十二相・八十種好と言われる様々な相好をもってその身を飾ること。
*2垂迹化他(述中化他)
 仏が衆生教化のために本より迹を垂れて出現すること。本仏ではないということ。

 次回は、「一大事因縁」について掲載の予定です



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