仏教用語の解説(17)大白法1045 令和01年05月16号
  第三の劣・戯論の法
   ー空海の邪義ー


 真言宗の二流

 日蓮大聖人は『顕謗法抄』に、
 「真言宗には日本国に二の流あり」(御書 283)
と示されています。
 「二の流」とは、空海(弘法)が開いた東寺流の真言宗(東密)と、伝教大師の滅後、円仁(慈覚)・円珍(智証)らによって密教化されてしまった天台宗(台密)のことです。
 「第三の劣・戯論の法」とは、空海が法華経を貶めて言った、東寺流の邪義です。

 第三の劣・戯論の法とは

 大聖人は、空海が、
 「法華経は真言より三重の劣、戯論の法にして尚華厳にも劣る」(同 614)
という邪義を唱えていると仰せです。
 すなわち空海は、諸経の勝劣について、大日経等の真言経を第一、華厳経を第二、法華経を第三とし、
 「自乗に仏の名を得れども、後に望むれば戯論と作る」(秘蔵宝鑰・大正蔵七七巻三七四c)
と述べて、法華経に成仏を説くも、大日経に対すれば戯論の法(無意味な法)であると貶めたのです。
 天台大師は、釈尊一代の説法を五時八教に分類し、法門の正しい筋目の上から法華経こそが最第一であると説きました。ところが空海は、これに対しても、
 「大日経は釈迦所説の一切経の外、法身大日如来の所説なり」 (御書558)
と、大日如来は釈尊とは別の仏であるから、釈尊一代の説法における教相判釈で勝劣を論じることはできない、と述べたと言います。しかし、釈尊は実在の仏ですが、大日如来は現実に出世成道した仏ではなく、理論上の仏です。

 空海の邪義・「十住心」

 空海は、『十住心論』及び『秘蔵宝鑰』において、「十住心」を説き、大日経が第一であると主張しました。
@因果を弁えず、欲望に任せて無道徳に振る舞う凡夫の心地(異生羝羊心)
A因果を知り、人倫道徳を弁える人の心地(愚童持斎心)
B三途の縛を離れ、天上の楽を求める心地(嬰童無畏心)
C五蘊のみ存し、実我はないという、小乗声聞の心地(唯蘊無我心)
D十二因縁を行じ、悪業煩悩を抜く、小乗縁覚の心地(抜業因種心)
E人空・法空を悟り、利他を行う大乗の心地。法相宗に配当される(他縁大乗心)
F八不中道を得て、心性の不生不滅を悟る心地。三論宗に配当される(覚心不生心)
G本来清浄の理を得て、三乗を一仏乗に開く法華経の心地。天台宗に配当される(一道無為心。如実一道心とも言う)
H諸法が無自性であることを極める心地。華厳経最高の心地で、華厳宗に配当される(極無自性心)
I四種漫荼羅の荘厳なる心地で、大日如来所説の至極の心地。真言宗に配当される(秘密荘厳心)
で、これが浅きより深きに至る順序であるとし、Gに法華経、Hに華厳経、最高位のIに真言を配しています。そして、大日経の住心品、及び竜猛菩薩の『菩提心論』にその証拠があると主張しています。

 大聖人の「十住心」破折

 大聖人は『法華真言勝劣事』(御書305)に空海の「十住心」の内容を精査し、詳細な破折を加えられています。その内容を要約すれば、
 第一、大日経には「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」という名目は確かにあるが、それを「法相」「三論」「華厳」に配当することは根拠がない。
 第二、空海はGの「如実一道心」を天台宗に配当して天台宗を第三としているが、大日経にはFの「覚心不生」とHの「極無自性」の間、Gの「如実一道」の文と義は、大日経の住心品にも『菩提心論』にもない。
 第三、強いて挙げるならば、大日経住心品の最初のほうに、
 「云何が菩提とならば、謂く、実の如く自心を知るなり」(大正蔵一八巻一C)
とある文を根拠として、「如実一道心」なるものを与えて認めるとしても、それを天台宗に配当してF「覚心不生心」とH「極無自性心」の間に入れるという道理は、どこにもない。
として、全く信用できないと指弾されています。

 竜猛菩薩の『菩提心論』

 空海が「十住心」の根拠としている竜猛菩薩の『菩提心論』ですが、大聖人はこれについても破折されています。
 竜猛菩薩とは竜樹菩薩のことですが、この『菩提心論』は竜猛菩薩の作という説と、訳者である不空三蔵の作であるという説があり、真偽については疑問視されています。
 大聖人は、『星名五郎太郎殿御返事』(御書365)等に、『菩提心論』の内容に疑義を呈し、批判されています。
 『菩提心論』には、
 「唯真言法の中に即身成仏の故あり。是の故に三摩地を説く。諸教の中に於て欠いて言わず」(大正蔵32巻572c)
と、即身成仏について真言法の中にしかないと書かれています。しかし、法華経には竜女成仏など、即身成仏の実体・実証が示されており、逆に真言の経典を見ても、そうしたことが示されていません。
 『菩提心論』で、法華経に即身成仏がなく、「真言」のみに即身成仏があるとするのは、捏造、仏説に反する僻見です。
 また、竜樹菩薩の論である『大智度論』には、
 「法華等の諸経には阿羅漢の決を受けて作仏するを説き、大菩薩は能く是れを受持し用う」(大正蔵25巻754b・国訳釈経論部5下280)
とあり、二乗作仏を説く法華経を最勝の経典であると説いています。
 このように空海が「第三の劣・戯論の法」の立論に用いた『菩提心論』は、仏説に背き、真正な竜樹菩薩の著述にも反するもので、この論自体が全く信用できないものなのです。

 「最為第一」の法華経

 今まで述べてきたように、空海の「第三の劣・戯論の法」の邪義は、根拠の核となる部分が何もなく、全く信憑性に欠けています。
 一方、法華経が真実最高の経典であることは、
 「一切の諸の経法の中に於て、最も為れ第一なり。仏は為れ諸法の王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり」(法華経薬王品 535)
と、釈尊が自ら説かれるところであり、三世十方の諸仏も証明を加えています。
 今日、仏説に反する真言宗は日本に蔓延り、多くの人がこれに惑わされています。

 次回は、「常不軽菩薩」について掲載の予定です


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