仏教用語の解説(19)大白法1009 令和01年07月16号
  爾前迹門の謗法



 「爾前迹門の謗法」とは、末法においては、法華本門の大法である日蓮大聖人の教え以外は、すべて謗法となることを端的に示した言葉です。御授戒文にも用いられています。
 初めの「爾前」とは、釈尊五十年間の説法のうち、法華経以前の教えを総称したものです。
 そして「迹門」とは、法華経の前半十四品の意に加え、法華経迹門を中心に法華経を弘通した天台大師・伝教大師の教えを指します。
 御会式で捧読される日興上人の元徳二年の申状には、
 「爾前迹門の謗法を対治し、法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たるべきこと」(御会式捧読申状 日蓮正宗聖典568)
と示されています。

 正像末の三時

 日蓮大聖人は『撰時抄』に、
 「今末法に入って二百余歳、大集経の於我法中・闘静言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起こるべき時節なり」(御書 843)
と、大聖人の御在世が末法に入って二百年以上経過していると示されています。
 『大集経』(大正蔵13巻363a・国訳大集部4巻206)では、釈尊滅後、最初の千年となる正法時代を解脱堅固・禅定堅固(悟りを得て解脱し、禅定が行われる時代)とし、次の千年となる像法時代を読誦多聞堅固・多造塔寺堅固(経の読誦、説法の聴聞が行われ、多くの塔寺が造立される時代)とし、それ以降の末法時代を、闘いや論争が多く、釈尊の仏法である白法が滅亡してしまう時代、闘諍堅固であると説かれています。

 正法時代・像法時代の仏法

 『撰時抄』(御書839)には、正法時代・像法時代の仏法弘通について次のように記されています。
 正法時代の最初の五百年は迦葉・阿難等が小乗教を弘め、次の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩等が権大乗の教えを弘めました。
 次の像法時代には、中国に仏教が伝わりますが、南三北七と言われる仏教学派が、それぞれ自分たちの教えこそが第一であると主張していました。
 そこに天台大師が現われ、釈尊一代の教えを五時八教に整理分類し、法華経第一の正義を示して、南三北七の邪義を破折し、一念三千の法理を説いて像法時代の衆生を導いたのです。
 また、像法時代の末頃の日本では南都六宗(奈良に興隆した倶舎・成実・三論・律・法相・華厳の六宗)が権勢を振るい、正法たる法華経を蔑ろにしていました。
 伝教大師は天台法華宗を開き、南都六宗の僧等を皆破折して法華経の正義を顕揚したのです。

 正像末三時の仏法付嘱

 日興上人の『五人所破抄』(御書1876)には、正・像・末の三時に四依の人師が出現し、釈尊からの付嘱に従って法を弘めることが説かれています。
 正法時代・像法時代の四依の人師とは、迦葉・阿難・竜樹菩薩・天親菩薩・天台大師・伝教大師等の方々です。
 迦葉・阿難・竜樹・天親は、付法蔵と言われる釈尊からの口伝の付嘱を受け継がれていました。この付法蔵の付嘱は二十四番目の師子尊者が檀弥羅王に殺害されたことにより、途絶えてしまったとされます。
 そして像法時代の付嘱については『観心本尊抄』に、
 「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり」(同 660)とあるように、天台大師の師匠である南岳大師は観音菩薩の再誕、天台大師は薬王菩薩の再誕であり、法華経『嘱累品第二十二』において総付嘱を受けられたという内証が示されています。
 また法華経『如来神力品第二十一』には、滅後末法のために釈尊から地涌の菩薩に「結要付嘱」がなされ、仏法の大権が釈尊から上行菩薩に譲られたことが説かれます。
 まさに末法は、本化地涌上行菩薩の再誕にして末法の御本仏である日蓮大聖人によって、本門の大法が弘通される時代になるのです。

 天台・伝教の法華経は末法には無益

 大聖人は『下山御消息』において、
 「世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序の為なり。所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり」(同 1140)
と説かれています。
 すなわち釈尊は、像法時代の衆生のために、迹化他方の菩薩に、法華経の迹門十四品を付嘱され、南岳・天台・妙楽・伝教等の方々がそれを弘められました。
 それはまた、末法に地涌上行菩薩が本門の肝心たる南無妙法蓮華経を弘通するための序分でもあります。
 『観心本尊得意抄』に、
 「在々処々に迹門を捨てよと書きて候事は(中略)叡山天台宗の過時の迹を破し候なり。設ひ天台・伝教の如く法のまゝありとも、今末法に至っては去年の暦の如し」 (同 914)
とあるように、天台・伝教の迹門の法華経は「去年の暦」の如く、末法では無益となるのです。

 地涌の義

 『諸法実相抄』に、
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや」 (同 666)
と、末法の一切衆生は、日蓮大聖人の唱え出だされた題目を一人から二人、二人から三人へと次第に唱え伝えていくべきことを御教示です。
 正しい仏法は、必ず正しい付嘱によって弘められていきます。
 末法は、外用は地涌上行菩薩、内証は久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人によって利益される時代です。爾前経によって宗旨を立てる禅・念仏・真言はもちろんのこと、たとえ天台・伝教の教えでさえも、末法では無益となり謗法となるのです。

 付嘱に反する教えはすべて謗法

 日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救済するため、三大秘法を御建立あそばされました。そして三大秘法の根源である本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人より日興上人に唯授一人の血脈をもって付嘱され、今日では御法主日如上人猊下の一身に御所持されています。私たちは、血脈御所持の御法主上人猊下に信伏随従して妙法弘通に挺身することが大切なのです。

  次回は、「捨閉閣抛の邪義」について掲載の予定です


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