仏教用語の解説 (29)大白法1033 令和02年07月16号


  良医治子

 良医治子の譬えとは、諸々の苦悩に喘ぐ衆生とそれを救済する仏の化導を、病の子供とそれを治療する父の良医に譬えたもので、法華経『如来寿量品第十六』に説かれています。
 この譬喩は法華経の七譬の一つで、「良医病子の譬え」「良医の譬え」ともいわれます。
 私たちが朝夕に読誦する『寿量品』の「譬如良医。智慧聡達」(法華経435頁)以降、自我偈の前までにこの譬喩が説かれており、この部分を『寿量品』の「良医治子譬段」といいます。

 法華経は一切衆生救済の大良薬

 仏教では、衆生の苦を病、衆生を救う仏を良医、そして仏の教法を良薬に譬えます。
 仏は衆生の機根に応じて様々な説法(応病与薬)をしたのですが、天台四教儀には、教えの内容である化法の四教(蔵・通・別・円)は薬味(薬の内容)であり、説法の方法である化儀の四教(頓・漸・秘密・不定)は薬法(薬の調合方法)であるとし、法華以前に説かれた爾前経は薬法・薬味において法華経に劣り、法華経のみがすべての衆生の病を救う最高の大良薬であると示されています。

 譬えの概要

 聡明で薬の処方に精通し、百人にも及ぶ子供をもつ良医がいました。
 ある時、良医が所用で遠方へ出かけている間に、子供たちが誤って毒薬を服して苦しんでいました。悶絶する子供の中には、苦しみに堪えかねて本心を失う者までいました。
 良医が帰宅すると、子供たちは大いに喜んで、毒病を治して欲しいと願い出ます。良医は薬を調合し、
 「此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速やかに苦悩を除いて、復衆〈もろもろ〉の患〈うれえ〉無けん」(法華経436頁)
と言って、子供たちに色形、香り、味のいずれもすばらしい大良薬を与えました。すると、本心が残っていた子供はすぐに良薬を服して快復しましたが、本心を失った子供は、毒気のせいで良薬を良薬ではないと思い込み、服用しませんでした。
 未だに苦しむ子供を不憫に思った良医は、薬を飲ませようと、方便を設けます。すなわち、子供に、
 「自分は老いて死期が近い。この大良薬を、今、ここに留め置いておくから、お前たちは、これを取って必ず服用しなさい(趣意)」(同437頁)
と告げて、家を出て、他国に至ってから使者を遣わし、父は死んだと子供たちに告げさせたのです。
 訃報を聞いた子供たちは、
 「もし父が生きていたら私共を憐れみ、救ってくれるが、今やその父は遠く他国で亡くなってしまった。私共は孤独で頼るところがない(趣意)」(同)
と深い悲しみに嘆きました。そして父の慈愛と力を思い起こした子供たちは、ついに本心を取り戻して大良薬を服し、快復したのです。
 その後、良医は帰宅したのでした。

 三世常住の化導

 この譬えでは、良医とは仏、毒薬を服した子供は一切衆生に譬えられます。
 まず、良医が遠く他国へ出かけることは、仏が過去世に、様々な名前で出現して衆生を導いていたことを指します。(過去益物)
 次に、良医が一度家に帰って大良薬を子供に与えることは、仏が裟婆世界に出現して毒病に喘ぐ衆生に法華経を説くという現在の化導に当たります。(現在益物)
 また、本心を失って良薬を服そうとしない子を治療しようと、良医が他国に出かけ使者を遣わし亡くなったと告げさせたことは、仏が入滅することを表わします。すなわち、仏の存在に慣れてしまい、仏法を尊重しない衆生を覚醒させるため、常住ではあるけれども、敢えて滅に非ざる滅(非滅現滅)を示されるのです。
 最後に、良医が帰宅することは、方便による滅の相を現わしながらも、未来永劫に亘り衆生を教化する様相を表わしています。(未来益物)
 このように良医治子の譬えとは、仏が久遠以来、実は常住でありながら、出現したり入滅したりして、大慈大悲をもって衆生を導き利益してきたことを表わす譬えなのです。

 末法における良医とは日蓮大聖人

 中国の天台大師は、法華文句に良医(衆生を教化する宗教者)に十種があることを御教示です。
 成仏どころか、かえって病を悪化させ、時に死に至ったり、苦痛を伴うだけで何の効果も得られない外道の師。部分的な治療しかできない上に苦痛を伴う小乗の師。苦痛を与えないが大病は治せない権大乗の師。大病を治しても完全な健康体にまでは快復させることができない大乗の師などです。
 そして、最後の良医は法華本門に説かれる如来であり、一切の病を治し、病以前より優れた体にまで快復させる真実の師であります。
 日蓮大聖人は『寿量品』の大良薬について『御義口伝』に、
 「題目の五字に一法として具足せずと云ふ事なし。若し服する者は速除苦悩なり。されば妙法の大良薬を服する者は貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。(中略)今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは大良薬の本主なり」(御書1768頁)
と説かれています。
 つまり、南無妙法蓮華経の題目こそが、あらゆる薬の効能をことごとく具足し、衆生の貪瞋癡の三毒を治癒する大良薬であり、日蓮大聖人こそが、大良薬の本主、すなわち末法の良医であると示されるのです。

 大良薬たる本門戒壇の大御本尊に帰依すべし

 大聖人は建長五(一二五三)年の宗旨建立以来、法華経に予証される法難を超克し、大慈大悲の上から、邪教の害毒に喘ぐ衆生の救済に心を砕かれました。そして、弘安二(一二七九)年十月十二日、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされ、末法万年に旦る信行の対境を留め置かれたのです。
 この大御本尊について、総本山第二十六世日寛上人は、
 「寿量品に云わく『是の好き良薬を今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れ』等云云。応に知るべし、此の文正しく三大秘法を明かすなり。所謂『是好良薬』は即ち是れ本門の本尊なり」(六巻抄94頁)
と仰せられ、良医治子の譬えにおける色香美味の大良薬とは、本門の本尊であることを御教示です。
 譬えの子供たちが毒気によって本心を失っていたように、末法の衆生は間違った思想・宗教によって、大良薬たる御本尊を前にしても、それを受持することができずにいます。
 しかし、大聖人が教示されるように、私たちの命は三世永遠に旦るのであり、そのことを自覚して、御本尊を受持し、御題目を唱えていくこと以外に真実の幸せはないのです。
 私たちは、正法の功徳に浴する有り難さを人々に伝え、大御本尊のもとへ導いてまいりましょう。

 次回は、「三衣」について掲載の予定です


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