仏教用語の解説 (32)大白法1039 令和02年10月16号

  如在の礼(にょざいのれい)

 「如在の礼」とは、入滅して姿を隠した仏などに対し、生きて在すが如くに礼を尽くすことをいいます。
 本宗においては、総本山第五十九世日亨上人が、
 「(第二祖日興上人が)些細の供養も一々宗祖御影の見参に供へて、如在の礼を本仏大聖に尽し給ふ」
と示されるように、特に、日興上人が日蓮大聖人の御入滅後にあっても、大聖人の生前と変わらず、御本尊及び御影に対し尊崇の念をもって常随給仕された、その姿勢をいいます。

 日興上人の御振る舞い

 日興上人の弟子、三位日順師の記した『日順雑集』に、
 「身延山には日蓮上人九年・其の後日興上人六年御座有り、聖人御存生の間は御堂無し、御滅後に聖人の御房を御堂に日興上人の御計らいとして造り玉ふ」(富要2-95)
とあるように、日興上人は大聖人の滅後、身延の大聖人の住坊を、御影堂に改装されました。
 すなわち日興上人は、御本尊のみが御安置されていた身延の御宝前に、日蓮大聖人等身の御影を追加して御安置し、生前と変わらぬ常随給仕をされたのです。これこそが如在の礼であり、御影堂の始まりです。

 御影の御宝前に進らせさせ給え

 日蓮大聖人等身の御影を御安置し、御影に対して、読経・唱題、常随給仕を開始されたのは日興上人が最初です。
 しかし、身延の地頭・波木井実長は、釈尊立像の一体仏を安置するよう、日興上人に迫りました。日興上人は、
 「改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給え」(日蓮正宗聖典560)
と、波木井実長に対し、日蓮大聖人は滅不滅の御本仏として、生きておわしますことを御教示されたのです。

 御本尊様への常随給仕

 日興上人の書状には、
 「御手作の熟瓜(うれうり)二龍、御酒一具、聖人御影の御宝前に申上まいらせ候了」(西御坊御返事・歴全1-101)
とあり、第三祖日目上人からの御供養を、まずは大聖人の御影にお供えしたと記されています。このように、日興上人は僧俗からの御供養のすべてを、まずは大聖人にお供えしていたことが、多くのお手紙からうかがわれます。
 第九世日有上人が、
 「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(日蓮正宗聖典979)
と御教示されているように、日蓮正宗の御本尊は、すべて日蓮大聖人の御命であり、御本尊に対して、生きておわします大聖人のように御給仕申し上げていくことが大切です。
 御本尊に対して如在の礼を尽くしていくことは、仏道修行の基本です。

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  生飯(さば)

  「生飯」とは、自らの食事の少量を別器に取り分け、鬼神等の法界万霊(地獄・餓鬼・畜生の三悪道を含む、あらゆる霊)に具える行為で、遍く霊に散ずる意義より散飯(さんば)ともいいます。
 本宗においても、御報恩御講などの法要で三宝に膳を具える場合には僧侶により、必ず行われています。
 涅槃経には、壙野(こうや)という鬼神が釈尊に帰依し、不殺生戒を受けたことについて、次のように説かれています。

    ◇

 常に多くの衆生を殺生し、血肉のみを食している壙野という鬼神がいました。
 釈尊は壙野のために法を説こうとしましたが、壙野は暴悪・愚癡・無智にして、教えを聞き入れようとはしませんでした。
 そこで釈尊はその身を大力鬼(だいりきき)に変じ、壙野の住んでいた宮殿を揺れ動かして脅したところ、いたたまらなくなった壙野は、眷属を引き連れて大力鬼(釈尊)の前に行き、反抗しようとしました。
 しかし、大力鬼の姿を見るなり壙野は、恐怖のあまり、悶えて気絶してしまいました。
 大力鬼が手で壙野を摩ると、壙野は起き上がって座り、
 「私はあなたに会って死んでしまうかと思いましたが、かえって命を救われました。あなたは大威徳を持ち、さらに慈しみ愍れみの心をもって私を許してくださいました」
と述べて、今までの行いを悔い改めたのです。
 釈尊が大力鬼に変じていた身を元に戻し、壙野に種々の法を説いたところ、ついに壙野は釈尊に帰依したので、釈尊は壙野に不殺生戒を授けたのです。
 壙野は釈尊に尋ねました。
 「私たち鬼神はこれまで、ただ血肉のみを食してきました。不殺生戒を受けた今、どのようにして生きていったらよいのでしょうか」
 壙野の問いを受けて釈尊は、自らの弟子に次のように命じました。
 「仏道を志す私の弟子たちは、食事をする際、どこにあっても必ず壙野鬼神に食事を施してから食事をしなさい。今より以後、そのようにしなければ、それは私の弟子ではない。魔の眷属である」
 釈尊のこの命令によって壙野たち鬼神は、鬼神でありながら正法に安住することができるようになったのです。(趣意・大正蔵12-460c・国訳涅槃部1-339)

    ◇

とあります。
 引用が少々長くなりましたが、つまり、僧侶が食事をする際、少量の食事を鬼神等のために取り分けることを生飯と称するのです。

 生飯の功徳

 日蓮大聖人は、生飯の功徳にいて『刑部左衛門尉女房御返事』に、
 「餓鬼道に堕ちて苦しんでいた目連尊者の母が、その苦しみを逃れることができたのは、目連尊者が行った供養の生飯が母に届き、苦しみを救ったのである(趣意)」(御書1505)
と述べられています。
 これは、大聖人が盂蘭盆の意義を述べられているところですが、三宝に供養すれば、生飯の功徳によって遍く一切の命を救うことができることを示されています。

 日蓮正宗における献膳の作法

 日蓮正宗においても、法要で三宝や精霊に献膳する(膳を具える)際には、生飯を行います。
 最初に供えられた膳には、ご飯・汁・煮物などに蓋がしてあります。献膳では、まずこの蓋を取り、さらにご飯の蓋に、ご飯や煮物などを少量ずつ取り、それを三方の脇に置いて生飯とするのです。


 次回は、「転重軽受」について掲載の予定です


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