仏教用語の解説 (34) 大白法1043 令和02年12月16号

  八相成道

 「八相成道」とは、仏が衆生を救済するために世に出現し、入滅するまでに現わす八種類の相〈すがた〉をいいます。八相は、その中心が悟りを開く成道にあるため、八相成道といい、また八相作仏ともいいます。

 八相とは

 八相には諸説ありますが、天台大師は、@下天(兜率天より衆生の世界に下ること)、A託胎〈たくたい〉(母胎に入ること)、B出生〈しゅっしょう〉(母から生まれること)、C出家(道を求め出家すること)、D降魔〈ごうま〉(障りとなる魔を降すこと)、E成道(悟りを得るこ
と)、F転法輪(説法教化すること)、G入涅槃(入滅すること)、の八種類を立てます(四教義・大正蔵四六巻七四五c)。
 法華経『如来寿量品第十六』に、
 「我仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じて、応に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦復、現じて当に涅槃に入るべしと言い」(法華経431)
と、仏は久遠の昔から、衆生を成仏させるために、いろいろな場所、いろいろな名前で、姿を変えて世に出現し、その都度、八相成道を示して衆生を導いてきたことが説かれています。
 さらに、その時に示した出生、入滅などの相はすべて仮のもので、本来は常住であることが明かされます(法華経433趣意)。

 釈尊の八相

 三千年前のインドに出現した釈尊も、その時の衆生を導くため、八相成道を示されました。
@下天
 衆生の機根を感じ、裟婆世界のうちのインドに下ること。
A託胎
 釈尊の母である摩耶夫人〈まやぶにん〉の胎内に宿ること。
B出生
 インドのルンビニーの花園(現在のネパール南部)において、四月八日、迦毘羅衛城の城主・浄飯王〈じょうぼんのう〉の子・悉達多〈しったるた〉として降誕すること。この時、七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられる。
C出家
 十九歳の時、王宮を出て修行の道に入ったこと。
D降魔
 悟りを開こうとした時、心身に涌き起こる様々な魔を降伏〈こうぶく〉せしめたこと。
E成道
 三十歳の年の十二月八日の早暁、伽耶城近くの菩提樹下において悟りを開き、仏となったこと。
F転法輪
 五十年間、説法教化し、衆生を導いたこと。
G入涅槃
 八十歳の二月十五日、拘尸那掲羅〈くしながら〉の沙羅双樹〈しゃらそうじゅ〉の林において入滅したこと。

 八相成道の根源は妙法蓮華経

 日蓮大聖人は『総勘文抄』に、
 「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき。後に化他の為に世々番々に出世成道し、在々処々に八相作仏し、王宮に誕生し、樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ」(御書1419)
と説かれています。つまり、仏は五百塵点劫の当初(久遠元初という遥か昔)に、妙法蓮華経を悟り、それによって、世世番番(様々な国土に時々に応じて)に八相成道を示し、衆生を導いてきたのです。
 さらに『南条殿御返事』には、
 「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉ぼ誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり」(同 1569)
とも説かれています。つまり、大聖人の胸の中には、一大事の秘法である妙法蓮華経があり、その妙法蓮華経は、仏が八相成道を示す、根源の法なのです。
 したがって、自らの胸、舌、喉、口など、大聖人の一身は仏の八相成道の場所であり、自らのいる場所は霊山浄土にも劣らないと教示されています。

 日蓮大聖人の八相

 総本山第二十六世日寛上人は、末法の御本仏、日蓮大聖人が示された八相について、「蓮祖義立の八相」(富要3-240)に説かれています。
@下天
  末法の衆生の機根を感じ、安房国の漁夫である父・三国大夫〈みくにのたいふ〉と母・梅菊女〈うめぎくにょ〉の子となることを選んだこと。
A託胎
 梅菊女の胎内に宿ったこと。この時、母は比叡山に腰かけて琵琶湖の水で手を洗う夢を見、父は虚空蔵菩薩から、末法の大導師たる上行菩薩を汝に授けると言われた夢を見たと伝えられる(産湯相承事・御書1708趣意)。
B出胎(出生)
 貞応元(1222)年二月十六日に、善日麿との名前で誕生されたこと。この時母は、富士山の頂上に登る夢を見、近所の海中からは 青蓮華が現われたと伝えられる。
C出家
 十二歳にして清澄寺に登り、十六歳の時、是生房蓮長として出家し、さらに建長五(1253)年四月二十八日に宗旨建立されたこと。
D降魔
 宗旨建立以来、様々な難に値遇い、それを忍ばれたこと。
E成道
 文永八(1271)年九月十二日、竜口法難において、久遠元初の自受用身として発迹顕本を遂げられたこと。
F転法輪
 竜口法難の後、佐渡以後において、『開目抄』・『観心本尊抄』などをはじめ、数々の重要御書を著されたこと。
G入涅槃
 第二祖日興上人に、唯授一人の血脈相承をあそばされ、弘安五(1282)年十月十三日、池上において入滅されたこと。

 大聖人は久遠元初の自受用身

 『百六箇抄』には、
 「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(同1685)
と、大聖人が最も尊く勝れた仏である、久遠元初の自受用身の再誕であることを示されています。
 大聖人は凡夫の御姿のまま八相成道を示されましたが、これは、久遠元初の自受用身そのままの御姿なのです。
 明年は、日蓮大聖人御聖誕八百年の年に当たっています。正法に縁する私たちは、最も尊い仏である大聖人の御出現を慶祝するため、いよいよ信心堅固に精進してまいりましょう。

※法身の四処 三世常住の仏が、八相を示すうちの、出生、成道、転法輪、入涅槃の場所のこと。(文句記・文会中647)

 次回は、「五時」について掲載の予定です


目 次