仏教用語の解説 (35) 大白法1045 令和03年01月16号

  五時

 「五時」とは、釈尊が説いた五十年の説法を、その時期によって@華厳時・A阿含時・B方等時・C般若時・D法華涅槃時の五つに分類する教相判釈です。中国の天台大師が、『法華玄義』や『法華文句』に説き、高麗の天台僧・諦観〈たいかん〉が『天台四教儀』にまとめたものです。
 教相判釈とは、教えの内容の勝劣・浅深を分別することですが、八万法蔵と言われる釈尊の教えのすべてを五時に分類することにより、教えの価値や勝劣・浅深が明らかとなり、法華経が釈尊出世の本懐であることが判るのです。

 五時の根拠

 天台大師が五時の教相を説く根拠としたのは、「華厳経の三照の譬え」・「涅槃経の五味の譬え」・「法華経信解品の長者窮子〈ちょうじゃぐうじ〉の譬え」(領解段)の三つです。
 「華厳経の三照の譬え」とは、華厳経『宝王如来性起品』に説かれる譬えで、昇る朝日がまず、高山の頂を照らし、次第に日が高くなるにつれて遍く大地を照らすように、釈尊の説法の得益にも前後があり、最初は高位の菩薩から、次第に一切衆生にも利益が及んでいくことを表わしています。天台大師は、日が出て昇りきるまでの照高山・照幽谷・照平地の三照と、さらに照平地を食時(午前八時)・禺中(午前十時)・正中(正午)の三つに分け、五時の根拠としています。
 「涅槃経の五味の譬え」とは、涅槃経『聖行品』に説かれる譬えで、牛の乳が醍醐味に熟成されていく過程を、乳味〈にゅうみ〉・酪味〈らくみ〉・生酥味〈しょうそみ〉・熟酥味〈じゅくそみ〉・醍醐味の五つに分類したものです。乳味は牛乳、酪味はヨーグルト、生酥味から醍醐味は熟成度の違うバターやチーズのようなものです。中でも醍醐味は、貴重で最も優れた味わいのものとされます。
 「法華経信解品の長者窮子の譬え」とは、法華経『信解品第四』の「領解段」に説かれている、子供とはぐれた長者と、親とはぐれて困窮し、諸国を流浪していた子供の譬えで、天台大師が五時を説く中心的な根拠となっています。
 ある時、衣食を求めて父の家に偶然立ち寄った子供は、あまりに立派な家と、遠くにいる立派な長者を見て、分不相応であると、すぐに立ち去ってしまいます。長年子供を探していた長者は、一目で我が子だと気づき、傍らにいた家来に子供を連れてくるように命じます。しかし、卑しい心になっていた子供は、捕らえられてしまう、と恐怖して気絶してしまいました(遣傍人追〈けんぼうにんつい〉)。
 そこで父は、わざとみすぼらしい姿にした家来二人を子供のところに遣わし、除糞の作業に誘います。これによって子供は、恐る恐る長者の家に近づきました(遣二人誘〈けんににんゆう〉)。
 そうこうしているうちに卑しい心が抜けてきた子供は、長者の家に出入りすることに憚りがなくなっていきました(心相体信〈しんそうたいしん〉)。
 父は子供にまだ親子であることを告げられずにいましたが、子供に向上心が芽生えているのを見て、すべての財産の管理を任せます。しかしなおも子供は、財産が自分のものとは一分も知りません(受命領知〈じゅめいりょうち〉)。
 死期が迫っていることを知った父は、国王・大臣・親族・家人を集めます。そして、流浪して卑しい心になっていた子供に対し、ようやく親子の名乗りを上げ、一切の財物の所有を子供に譲ることを宣言したのです(正付家業)。
 『信解品』では、この譬えが説かれた後、父は仏、子供は衆生であることが示され、法華経以前の四十余年の説法はすべて、衆生の卑しい心を改めさせるための低い教えで、衆生が仏子として自ら成仏を遂げることができる法華経こそが、真実最高の教えであると示されたのです。

 五時の内容

 前の三つの譬えは、いずれも、仏がどのようにして衆生を導いてきたのかを譬えたものです。これらをもとに天台大師は釈尊一代五十年の説法を次のように分類しました。
@華厳時
 釈尊が伽耶城〈がやじょう〉菩提樹下で悟りを開いた直後から三七日(二十一日)の間、高位の法身の菩薩等に対して説いた華厳経の説法。この時釈尊は、盧遮那報身を現わし、円満なる経典を説きましたが、その場にいた声聞は、ただ口を開けているだけで、何の理解もできなかったとされます。
 三照では「照高山」、五味では「乳味」、領解段では「遣傍人追」に当たります。
A阿含時
 華厳経を説いた後、鹿野苑〈ろくやおん〉における十二年の説法で、鹿苑時ともいいます。阿若●(心+喬)陳如〈あにゃきょうじんにょ〉ら五比丘に対する四諦・十二因縁の説法をはじめ、小乗の四阿含経を説いた時期に当たります。
 三照では「照幽谷」、五味では「酪味」、領解段では「遣二人誘」に当たります。除糞に譬えられる低い教えです。
B方等時
 諸所における十六年、あるいは八年の説法。阿弥陀経や大日経・維摩経など、華厳経・般若経以外の権大乗の経説は方等時に含まれ、その教理は広範囲にわたっています。この時釈尊は、小乗に執着する二乗に対し、権大乗を説き、教えの勝劣浅深を対比して覚知するように促しました。
 三照では「照平地のうちの食時」、五味では「生酥味」、領解段では「心相体信」に当たります。
C般若時
 霊鷲山や白露池〈びゃくろち〉における十四年あるいは二十二年の般若経の説法。般若時では、四諦・十二因縁・六度などがすべて摩訶衍〈まかえん〉(大乗)であることが明かされ、つまるところ、諸法は般若の一法門であると説かれました。これを般若の法開会といいます。これにより、大小乗に隔てがあるという二乗の執着が払われます。
 三照では「照平地のうちの禺中」、五味では「熟酥味」、領解段では「受命領知」に当たります。
D法華・涅槃時
 霊鷲山における八年の法華経の説法と、入滅直前の拘尸那掲羅国〈くしながらこく〉跋提河〈ばつだいが〉のほとり、沙羅双樹林における一日一夜の涅槃経の説法。
 法華経では、それ以前の諸経が法華経を説くための為実施権(実教を説くための権りの教え)の方便であり、法華経こそが開権顕実の実教であると明かされます。さらに菩薩・声聞・縁覚の三乗の衆生は、仏になるべき一仏乗の機根であることが明かされ、法華経の説法によって一切衆生の成仏の道が開かれたのです。
 また涅槃経では、法華経の説法に漏れ、成仏できなかった衆生のために、一切衆生に常住の仏性があると説かれました。しかし涅槃経は、法華経が多くの衆生を成仏させる大収の教えであるのに対して、●(手+君)拾〈くんじゅう〉(落ち穂拾い)教とされ、法華・涅槃時の中心は法華経にあります。
 三照では「照平地のうちの正中」、五味では「醍醐味」、領解段では「正付家業」に当たります。
 このように、釈尊一代の教えを五時に分類することにより、その中心が法華経にあり、法華経以外のすべての教えは、法華経を説くための方便であることが明白となるのです。
 天台大師が五時を説いて以降、これに反論できた者は誰一人いませんでした。日蓮大聖人もこの説を用い、法華経以前の爾前経に基づいて説かれる念仏や禅を破折されたのです。

 次回は、「八教」について 掲載の予定です


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