仏教用語の解説 (38) 大白法1053 令和03年05月16号

  法華経の行者


  「法華経の行者」とは、法華経の教説に随って修行し、法華経を体現する、如説修行の行者をいいます。法華経には、釈尊滅後の末法において法華経を弘通する者には様々な難が競い起こると説かれています。日蓮大聖人は、その中でも特に、三類の強敵に遭いながらも法華経を弘通する行者が法華経の行者であると示されています。

三類の強敵

 釈尊は法華経『宝塔品第十一』と『提婆品第十二』における五箇の鳳詔によって、自身の滅後に法華経を受持し弘通すべきことを勧められました。これを受け、『勧持品第十三』において八十万億那由他の菩薩が、悪世末法における法華経の弘通を発願し、それには必ず三類の強敵が現われるであろうが、それをも耐え忍びますとの誓願を立てたのです。
 この菩薩の誓願は、経文にして八十句あります。経文は四句をもって一偈一行とする習いから、「二十行の偈」といわれます。
 二十行の偈に説かれる三類の強敵とは、
@俗衆増上慢 法華経の行者に対して悪口罵詈し、刀や杖をもって迫害する仏法に無知な在俗の者
A道門増上慢 自己の慢心のために法華経の行者を憎み、危害を加える僧侶
B僣聖増上慢 聖者のように装っ て社会的に尊敬を受けながら、 心は名聞名利に執着し、国王 をそそのかして法華経の行者に を加えさせる邪僧
をいいます。
 さらに、三類の強敵が現われることにより、法華経を弘通する者は
 「数数擯出せられ 塔寺を遠せん」(法華経 三七八)
と、たびたび所を追われるとも説かれるのです。

法華経の会座における地涌の菩薩の出現

 他方の国土から来集した八恒河沙を過ぎるほどたくさんの菩薩は、 『従地涌出品第十五』において、娑婆世界における法華経弘通の許可を釈尊に求めました。
 すると釈尊は、
  「止みね、善男子。汝等が此経 を護持せんことを須いじ」(同 四〇八)
と、その求めを制止し、上行菩薩を上首とする地涌の菩薩を召し出し、大衆に向かって、この地涌の菩薩に娑婆世界における法華経弘通を命じると宣言されたのです。
 その後、釈尊は『如来神力品第二十一』において、地涌の菩薩に法華経を結要付嘱して、滅後末法における法華経の弘通を委嘱されました。
 すなわち、法華経の経文には、釈尊滅後の末法において三類の強敵を忍んで法華経を弘通するのは、地涌の菩薩であると予証されているのです。

法華経の行者の宣言 『開目抄』

 大聖人まままま鴛ざ法難、伊豆伊東への配流、小松原法難、竜口法難、佐渡への配流など、数々の難に遭い、佐渡の塚原で人本尊開顕の書といわれる『開目抄』を執筆されました。その中で、
 「今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加へらるゝ者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。(中略)又云はく『数々見擯出』等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数々の二字いかんがせん。(中略)但日蓮一人これをよめり」(御書 五四一)
と、末法において法華経を弘通し、悪口罵詈され、刀杖を加えられ、伊豆・佐渡への二度の流罪など(数々見擯出)、勧持品二十行の偈を身をもって読んでいるのは、日蓮をおいて他にはないと仰せです。
 さらに、
 「法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(同)
 「我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑ひは此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑ひを強くして答へをかまうべし」(同 五四二)
と、自らが法華経の行者として三類の強敵に遭うことは、釈尊の法華経が真実であることを証明するものであり、日蓮が法華経の行者であるか否かは一期の大事であると、そのことを具に検証されました。
 そして、自身こそが法華経の行者であると決され、その結論として、
 「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(同 五七七)
と、自らが主師親三徳兼備の本仏であると宣言されるのです。

日本第一の法華経の行者

 大聖人は『報恩抄』に、
 「仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人、釈尊を加へ奉りて已上 三人なり」(同 一〇一七)
と仰せられ、大聖人以前に、インドの釈尊、漢土(中国)の天台大師、日本の伝教大師と、これまで三国に三人の法華経の行者が出たと示されています。
 さらに大聖人は『撰時抄』に、
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもってすいせよ。漢土・月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず」(同 八六四)
と、月支(インド)の釈尊も、漢土の天台大師も、日本の伝教大師も日蓮には及ばないと示され、また『下山御消息』では、
 「教主釈尊より大事なる行者」(同 一一五九)
と、日蓮こそが釈尊にも勝る法華経の行者であると仰せです。
 これは、末法の法華経の行者・日蓮大聖人が、上行菩薩の再誕、釈尊の弟子であるということにとどまらず、さらに下種御本仏としての深い内証があることを示唆された御教示です。
 すなわち『百六箇抄』に、
 「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」(同 一六八五)
とあるように、末法に出現して法華経の行者としての振る舞いを示す上行菩薩の本地とは、釈尊を凌ぐ、久遠元初の御本仏なのです。

地涌の流類

 これまで述べたように、法華経の行者とは、三類の強敵を事実の上に現出させ、数々の難を耐え忍んで法華経を弘通する、仏の振る舞いを示される御方です。
 私たちがこうした難を耐え忍ぶことは到底できないように思われますが、大聖人は『諸法実相抄』に、
 「今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同 六六六)
と、日蓮と異体同心すれば誰しもが法華経の行者・地涌の菩薩たり得ることを教示されています。
 私たちの信心修行、特に折伏弘通には様々な困難が生じますが、御本尊様に異体同心して真剣に題目を唱えていけば、地涌の菩薩の流類、法華経の行者の一分として、それを乗り越えていくことができるのです。

 次回は、「正行・助行」について掲載の予定です


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