仏教用語の解説 (48) 大白法1075 令和04年04月16号

三障四魔

 三障四魔とは、諸経典に説かれる三種の障りと、四種の魔のことです。仏道修行を阻害するものとして、よく三障四魔と併称されます。

 三 障

 三障とは煩悩障・業障・報障の三つで、その内容は『発智論』、『倶舎論』などに詳しく説かれています。
 煩悩障とは、貪瞋痴の三毒といった、自らの心の中にある煩悩による障りで、衆生が様々な煩悩に縛られ、それによって仏道修行が妨げられることを言います。
 業障とは、自らが過去世に積んだ悪業によって起こる障りで、その業とは、経典によっては五無間業であると説かれます。五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)などを犯せば、長らく無間地獄に堕ち、仏道修行をすることができません。これと同様に、過去世からの宿業によって仏道修行が妨げられることがあるのです。また『兄弟抄』には、
 「業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし」(御書九八六)
と、妻子などの身近な人により仏道修行が妨げられることも業障であると説かれています。
 報障とは、時を異にして熟して現われる障りであることから、異熟障ともいいます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天などに生まれることは、因果の報いであり、それが仏道修行の妨げになるということです。
 また同抄には、
 「報障と申すは国主・父母等によりて障碍出来すべし」(同)
とあり、国王や父母など、自分の生まれた環境によって障碍が生じること、またそうした人たちが仏道修行を妨げるとされています。

 四 魔

 四魔とは陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔〈てんじま〉で、『涅槃経』、『大智度論』などに説かれています。
 魔とは、梵語マーラの音写である魔羅の略で、殺者、能奪命者等と訳し、生命を奪ったり、善事をなすことを妨げる悪鬼神、またその用きを言います。
 陰魔とは、蘊魔〈うんま〉、身魔とも呼び、衆生の身心を構成する五陰(万物の構成要素である色・受・想・行・識の五つのこと)により起こる魔のことです。肉体が活発になったり衰えたり、また精神によって起こる魔のことです。
 煩悩魔は、欲魔ともいい、先程の煩悩障と同じく、三毒等の煩悩によって起こる魔のことを指します。
 死魔は、修行者の命が奪われ、修行を継続できなくなる妨げのことです。本来の寿命を正しく全うできなくなることなどをいいます。
 天子魔は、正式には他化自在天子魔といいます。他化自在天子とは、第六天の魔王のことで、これが多くの眷属と共に、仏道の成就を妨げ、精気を奪うことをいいます。第六天の魔王は、権力者等の身に入って迫害、弾圧を加えることもあり、あらゆる障魔の根源とされます。
 この四魔のうち、陰魔・煩悩魔・死魔は修行者の内から起こる魔で、天子魔は外から競い起こるものです。

 三障四魔の原因

 天台大師は『摩訶止観』に、三障四魔が起こる原因について、
 「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る。(中略)随うべからず畏るべからず。之に随えば将に人をして悪道に向わしむ、之を畏れは正法を修することを妨ぐ」(摩訶止観弘決会本中一八五)
と説いています。これは、衆生が成仏をめざして真剣な仏道修行を行っていけば、必ず三障四魔が競い起こるのであり、魔に負けて悪道に堕ちてしまうのではなく、むしろそれに立ち向かい乗り越えていくことが重要であることを説いたものです。その上で『摩訶止観』には、宿業や魔などを観察し一念三千を悟るための方法として、十境十乗観法が説かれます。
 しかし大聖人は、『治病大小権実違目』に、
 「止観の十境十乗の観法は天台大師説き給ひて後、行ずる人無し。妙楽・伝教の御時少し行ず」(御書一二三八)
と、実際に天台の観法を行じ、三障四魔を観察するなどして成仏することはとても難しく、天台大師以降にそれを実践した人はほとんどいなかったことを仰せられてます。末法の衆生には到底適わない修行法です。

 大聖人の御教示

 『摩詞止観』に説かれる三障四魔は、観念修行によって生じるものです。これに対し、大聖人の仏法においてはどうなのかというと、『兄弟抄』には、
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず」(同九八六)
と、末法に正法たる法華経を弘通するならば、必ず魔が競うと述べられた上で、
 「日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(同)
と、大聖人が数々の難に遭い魔が競うのは、まさしく法華経を修行している証拠であり、その御振る舞いを未来に習い伝えて鏡とするように
と、仰せられています。
 また『兵衛志殿御返事』には、
 「凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(同一一八四)
と、三障四魔の出現こそが、正法弘通の証明であること、そして、大聖人が法華経の行者として数多くの難を忍び、また、弟子・檀那が大聖人の激励を受けて障魔を克服し、成仏の相を示したように、衆生が成仏を遂げようとする時には必ず魔が競い起こることを知るべきです。

 三障四魔は必ず打ち破れる

 御法主日如上人猊下は、
 「魔に負けない、たくましい信心を築くためには、月々日々に題目を唱え、折伏を行じ、自行化他の信心を強めていくことが肝要であります。(中略)むしろ障魔を呼び起こし、それを信心の成長のバネとしていくことが大事なのです。
 所詮、信心とは障魔との戦いであります。障魔が出現した時、成長のチャンスであると確信し、喜び勇んで勤行・唱題、折伏に一層励み、決然として障魔を粉砕し、堂々と勝利の道を歩んでいくよう心から願うものであります」(大日蓮八三六号H27.10ー73頁)
と、魔は恐れるものではなく、むしろ魔が生じるような、真剣な勤行・唱題・折伏を行い、魔を粉砕して信心を成長させていくよう教示されています。また、
 「いつも申し上げていることですが、魔は仏様には絶対に勝てないのです。仏様は魔に負けないのです。
 ですから、御本尊様をしっかりと拝していけば、魔に負けることもないのです」(大白法 八二二号3面・大日蓮七八八号H23.10ー25頁)
とも仰せられています。私たちは、三障四魔が生じるような自行化他の信心に励み、さらに三障四魔が生じたならば、真剣な勤行・唱題・折伏によってそれを打ち破っていくことが大切なのです。

 次回は、「五濁」について掲載の予定です

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