大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (55) 大白法1089 令和04年11月16号

四箇格言



 四箇の格言とは、日蓮大聖人御在世当時、日本に流行していた代表的な宗派である、念仏宗・禅宗・真言宗・律宗の四宗を端的に破折された格言で、
 「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊(御義口伝・御書一七二四)
という四句を言います。
 天台大師の『法華玄義』に、
 「法華は折伏して権門の理を破す」(玄会下五〇二)
 「正直に方便を捨てて但無上道を説く。十方の仏土の中に唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」(法華経五六六)
とあるように、法華経は純円一実にして方便のない最高の教えであり、権教方便の余宗が並び立つことは許されず、必ず折伏しなければなりません。そのため大聖人は、諸宗破折の要点として四箇の格言を示され、折伏弘通の旗印とされたのです。

 念仏無間

 「念仏無間」とは、念仏宗(浄土宗)は人々を無間地獄に堕とす宗旨であるということです。
 日本浄土宗の開祖である法然は、『選択本願念仏集(選択集)』において、浄土三部経(無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)以外の一切の教法を捨閉閣抛(捨てよ、閉じよ、閣け、抛〈なげう〉て)せよと説き、末法の衆生は、阿弥陀仏の本願を信じ、極楽浄土への往生を願って、ひたすら念仏のみを修すべきであると専修念仏〈せんじゅねんぶつ〉を説きました。
 師の道善房が五体の阿弥陀仏を造立したことを聞いた大聖人は、兄弟子を通じて師へ向けた御手紙(『善無畏三蔵抄』)で、
 「阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし」(御書四四四)
と念仏無間の厳しい道理を示され、
 「娑婆世界に出現した仏は釈尊のみであり、阿弥陀仏は他土(極楽浄土)の仏である。阿弥陀仏を崇めることは、父を捨てて、伯父を崇める不孝の罪がある(趣意)」(同)
と断じられました。
 また、法華経『譬喩品第三』に、
 「若し人信せずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の仏種を断ぜん(中略)其の人命終して阿鼻獄に入らん」(法華経 一七五)
とあるように、法華経を含む経典を「捨閉閣抛」することは、直ちに法華経を毀謗〈きぼう〉するものであり、阿鼻地獄(無間地獄)に堕ちるほどの罪障を積むことになるのです。

 禅天魔

 禅宗では『大梵天王問仏決疑経』を根拠に、釈尊の真実の教えは、迦葉尊者〈かしょうそんじゃ〉のみに以心伝心されたとし、その悟りは禅宗の開祖・菩提達磨にまで受け継がれたと主張します。
 そして達磨は。
 「教外別伝 不立文字 直指人心 見性成仏」
と説き、「仏の悟りは文字や教説などの言葉を介さずに、心から心に直接伝えられるものである。仏と凡夫の心は本来同一であり、座禅によって自らの仏性を見つめれば、それこそが仏である」と主張しました。
 こうした禅宗の教義について大聖人は『聖愚問答抄』に、
 「謂己均仏の大慢を成せり」(御書 三九七)
と仰せです。つまり、経典にもよらず、そもそも己が仏と均しいなどと考えることは、大増上慢であると批判されたのです。
 さらに大聖人は、『行敏訴状御会通』に、
 「禅宗が天魔波旬〈はじゅん〉(第六天の魔王)の説であるというのは、私の言ではない。仏の遺言である涅槃経に『我が経の外に正法あるなどというのは天魔の説である』と説かれている。経典を認めない教外別伝は、この科〈とが〉を免れることはできない(趣意)」(同 四七四)
と、涅槃経を根拠に、禅宗で説く「教外別伝 不立文字」を天魔の説であると断じられました。これにより大聖人は、人々を誑かす禅宗を「禅天魔」と指摘されたのです。

 真言亡国

 真言宗の空海は、『十住心論』や『秘蔵宝鑰〈ほうやく〉』において、諸経中最高の経典は大日経、第二に華厳経、第三に法華経と、法華経を「第三重の劣」、「無明の辺域」(秘蔵宝鑰)と貶〈けな〉し、さらに、「後に望むれば戯論〈けろん〉と作る」(同)と、大日経に対すれば戯論の法(無意味な法)であると主張しました。
 これに対し大聖人は、御書の随所にその邪義を破折されています。
 その要旨は、
@大日経は、未顕真実の方便教であるにもかかわらず、その大日経をもって法華経を下すのは、謗法の失であり、下剋上・国土亡乱の因縁である(『善無畏三蔵抄』御書四四二・『善無畏抄』同五〇七)
A大日如来は釈尊の分身であり、分身をもって、本体の釈尊を下すのは、天子である父を下して、素性が明らかでない法王を崇めるが如 き僻見〈びゃっけん〉である(『善無畏三蔵抄』御書四四二・『開目抄』同五五四)
等というものです。
 また大聖人が、真言宗を亡国の悪法と仰せられた一番の所以は、承久三(一二二一)年に起こった承久の乱です。この時、朝廷方は真言宗・天台宗の僧侶らに幕府調伏の祈祷を命じましたが、朝廷方は大敗を喫し、日本の王族である後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇は流罪、仲恭天皇は廃帝となってしまいました。
 しかし鎌倉幕府は、蒙古襲来の危機が迫ると、真言宗の僧侶らに蒙古調伏の祈祷を命じ、これについて大聖人は『撰時抄』に、
 「大蒙古を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべし」(御書 八六七)
と、警鐘を鳴らされました。
 このように真言宗は国に災厄をもたらす故、「真言亡国」と仰せられたのです。

 律国賊

 律宗では小乗の戒律を守ることを教えとします。御在世当時、律宗を代表する僧侶に極楽寺の忍性良観かおり、諸国に道や橋を造るなどの慈善事業や、祈祷などを行い、人々に「生き仏」と崇められていました。
 しかし実際の良観は、権力者と結託して陰湿な手段をもって大聖人を陥れ、亡き者にしようとするなど、とても生き仏とはほど遠い人物でした。
 大聖人は『極楽寺良観への御状』に、
 「良観上人(中略)僣聖増上慢〈せんしょうぞうじょうまん〉にして今生は国賊、来世は那落に堕在せんこと必定せり」(同三七六)
と、良観を律宗の代表者とし、その本性を、国賊、堕地獄の者と仰せられたのです。

 仮令強言なれども

 四箇の格言は、非常に強く厳しい言葉のようですが、『善無畏三蔵抄』に、
 「仮令〈たとい〉強言〈ごうげん〉なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり」(同四四五)
とあるように、御本仏大聖人の大慈大悲の御言葉なのです。

  次回は、「摂折二門」について掲載の予定です

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