大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (56) 大白法1091 令和04年12月16号

摂折二門



 摂折二門とは、衆生を正法に導く際の二種類の方法で、摂受門と折伏門の二つをいいます。
 摂受とは摂引容受〈しょういんようじゅ〉の義で、思想や見解に異義があってもそれを容認しつつ、次第に正法に引き入れることです。
 折伏とは破折屈服の義で、直ちに邪義・悪見を破り、正法に帰依させることです。
 『勝鬘経』には、
 「摂受すべき機根には摂受し、折伏すべき機根には折伏して令法久住すべきである(趣意)」(趣意・大正蔵12巻217c・新国訳大蔵経如来蔵唯識部1-179)
と説かれ、天台大師の『摩訶止観』には、
 「法華経安楽行品に『経典の悪いところや、人の長所・短所などを人に説いてはならない』(法華経三八八)とあるのは摂受の義。涅槃経で、有徳王や仙予国王が謗法者を武力で対治したのは折伏の義である(趣意)」(止会下719)
と、摂受・折伏の振る舞いについて示されています。ただし、大聖人が示される末法の折伏とは、武力ではなく言葉による折伏です。
 また妙楽大師の『摩訶止観弘決』(止会下720)の意によれば、「四悉檀」〔*1〕のうち、世界悉檀・為人悉檀は摂受、対治悉檀・第一義悉檀は折伏に当たります。

 法華折伏破権門理

 天台大師は『法華玄義』において、
 「法華は折伏して権門〈ごんもん〉の理を破す。(中略)涅槃は摂受にして更に権門を許す」(玄会下五〇二)
と、教法に約して法華折伏・涅槃摂受の立て分けを示しました。
 法華経『方便品第二』に、
 「世尊は法久しうして後 要ず当に真実を説きたまうべし」(法華経九三)
 「如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し」(同一〇三)
とあるように、法華経の妙理を顕わすためには、法華経こそが仏の真実本懐の教えであり、三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)を説く爾前経は、すべて法華一仏乗を説くための方便・権教であるという筋目を明らかにしなければなりません。したがって法華経には、爾前経を権教である≠ニして折伏する意義があるのです。
 それに対して涅槃経は、法華経の得益に漏れた衆生に対して、円教の他に方便の内容である蔵・通・別の三教を雑えて説かれているので、爾前権教の教理を許す摂受の意義があります。

 不軽菩薩の振る舞い

 『法華文句』に、
 「本未だ善有らざれば、不軽は大を以て而して之を強毒す」(文会下四五二)
とあるように、不軽菩薩は、成仏のための根本の下種を受けていない本未有善の衆生に対し、「強毒」したと説かれています。
 「強毒」とは強いて毒を飲ませることで、涅槃経に説かれる「毒鼓の縁」の譬喩と同じく、聞く耳を持たない逆縁の衆生が、たとえ一端は正法誹謗の罪を作ることになったとしても、折伏によって強いて正法を説き、結縁させることを意味します。
 大聖人は『聖人知三世事』に、
 「我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」(御書七四八)
と、自らが不軽菩薩の跡を受け、いかなる難が競い起ころうとも、末法の本未有善の機に対し本因下種の妙法を折伏弘通すると説かれています。また『法華初心成仏抄』に、
 「当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(同一三一六)
と、正法を受持しない者、謗〈そし〉る者、そのいずれもが地獄に堕ちてしまうのであるから、たとえ逆縁による毒鼓の縁になったとしても、折伏を行じなければならないと説かれています。

 末法は折伏正規

 総本山第二十六世日寛上人は、『開目抄愚記』(文段一八三b)教・機・時・国・教法流布の前後の五義に約して、末法は折伏正規であることを御指南されています。
 一に「教」の上からは、法華経は最勝の教えであり、それを弘通するためには必ず諸経の勝劣浅深を明らかにしなければなりません。また大聖人所顕の三大秘法こそ一切衆生成仏の根本の法体であり、それに背くあらゆる教えを折伏しなければならないのです。
 二に「機」については、
 「不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり」(御書七七八)
とあるように、末法の本未有善の衆生は、聞くと聞かざるとにかかわらず、折伏する以外にはありません。
 三に「時」については、『法華取要抄』に、
 「末法に於ては大小・権実・顕密、共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり」(同七三六)
と御教示です。日本一国に逆縁の衆生ばかりの末法にあっては、妙法蓮華経以外の教えに得益はないのです。
 四に「国」をいえば、日本は邪智・謗法の者が充満する破法の国であるため、折伏を前面に立てなければなりません。
 五に「教法流布の前後」に約せば、正法・像法時代に弘められた爾前迹門の経教を折伏して、末法適時の三大秘法を弘通することが大聖人の正意となります。
 以上の五義により、末法は折伏正規であることが明らかです。
 大聖人は折伏の大事について『如説修行抄』に、
 「今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵〈かたき〉と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には 法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良〈まこと〉に故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり、よいに鳴くは物怪なり」(同 六七二)
と御教示されるように、末法今時は折伏をもって正法を弘通しなければならず、謗法を容認するような摂受の姿があっては、仏法の利益を受けることはできないのです。
 宗教の正邪が入り乱れ、混沌とした世相を見る時、私たちは「今こそ折伏の時」との決意を固め、行動を起こしてまいりましょう。

*1四悉檀とは、仏の説法を次の四種に分類したもの。
 @世界悉檀 世間の人の欲するところに従って法を説くこと
 A為人悉檀 衆生の能力・性質などに応じて法を説くこと
 B対治悉檀 悪を対治して断ずること
 C第一義悉檀 第一義である真実の法を直ちに説き衆生に真理を悟らせること

  次回は、「四信五品」について掲載の予定です

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