大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (58) 大白法1095 令和05年02月16号

三周説法

〈さんしゅうのせっぽう〉



 三周説法とは、釈尊が法華経の会座に来集した声聞に対し、開三顕一の法門を理解させるために、法説周(『方便品第二』〜『譬喩品第三』前段)・譬説周(『譬喩品第三』中段〜『授記品第六』)・因縁説周(『化城喩品第七』〜『授学無学人記品第九』)という三周(三回)にわたり繰り返し開三顕一を説いたことを指します。
 法華経以前の爾前経では、声聞・縁覚・菩薩に対し、それぞれに異なった修行法と悟りがあるとされていました。これを三つの乗り物になぞらえて三乗と言います。そのうち特に、声聞・縁覚(二乗)の者は、絶対に成仏することができないとされていました。
 これに対し釈尊は法華経『方便品第二』において、仏の真実の説においては、二乗や三乗といった違いは存在せず、ただ法華経による一つの道・一仏乗しかないと説かれました。このように、法華経において三乗を開いて一仏乗を顕わすことを、開三顕一と言います。
 しかし、小乗の低い悟りに満足していた声聞には、ただちに開三顕一を理解できない者が大勢いたため、釈尊は、衆生の上根・中根・下根の機根に合わせて法説周・譬説周・因縁説周という三つの面から開三顕一の法門を説かれたのです。この三周説法を受けた声聞を三周の声聞と言います。

 法説周

  『方便品』の冒頭、私たちが朝晩の勤行でも読誦する略開三顕一(略して開三顕一を明かす段)には、
 「仏の智慧、仏の悟りは難解難入であり、声聞・縁覚等の者には到底理解できるところではない。それ故に、種々の因縁、種々の譬喩、無数の方便を説いて衆生を導いてきた。
 しかし、仏の成就した悟りとは、第一希有難解の一法のみであり、それは唯仏与仏〈ゆいぶつよぶつ〉の諸法実相である(趣意)」(法華経 八八)
と、仏は諸法実相・一念三千という深い悟りを得て、それを衆生に理解させるために方便を交えた様々な教えを説いてきたのであると述べ、その上で初めて、真実の悟りである諸法実相の内容を説かれたのです。
 これに続く『方便品』の広開三顕一(広く開三顕一を明かす段)には、
 「仏は衆生を一仏乗に導くため、方便力(衆生を臨機応変に導く智慧の力)によって、分別して三乗を説いた。しかし、三乗はあくまで一仏乗に導くための手立て、方便であり、真実には一仏乗しか存在しない(趣意)」(同 一〇五)
等と繰り返し開三顕一の法門が説かれました。そしてついに『譬喩品第三』の冒頭で舎利弗は、
 「この未曽有の法門を聞いたことで踊躍歓喜し、諸の疑惑を断じました(趣意)」(同 一二八)
と一仏乗への領解を述べ、これに対し釈尊は舎利弗に、未来に華光如来になるという成仏の記別(仏が弟子の未来の成仏を予言し記すこと)を授けたのです。
 この『方便品』の広開三顕一より『譬喩品』前段の舎利弗の授記までが、法説周です。その対告衆は上根の舎利弗です。

 譬説周

 譬説周とは、法説周の説法を聞いてもなお、一仏乗に疑いを持つ声聞に対し、開三顕一の内容をさらに譬喩をもって説き明かすものです。その対告衆は、中根の須菩提〈しゅぼだい〉・迦旃延〈かせんねん〉・大迦葉〈かしょう〉・目連〈もくれん〉という四大声聞です。
 『譬喩品第三』の中段からは、「三車火宅の譬」が説かれます。
 「三車火宅の譬」とは、ある長者が、火事に気づかずに燃え盛る家で遊ぶ三人の子供を救出するため、三人が好む羊車・鹿車・牛車を与えることを約束して火宅から逃げ出させ、その後に三車よりもさらにすばらし大白牛車書を三人それぞれに与えたという話です。
 この譬えの三人の子供は釈尊教化の衆生、子供が遊ぶ火宅は衆生の暮らす三界、羊車は声聞乗、鹿車は縁覚乗、牛車は菩薩乗、大白牛車は一仏乗の法華経に譬えられます。
 この未曽有の法門を聞き、仏子であることを自覚した四大声聞は『信解品第四』において、迦葉が代表して自らの領解を譬えを用いて述べます。それは「長者窮子〈ぐうじ〉の譬」といい、長者の父と、父のことを知らずに流浪困窮していた子供の話で、子供が父の導きによって、親子であることを自覚するという話です。父は仏、子供は声聞に譬えられます。
 これを受けて釈尊は『薬草喩品第五』において「三草二木の譬」を説いて仏は一切衆生を平等に利益することを示し、さらに『授記品第六』では、四大声聞それぞれに成仏の記別が授けられました。

 因縁説周

 最後の因縁説周とは、過去三千塵点劫の昔より現在までの釈尊と衆生との因縁を説くことによって、釈尊が過去世より一貫して、衆生を一仏乗たる法華経に導き入れようとされてきたことを明かすものです。
 『化城喩品第七』で釈尊は、自らが三千塵点劫の昔に現われた大通智勝仏の十六番目の王子であり、その時法華経を説いて教化した衆生が、今の法華経の会座に連なる衆生であるという、遥か過去世からの因縁を説き明かしました。
 これにより下根の衆生もようやく開三顕一を理解し、続く『五百弟子受記品第八』では、富楼那〈ふるな〉と五百の声聞、さらにその場にいなかった七百人の声聞にも記別が与えられ、声聞は自らの領解を「貧人繋珠の譬」として述べます。「貧人繋珠の譬」とは、三千塵点劫の昔に受けた下種を忘れていた自らを、無価の宝珠を衣の裏に持ちながら困窮していた人に讐えるものです。
 さらに、『授学無学人記品第九』で釈尊は、身近に長く仕えてきた阿難と羅●(目+候)羅〈らごら〉、さらに二千人の弟子たちにも記別を与えました。
 このように、釈尊は開三顕一の法理を徹底し、三乗の機根を漏れなく一仏乗に導かれたのです。三周説法によって、声聞・縁覚の二乗に成仏の道が開かれたことを二乗作仏と言います。

 真の成仏は本門による

 法華経迹門(前半十四品)で、諸法実相・一念三千という仏の悟りを聴聞し、自らが仏子であることを自覚し、釈尊より成仏の記別を受けた声聞でしたが、迹門における釈尊はあくまで始成正覚〔※1〕の仏であり、その時点での声聞は、釈尊の久遠の本地についても、師弟常住による三世永遠の生命についても理解できていませんでした。仏の本地、悟りの淵源となる久遠の開顕がなければ、二乗の成仏は根無し草のように不確実なものとなってしまいます。
 『開目抄』に、
 「いまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず」(御書 五三六)
とあるように、一切衆生の真の成仏は、本門『寿量品』の発迹顕本、すなわち仏が久遠の本地を開顕することで初めて確実なものとなるのです。

 〔*1〕始成正覚 「始めて正覚を成ず」と読む。インド出現の釈尊が十九歳で出家してからの修行によって始めて成仏したと見ること。釈尊の成仏は遥か久遠に遡るにも関わらず、それが隠れている状態。

 次回は、「悪人成仏・女人成仏」について掲載の予定です

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