大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (61) 大白法1103 令和05年06月16号

三国四師




 三国四師とは、インド・中国・日本の三国において法華経を正しく弘通した四人の意で、インドの釈尊、中国の天台大師(智)、日本の伝教大師(最澄)と宗祖日蓮大聖人の四人を指します。
 大聖人は『顕仏未来記』に法華経『薬王品第二十三』の、
 「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経 五三九)
との経文を挙げ、悪魔・魔民が蔓延り恐怖悪世と言われる末法にあっても、必ず法華経の正義は広宣流布されるとし、釈尊が説かれた法華経は、像法時代の天台大師・伝教大師を経て末法に伝えられてきたことを述べられます。そして、
 「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と 号〈な〉づく」(御書 六七九)
と、安房国の日蓮もまた、釈尊・天台大師・伝教大師の後を受け、法華経を正しく弘通する者であるとの自覚を「三国四師」と示されたのです。

釈尊と天台大師・伝教大師の内証

 申すまでもなく、インド出現の釈尊は、久遠より衆生を化導してきた法華経の教主であり、法華経『神力品第二十一』では別付嘱として地涌の菩薩に対し、『嘱累品第二十二』では総付嘱として迹化他方の菩薩〔*1〕を含む一会の大衆に対し、それぞれ法華経を付嘱されました。
 中国隋の時代に活躍した天台大師は像法時代の人師です。この時は南三北七といわれる十流の仏教学派が、それぞれ自分の教えこそ第一であると主張していました。
 天台大師は五時八教の教判によって釈尊の正意が法華経にあることを明瞭にし、また法華経に基づく一念三千の法門を説きました。中国天台宗第二祖の章安大師が残した天台大師の伝記『隋天台智者大師別伝』によれば、天台大師が師匠である南岳大師のもとで修行に励んでいたとき、南岳大師は、
 「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追うところ今また来たれり」(大正蔵五〇巻一九一c)
と、かつて霊鷲山で法華経を同座聴聞した因縁によって、今また出会うことができたと喜んだといいます。この意味するところは、南岳大師は観音菩薩、天台大師は薬王菩薩として、霊鷲山における法華経の会座に連なっていたことを示唆したもので、すなわち天台大師は薬王菩薩の再誕として『嘱累品』の総付嘱を所持する立場にあるのです。
 天台大師は自身の内証に基づき、像法時代に法華経の正義を説かれましたが、末法に別付嘱を所持する地涌の菩薩が出現することを知っていました。そのため、
 「後五百歳まで遠く妙道に沾う」(文会上三八)
と、地涌の菩薩による後五百歳(末法)の利益を確信し、讃歎しているのです。
 次に日本の伝教大師は、像法の末に出現して、奈良の仏教各宗(三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗)を破折し、中国から正統な天台仏教を伝えて、比叡山に天台法華宗を開くと共に、法華経の意義に基づく大乗戒壇を建立しました。『義浄房御書』に、
 「伝教大師は天台の後身」(御書六六八)
とあるように、大聖人は伝教大師の内証を、天台大師の後身として法華経の正義を宣揚した正師と見ておられました。
 伝教大師の『守護国界章』に、
 「正像稍過ぎ已りて末法太〈はなは〉だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」(伝全二巻三四九)
とあるように、伝教大師も天台大師と同じく、末法に地涌の菩薩の利益があることを拝信しており、いよいよその時節であるとして、末法の到来を願っているのです。
 釈尊・天台大師・伝教大師は、いずれも末法の法華経弘通を地涌の菩薩に託し、大聖人も「三師に相承」すると、それに応じる意思を示されています。

末法の御本仏日蓮大聖人

 大聖人は『顕仏未来記』に、
 「時代を以て果報を論ずれば、竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るゝなり」(御書六七五)
と、末法に法華経を弘通する自らの果報は天台大師・伝教大師にも勝る特別なものであると仰せられています。
 この意味は、末法に法華経を弘通するのは、『神力品』の別付嘱を所持する地涌の菩薩であり、その立場は、総付嘱しか受けていない迹化他方の菩薩(天台大師・伝教大師)とは全く異なっていることを示しています。
 総付嘱とは法華経の会座に連なるすべての大衆が受けた付嘱で、それを受けた人は、釈尊の化導を助けるため像法時代までに出現します。
 これに対し、別付嘱は結要付嘱ともいい、要を結んで、法華経の全分一切を地涌の菩薩のみに別して付嘱するものです。したがって、別付嘱所持の地涌の菩薩が一度末法に出現すれば、衆生を救済する教主は釈尊から地涌の菩薩へと一大転換されるのです。
 法華経『勧持品第十三』には、末法の法華経の行者には、三類の強敵による迫害があり、『神力品第二十一』には、末法に出現する地涌の菩薩は、正法を弘めて日月の光明のように衆生の闇を滅するとも説かれています。
 大聖人は「大難四箇度、小難数知れず」といわれる数々の難を忍び、自らが法華経の行者であり、地涌上行菩薩の再誕であることを証明されます。特に文永八年九月十二日夜半の竜口法難では、処刑場に据えられ、今まさに頚を切られようとしたところに光り物を現じてこれを退け、久遠元初自受用身としての本地を顕わされました。
 確かに法華経の系譜からは、釈尊・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人という三国四師の流れがありますが、内証の上からいえば、日蓮大聖人は上行菩薩の再誕であるのみならず、末法万年の衆生を利益する下種本因妙の教主、御本仏であり、その立場は全く異なることを理解しなければなりません。

「天台・伝教にもこへよかし」

 『種々御振舞御書』に、
 「法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり。わたうども〈和党共〉二陣 三陣つゞきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし」(同一〇五七)
とあるように、大聖人は一切衆生成仏の大法として「妙法蓮華経の五字」すなわち大漫荼羅御本尊を建立され、それを受持する和党共(我が門流の者)が、二陣、三陣と続いて迦葉・阿難や天台大師・伝教大師をも超えていくべきであると御教示されています。
 私たちは、地涌の菩薩の流類であり、大聖人の後陣であるとの自覚のもと、いよいよ折伏弘通に励んでまいりましょう。

〔*1〕迹仏に教化を受けてきた菩薩、あるいは他方の国土より集って来た菩薩のこと。これらの菩薩は『寿量品』を説く本仏との結縁が浅いとされる。

 次回は、「定業・不定業」について掲載の予定です

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