大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (62) 大白法1105 令和05年07月16号

定業・不定業




 業とは

 業とは、造作・所作などの意で、人が身・口・意によってなす一切の行いを指します。加えて仏教では、業に善因善果(善い行いによっ善い果報を得ること)・悪因悪果(悪い行いによって悪い果報を受けること)の報いがあり、業因は種として命に蓄えられ、種が熟したしかるべき時に、その業報(業による報い)を受けると説かれます。
 つまり、私たちは常に過去世・現世に積んだ善悪の業報を受けると共に、今現在も、善と悪の業因を積みながら生きているのです。

 三時業と定業・不定業

 業報を受ける時期が定まっていることを定業(決定業〈けつじょうごう〉)といいます。これに対して業報を受ける時期が定まっていないことを不定業、または順不定受業といいます。
 定業には、報いを受ける時期に次の三種の異なりがあるとされ、これを三時業といいます。
@順現業
 順現受業ともいいます。現世で作った業の報いを現世のうちに受けることです。
A順生業
 順次生受業ともいいます。現世で作った業因によって来世に報いを受けることです。
B順後業
 順後次受業ともいいます。現世で作った業因によって来々世以降に報いを受けることです。
 大聖人は『一代五時図』(御書四九四)に、仏教で重たい罪とされる十悪・五逆罪を犯した者は「一業引一生〈いちごういんいっしょう〉」(一業は一生を引く)、謗法を犯した者は「一業引多生」(一業は多生を引く)の報いを受けると示されます。
 「一業引一生」とは、一つの業によって一生の報いを受けるという意味です。十悪・五逆罪は重罪ではありますが、一生の報いで二生三生には及ばないということです。
 これに対して謗法の罪は、十悪・五逆罪よりもはるかに大きいため「一業引多生」となり、何度生まれ変わっても、そのたびに悪道に堕ち、苦しみの報いを受けなければならないとされます。また『開目抄』には、
 「順次生に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり」(御書 五七一)と、来世以降に地獄に堕ちることが確実な一闡提人(仏法の道理を否定する者。正法を信じないために救われることが不可能な人)の謗法者は、現世における罰の現証が現われないこともあると示されています。
 いずれにせよ業には軽重があり、軽業の報いは「不定業」となりますが、重業には重い報いがあるため逃れることができず「定業」となるのです。

 定業も亦能く転ず

 不定業は軽業の報いであり、信行の功徳によってそれを転ずることも多くあります。一方で謗法などの重業を転ずることは容易ではありません。しかし、妙楽大師の『文句記』には、
 「若し其れ機感厚なれば定業も亦能く転ず」(法華文句記会本下五四〇)
と、仏道修行に励んで仏の大慈悲を蒙るならば、定業の報いすら転じることができると示されています。
 大聖人も『可延定業御書』に、
 「病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医に値ひて急に対治すれば命猶存す。何に況んや軽病をや。業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや」(御書七六〇)
と、たとえ重病でも善い医師により直ちに処置すれば命を取り留めることができるように、不定業は言うに及ばず、定業さえも信行によって消滅できると教えられています。
 過去に真言宗を信仰していたが田乗明か病になった時、大聖人は、
 「宿縁の催す所、又今生に慈悲の薫ずる所、存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に、未来の苦を償ひ現在に軽瘡出現せるか」(同 九一三)
と、大聖人に知遇した宿縁や仏の慈悲によって、未来に受けるべき重苦を今生に軽い病として受けることができると仰せです。このように仏道修行の功徳によって重業の報いを今世に軽く受けることを転重軽受といいます。

 定業を転ずる現証

 妙法の大功徳により定業を転ずることができた現証として、『可延定業御書』には、阿闍世王や不軽菩薩の故事、そして大聖人の母・梅菊女が寿命を延ばしたこと等が挙げられています。
 第一に阿闍世王の故事とは、阿闍世王が五逆罪の一つである殺父を犯し、現身に悪瘡を生じ、死後に地獄に堕ちると恐怖におののいていた時、釈尊に帰依して法華経の会座に列なることにより心身の病を癒し、四十年の寿命を延ばしたというものです。
 第二に不軽菩薩の故事とは、法華経『不軽品』に、
  「更に寿命を増す」(法華経 五〇一)
と説かれるように、不軽菩薩が修した但行礼拝の功徳により、六根清浄の果報を得、さらに定業である自身の寿命を二百万億那由他歳も延ばしたことをいいます。
 第三に母の延命とは、文永元(一二六四)年の秋、母の病の報せを聞いた大聖人が帰郷され、
 「日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり」(御書 七六〇)
と、御祈念により母の病気を快癒させ、四箇年の寿命を延ばされたことです。

 南条時光の病気平癒

 大石寺開基檀那である南条時光は、二十三歳の時にたいへんな重病に見舞われます。その翌年の弘安五(一二八二)年二月、大聖人は南条時光の近くにいた日興上人のもとに御秘符や特別な手紙を送られ、また大聖人自身も、身延の地より病気平癒の御祈念をなさったことが伝えられています。御秘符の送り状である『伯耆公御房消息』には、
 「なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわう〈閻魔王〉たすけさせ給へと御せいぐわん候」(御書 一五八九)
と、たとえ定業によって定められた死期が訪れていたとしても、日蓮に深く帰依する南条時光には、今生での役目が残っているため、閻魔王に寿命を延ばすよう請願していると仰せられます。そして『法華証明抄』では、
 「鬼神めらめ此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか」(同 一五九一)
と、南条時光の寿命を奪おうとしている鬼神に対し、鬼神らよ、三世十方の諸仏の大怨敵になるのか、と呵責する手紙を認め、この書を、日興上人に南条時光の側で読み上げさせたのです。この結果、南条時光は重病を治し、後に身延を離山した日興上人に大石寺を寄進するという、仏法上の重大な使命を果たされました。
 私たちは、不定業のみならず定業をも転じた数々の例に、確信を深め、「日蓮に志深き者」として、一人ひとり今生の使命を全うしていけるよう、自行化他の信心に励んでまいりましょう。

  次回は、「第三の法門」について掲載の予定です


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