大白法 仏教用語解説

  仏教用語の解説 (63) 大白法1107 令和05年08月16号

第三の法門




 「第三の法門」とは、大聖人が『常忍抄』の中で、
 「法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分佳節の事に三つの様有り。日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へしなり」(御書 一二八四)
と、大聖人が末法に弘通する「日蓮が法門」は、天台大師・伝教大師も明確には説かず末法に譲られた「第三の法門」であると述べられていることに由来する言葉です。
 この中の「当分跨節の事に三つの様有り」につき、当分とはその分節内に限って義を論ずること、跨節とは節を跨いで一重深い法門を顕わすという意味で、「日蓮が法門」を顕
わすために、三重の相対判釈があるということです。

 日蓮が法門は第三の法門

 総本山第二十六世日寛上人は第三の法門について『三重秘伝抄』に、
 「一には爾前は当分、迹門は跨節、是れ権実相対にして第一の法門なり。
 二には迹門は当分、本門は跨節、是れ本迹相対にして第二の法門なり。
 三には脱益は当分、下種は跨節、是れ種脱相対にして第三の法門なり。此れ則ち宗祖出世の本意なり、故に『日蓮が法門』と云うなり。今『一念三千の法門は但文底秘沈』と曰う、意此に在り」(六巻抄 八)と御教示です。
第一 権実相対
 権教(権りの教え)である爾前経と実教である法華経との相対で、爾前経は法華経を説くための方便であり、法華経が勝れるという判釈。
第二 本迹相対
 法華経迹門(前半十四品)と本門(後半十四品)との相対。法華経迹門の釈尊は、始成正覚の垂迹仏で、悟りである一念三千の実体や衆生の成仏も明確ではなく、有名無実(名のみ有って実無し)・本無今有(本無くして今有る)の失があった。これに対し、本門の釈尊は『寿量品』で久遠五百塵点劫の本地を開顕し、娑婆世界が常住の浄土であり、久遠以来娑婆世界において師弟が常住していることを説いた。一切衆生が仏と共に三世永遠であることを説く本門が、迹門に対して勝れるという判釈。
第三 種脱相対(第三の法門)
 釈尊の脱益仏法と、日蓮大聖人の『寿量品』文底下種仏法との相対。
 インド出現の釈尊は『寿量品』の文上において、五百塵点劫の本地を開顕し、釈尊在世の衆生を得脱(成仏)させた。この得脱の利益を脱益と言う。
 これに対し日蓮大聖人は、『当体義抄』や『総勘文抄』において、『寿量品』の文底には、久遠五百塵点劫の当初(久遠元初)に、凡夫の位より即身成仏を遂げた久遠元初自受用身と、その悟りである事の一念三千の妙法蓮華経があることを説示され、一切衆生は久遠元初の妙法蓮華経を下種されることによってのみ成仏できることが明かされた。日蓮大聖人は外用上行菩薩、内証久遠元初自受用身の再誕として、一切衆生に妙法蓮華経を下種すべく、『寿量品』の文底より事の一念三千の当体たる大漫荼羅御本尊を顕わされた。末法の衆生は、大聖人の文底下種仏法によってのみ成仏することができるのであり、釈尊の脱益仏法に対し、日蓮大聖人の下種仏法が一重深く、勝れていることを明らかにする判釈。
 この「種脱相対」が大聖人の「第三の法門」です。

 「第三の法門」についての日蓮宗の誤った解釈

 他門日蓮宗では、この「第三の法門」を、天台の「三種の教相」の第三「師弟の遠近不遠近の相」であると解釈しています。
 「三種の教相」とは、天台大師が『法華玄義』に説いた爾前経と法華経との勝劣浅深を示すための三つの教相判釈です。
第一 根性の融不融の相
 爾前経では、衆生の機根が声聞・縁覚・菩薩の三乗に分別され、それぞれに違う教えが説かれていたが、法華経迹門の開三顕一の説法では、機根には本来三乗の区別はなく、一切衆生が等しく成仏するという一仏乗の法門が説かれた。衆生の根性が融和し、一切衆生に成仏の道が開かれる法華経が、爾前経に対して勝れるという判釈。
第二 化導の始終不始終の相
 爾前経では、種熟脱の三益と化導の始終が説かれず(不始終)、仏の化導の目的と意義が明らかではなかったが、法華経迹門の『化城喩品』では、仏が三千塵点劫の昔に法華経を下種し(下種益)、それ以来機根を調熟し(熟益)、インド出現の釈尊の法華経説法によって衆生を得脱させる(脱益)という化導の目的と始終が明らかとなった。これにより化導の始終を説く法華経が勝れるという判釈。
第三 師弟の遠近不遠近の相
 爾前・迹門の釈尊はインドに初めて出現した仏(始成正覚の仏)で、仏と衆生との関係も、釈尊が伽耶城菩提樹下で悟りを開いて以来の短いもの(不遠近)とされてきた。これに対して法華経『寿量品』では、仏の本地が久遠五百塵点劫にあることが明かされ、仏と衆生の関係も久遠以来の非常に長いもの(遠近)であることが明らかとなった。仏と衆生の真実の関係を説く法華経本門が、爾前・迹門に対して勝れるという判釈。
 以上が天台大師の説く三種の教相です。
 他門流では三種の教相をそのまま大聖人の第一・第二・第三の法門に配当しています。日寛上人は、「三種の教相」は天台大師が述べた法門であり、大聖人が「第三の法門」を「日蓮が法門」と仰せられたことと矛盾すること、大聖人が仰せの「第三の法門」とは、御相伝の上から「種脱相対」の法門であることを、明らかにされました。

 正像未弘の大法

 釈尊が『寿量品』の文底に秘沈した事の一念三千とは、大聖人が末法に初めて御図顕あそばされるところの御本尊であり、正法時代・像法時代に誰も弘める者のなかった大法です。私たちは「第三の法門」によって明らかとなる御本尊を受持し、日々の信行に励むことが大切です。



  次回は、「衣座室の三軌・五十展転随喜の功徳」について掲載の予定です


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