大白法 仏教用語解説 四弘誓願

  仏教用語の解説 (72) 大白法1127 令和06年06月16号

四弘誓願



 菩薩の誓願

 誓願とは「誓いを立てて成し遂げようと願うこと」で、四弘誓願とは、菩薩が仏道修行を発心する時に起こす四種の誓願です。
 声聞・縁覚の二乗は、自らを調え、小乗仏教の最高位である阿羅漢果を得ることをめざしますが、その振る舞いには自利(自らの利益)しかなく、利他(他の者への利益)がありません。
 これに対して菩薩は、上に向かって菩提(成仏)を求め、下に向かって衆生を教化し成仏させようとする、上求菩提(自利)・下化衆生(利他)の願があります。この菩薩の願を四つに開いたものが四弘誓願です。四弘誓願はすべての菩薩が等しく起こす願であることから総願、また広(弘)く一切衆生を対象とする誓願であることから、弘願あるいは弘誓(ぐせい・ぐぜい)ともいいます。

 四弘誓願とは

 法華経『薬草喩品第五』には、
 「未だ度せざる者は度せしめ、未だ解せざる者は解せしめ、未だ安ぜざる者は安ぜしめ、未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしむ」(法華経 二一六)
という、仏の四つの願が説かれています。
 これについて天台大師は『釈禅波羅蜜次第法門』に、
 「四弘誓願とは、一つに、未だ度せざる者を度せしむ。また衆生無辺誓願度という。二つに、未だ解せざる者を解せしむ。また煩悩無数誓願断という。三つに、いまだ安んぜざる者を安んぜしむ。また法門無尽誓願知という。四つに、いまだ涅槃を得ざるには涅槃を得せしむ。また無上仏道誓願成という」(大正蔵四六巻四七六b)
と、『薬草喩品』の四願を、@衆生無辺誓願度、A煩悩無数誓願断、B法門無尽誓願知、C無上仏道誓願成(仏道無上誓願成)の四弘誓願とし、仏道を求めるすべての者は、仏の四願を体し、この四弘誓願によって成仏を求むべきであると説かれています。
 四弘誓願それぞれの意味は次のようになります。
@衆生無辺誓願度(あらゆる衆生を度脱せしめるとの誓願)
 この世界には、数限りない衆生がいますが、それらをことごとく生死の苦しみから成仏の境界へと導いていこうという誓願です。
A煩悩無数誓願断(一切の煩悩を断つとの誓願)
 衆生には数限りない煩悩があるとされますが、それらを断じ尽くそうと誓願することです。
B法門無尽誓願知(一切の法門を学ぼうとする誓願)
 仏の教えは八万法蔵といわれるように、誠に広汎なものですが、それらを修学し尽くそうと誓願することです。
C仏道無上誓願成(仏道を修し、無上の悟りを成就するとの誓い)
 仏の悟りは広く深く、それを得ることは容易ではありませんが、それでも、不退の決意で仏と同じく成仏の境界を得ていこうと誓願することです。
 四弘誓願のうち、基本的には@は利他(化他)、A〜Cは自利(自行)となります。
 四弘誓願は他の経典や論疏にも説かれており、名目には若干の違いがありますが、意味はだいたい同じです。

 四弘誓願と四諦

 天台大師は『摩訶止観』や『釈禅波羅蜜次第法門』などに、四弘誓願が仏教の基本教義である四諦に対応することを説いています。
 四諦の諦とは真理の意で、四諦は四つの真理のことです。
@苦諦 迷いのこの世は一切が苦であること。
A集諦 苦の因が多くの煩悩の集積にあるということ。
B滅諦 煩悩を滅することで、苦を滅し、悟りの境界にいたるということ。
C道諦 悟りの境界に至るためには、八正道などの仏道修行をしなければならないこと。
 このうち、苦と集は迷いの果と因、滅と道は悟りの果と因となります。そして、四弘誓願と四諦は次のように対応します。
 衆生無辺誓願度は、すべての衆生を苦しみから救いたいという誓願なので苦諦に対応します。
 煩悩無数誓願断は、苦の原因が煩悩にあることを理解し、断ぜしめることをめざす誓願なので、集諦に対応します。
 法門無尽誓願知は、成仏の方途を知り、その境界に安住せしめることをめざす誓願なので、道諦に対応します。
 仏道無上誓願成は、仏道によって真実の悟りを得せしめんとする誓願なので、滅諦に対応します。
 二乗は、四諦の真理を自らが悟るのみなので「諦」といいますが、菩薩は自分だけではなく、広く他の衆生の利益をもめざすので「四弘誓願」となるのです。

 末法における四弘誓願とその成就

 さきに挙げた『薬草喩品』には、一切衆生の苦を除き、成仏を得させたいという仏の四願が説かれていましたが、『寿量品第十六』の末尾にも、
 「我常に衆生の道を行じ道を行ぜざるを知って 応に度すべき所に随って為に種種の法を説く 毎に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」(法華経四四二)
とあるように、仏は様々な衆生があることを知り、何とかしてすべての衆生を速やかに成仏させたいと常に願っているのです。
 末法の御本仏である日蓮大聖人は『諌暁八幡抄』に、
 「日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生のロに入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子のロに乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書 一五三九)
と説かれています。
 大聖人は、妙法蓮華経すなわち三大秘法によって、末法の一切衆生を成仏に導くこと、ひたすらこの一事のみを願っておられます。その意義からすると、大聖人の御正意を体する私たちの四弘誓願とは、次のようになると考えられます。
 衆生無辺誓願度とは、一切衆生を慈悲のうえから折伏しようと誓願すること。煩悩無数誓願断とは、妙法の修行によって煩悩をことごとく菩提に転じていくと誓願すること。法門無尽誓願知とは、「一信二行三学」の精神に則り、信を根本として、広大な大聖人の御法門の一分でも体得できるよう誓願すること。仏道無上誓願成とは、御本尊を根本とした仏道修行によって、即身成仏の境界を成就しようと誓願すること、といえるでしょう。
 なかでも『御講聞書』に、
 「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是より外には所詮無きなり」(同 一八六二)
とあるように、衆生無辺誓願度が最も肝要であると御教示されています。衆生無辺誓願度とは、すなわち、「一切衆生を折伏する」という誓願です。
 私たちは大聖人の弟子檀那として、勤行・唱題、折伏・育成の誓願を掲げ、この誓願を果たすため、日々信行学に邁進することが肝要なのです。


 訂正のお知らせ
 二二五号「仏教用語の解説」の 記事中、二段目の後ろから七行目に 内証の寿量品一品二半」とあるのは、正しくは「文上脱益の一品二半」でした。

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