大白法 仏教用語解説 三類の強敵
仏教用語の解説 (73) 大白法1131 令和06年08月16号
三類の強敵
「三類の強敵」とは、釈尊滅後の悪世末法において法華経を弘通する行者に対し、様々な形で迫害を加える三種類の増上慢の敵人をいいます。「三類の敵人」、あるいは単に「三類」ともいわれます。
勧持品「二十行の偈」に説かれる三類
法華経迹門の『法師品第十』以降において釈尊は、自身の滅後に法華経を弘通することの功徳を説き、『見宝塔品第十一』には、
「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」(法華経 三四七)
と、大衆に悪世末法の娑婆世界における法華経の弘通を勧めます。
こうした釈尊による諌勅を受け、『勧持品第十三』では、初めに薬王菩薩等の二万の菩薩が、この娑婆世界における弘経を誓願しました。
次いで五百人の阿羅漢や、八千の声聞たちが、悪人の充満する娑婆世界を避けて、教化しやすい他土(娑婆世界の外の国土)における弘経を誓願しました。
そして次に釈尊は、八十万億那由他の菩薩をみそなわし、言外に悪世末法の娑婆世界における法華経の弘経を勧められ、仏意を体した菩薩たちは、それに応えて娑婆世界における弘経を誓願するのです。その誓願は、四句の偈が一行となり、二十行にわたることから「二十行の偈」といわれます。
二十行の偈には、悪世末法の娑婆世界には増上慢の者たちが蔓延り、法華経を弘通する行者に対して様々な迫害を加えることが示されています。
増上慢とは、悟りを得ていないのに得たと思い込み、慢心を起こす者のことで、妙楽大師の『法華文句記』では、@俗衆増上慢、A道門増上慢、B僣聖増上慢の三種に分類しています。
@俗衆増上慢
仏法に無智な俗人(在家の人)の増上慢で、法華経を弘める行者に対して口汚ぐ罵ったり、刀や杖をもって迫害する者をいいます。
A道門増上慢
出家者(宗教者)の増上慢で、邪智に富み、他人にへつらい、自分の本心を曲げて、法華経の行者に悪心を抱く者をいいます。
B僣聖増上慢
出家者(宗教者)の中でも特に名聞名利や権勢欲が強く、人々から聖者のごとく尊敬されるように振る舞いながら、他人を唆し、権力と結託して法華経の行者を誹謗・迫害する者をいいます。
妙楽大師は、
「第三最も甚だし。後後の者は転〈うたた〉識り難きを以ての故に」(法華文句記会本下七五)
と、三類の第三・僣聖増上慢は、その正体を見破ることが困難であり、最も甚しい敵であると示しています。
「数数見擯出〈さくさくけんひんずい〉」の難
八十万億那由他の菩薩は、三類の強敵による数々の迫害に対し、
「是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む」(法華経 三七七)
と、あらゆる難事を耐え忍び、自らの身命を犠牲にして法華経を説き弘めるとの覚悟を示します。さらに、
「悪口して顰蹙し 数数擯出せられ 塔寺を遠離せん」(同 三七八)
と、法華経の行者は住所をしばしば追われるとあり、菩薩らはこうした難をも耐え忍ぶことを誓願したのです。
大聖人による二十行の偈の身読
法華経の行者が受けるとされる迫害を、仏の滅後に身をもって体現することを「色読」または「身読」といいます。歴史上、法華経の身読を成し遂げられた方は、末法の御本仏・宗祖日蓮大聖人ただ御一人です。『開目抄』には、
「日蓮が日本に誕生しなければ、仏および八十万億那由他の菩薩は大妄語の人になってしまうであろう。すなわち、日蓮以外に誰が『悪口罵詈』や『刀杖瓦石』の迫害を受けているか。また今の世の念仏宗・禅宗・律宗の僧侶らが日蓮を迫害するのは、彼らが道門増上慢だからであり、日蓮の佐渡配流も僣聖増上慢の讒言によるものである。日蓮の伊豆と佐渡の二度の配流がなければ『数々見攬出』の『数々』はどうするのか。この二字は過去に法華経を弘通した天台大師・伝教大師でさえも読んでいない。日蓮一人だけが勧持品二十行の偈を身に当てて読み、仏語が虚しくないことを証明したのである(趣意)」(御書五四一)
と、大聖人御一人が法華経を身読した唯一の行者であり、それによって法華経の真実を末法に証明したことを仰せられています。
大聖人が伊豆配流中に著された『教機時国抄』には、
「三類の敵人を顕はさずんば法華経の行者に非ず。之を顕はすは法華経の行者なり。而れども必ず身命を喪はんか」(御書二七三)
と、自らが法華経を弘通するならば、必ず三類の強敵による難を呼び起こし、将来命を失うほどの難が起きると予見されていました。
これが現実のものとして現われたのが、良観の讒訴により、平左衛門尉頼網によって行われた文永八年九月十二日の竜口法難であり、死と隣り合わせの佐渡配流だったのです。『種々御振舞御書』に、
「日蓮が仏にならん第一のかたうど〈方人〉は景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(同 一〇六三)
と、三類の強敵に擬えて、東条景信・律宗の忍性良観・禅宗の建長寺道隆・念仏宗の道阿弥陀仏・平頼綱・北条時宗等の名前を挙げ、これらの者が日蓮を法華経の行者にしてくれた方人(味方)であると述べられています。
また『下山御消息』には、
「相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば誰を指し出だして経文をたすけ奉るべき(中略)其の第三の強敵は此の者かと見了んぬ」(同 一一四二)
と、良観こそ僣聖増上慢であると断じられています。
三類の強敵を下した末法の御本仏
大聖人は『開目抄』で、三類の強敵を下した法華経の行者が御自身であることを強く宣言されるとともに、『観心本尊抄』(御書六五八)では、末法には『寿量品』の肝要たる「南無妙法蓮華経」を所持する地涌の菩薩が出現することを示されています。
つまり大聖人は、佐渡配流中の『開目抄』と『観心本尊抄』をもって、三類の強敵を下す法華経の行者日蓮とは、末法出現の地涌上行菩薩であり、主師親三徳兼備の末法の本仏であることを示されたのです。
三類の強敵を下すことは御本仏大聖人でなければ到底なしえることではありません。
しかし、私たちが大聖人の弟子・檀那として大聖人の仏法を受持し弘通するならば、必ず難が競い起こります。そうした時、『御義口伝』の、
「妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり」(同 一七六二)
との御教示を思い起こし、難が起こるのは、自らが正法を受持信行していることの証拠であると受け止め、一層の信心修行に励むことが大切なのです。
次回は、「内外相対・大小相対」について掲載の予定です
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