大白法 仏教用語解説 開三顕一

  仏教用語の解説 (81) 大白法1157 令和07年09月16号

 開三顕一



 開三顕一とは、釈尊が法華経を説く以前の爾前経で説いた三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の権法を開き、法華経による一仏乗の真実法を顕わすことです。

 爾前経では二乗は成仏できず

 竜樹菩薩の『大智度論』には、
 「仏法には声聞・縁覚のための小乗法と菩薩のための大乗法がある(趣意)」(大正蔵二五巻二六六c・国訳釈経論部二の三一七)とあり、同じく竜樹菩薩の『十住毘婆沙論』には、
 「一度は地獄に堕ちた者であっても 将来成仏する可能性はあるが、声聞・縁覚になることは菩薩の死であり、絶対に菩薩・仏になることはできない(趣意)」(大正蔵二六巻九三a・新国訳大蔵経釈経論部一三巻一〇三)ともあります。
 すなわち、爾前経で二乗(声聞・縁覚)は永不成仏(永久に成仏することができない)と嫌われ、最終的には自ら灰身滅智(煩悩・身心を滅すること)して無余涅槃という悟りに入るとされてきました。これに対して菩薩は、多くの衆生を導きつつ、自ら修行して成仏を目指すと説かれています。
 このように、二乗と菩薩は求めるものが異なっており、仏が説く法も二乗のための小乗と、菩薩のための大乗とに分かれていたのです。

 四十余年 未顕真実

 インドに出現した釈尊は、成道以来の四十二年間にわたり、様々な教えを説いてきました。
 そして、法華経を説く直前の無量義経で、
 「衆生は、それぞれ性質や欲するところが不同であり、私はそれぞれの衆生の機根に合わせて様々な教えを説いてきた。しかし、今までの四十余年間の説法はすべて方便であり、未だ真実を顕わしてはいない(趣意)」(法華経二三)
と、釈尊自ら「四十余年未顕真実」と述べ、法華経以前の爾前経はすべて方便であるとし、これから説く法華経こそが真実であると示されたのです。

 開三顕一と二乗作仏

 四十余年の説法によって衆生の機根を調え、声聞・縁覚・菩薩の三乗がもはや真実を知るべきであると感じた釈尊は、法華経『方便品第二』において、
 「仏法には本来成仏のための一仏乗しかない。しかし、私は衆生の機根が低いのを見て、一仏乗を分別して三乗を説いてきたのである(趣意)」(同一〇四)
 「声聞および菩薩たちよ、私の説く真実の教えを一偈でも聞くならば、皆成仏することは疑いない。十方の仏土のなかには本来、成仏のための唯〈ただ〉一乗の法しか存在せず、二乗も三乗もない。一切衆生は等しく成仏するのである(趣意)」(同一〇九)
と、三乗の方便を開いて、真実の一仏乗に会入せしめ(開三顕一)、二乗にも成仏の道を開いたのです(二乗作仏)。

 略開三顕一と広開三顕一

 天台大師の『法華文句』には、開三顕一に広・略の二門がある(法華文句会本上五二四)と説かれています。

 ・略開三顕一

 『方便品第二』の冒頭から、
 「是等此の法を聞きたてまつらば 則ち大歓喜を生ずべし」(法華経九九)
に至るまでの半品をいいます。
 そこで釈尊は、仏の悟りは唯仏与仏の諸法実相である、と述べた上で、諸法実相とは、
 「所謂諸法の如是相(中略)本末究竟等」(同九〇)
と、その内容を十如是として示されたのです。これを十如実相といいます。天台大師はこれをもとに「一念三千」を説かれました。
 釈尊は、諸法実相・一念三千を明かし、二乗を含む一切衆生が一念三千の当体として成仏できるという理を示したのです。
 この略開三顕一は、一切衆生の成仏の根拠を示す重要な内容ですが、二乗は自らが成仏できないと深く思い込んでその考えに執着しており、続く『方便品』の長行〈じょうごう〉から七品半にわたって、広開三顕一の説法が行われるのです。

 ・広開三顕一

 方便品の略開三顕一で説かれた十如実相・一念三千は不可思議であり、声聞は明確に領解することができませんでした。そこで舎利弗が、さらに真実の開顕を請願し、それに対して広く分別して説かれるのが広開三顕一です。
 この広開三顕一は『方便品』長行の、
 「爾の時に世尊、舎利弗に告げたまわく」(同九九)
から『授学無学人記品第九』(同三一七)までの七品半にわたります。

 三周の説法

 三周の説法とは、釈尊が開三顕一を衆生に領解せしめるために設けた説法の儀式です。
 三周とは、開三顕一を、法説周・譬説周・因縁説周の三回にわたって、繰り返し説くことです。
 初めの法説周は、『方便品第二』と『譬喩品第三』の冒頭までで、一切衆生には本来、仏知見が具わり、仏は衆生にそれを開き、示し、悟らせ、入らしめる(四仏知見)、という一大事因縁によって出現したということ等が説かれます。
 上根の舎利弗は、釈尊の説意を理解して諸々の疑惑を断じ、『譬喩品第三』の冒頭で成仏の記別を受けます。
 次の譬説周は、『譬喩品第三』から『授記品第六』までで、未だ一仏乗に疑いを持つ声聞に対して、『譬喩品』において「三車火宅の譬」が説かれ、中根の四大声聞(須菩提・迦旃延・迦葉・目連)は、自らの領解を『信解品第四』において「長者窮子の譬」として述べます。これらを受けて、四大声聞は『授記品』で成仏の記別を受けたのです。
 そして、最後の因縁説周は『化城喩品第七』から『授学無学人記品第九』までで、下根の衆生に対し、過去三千塵点劫の昔からの、釈尊と衆生との因縁が説かれます。
 『化城喩品』では、釈尊が過去に大通智勝仏の十六王子として出現し、それ以来、衆生を一仏乗たる法華経に導き入れようとしてきたという、化導の目的が明かされます。
 これを受けて『五百弟子受記品第八』では、富楼那〈ふるな〉と五百の声聞、さらに七百の声聞にも記別が与えられ、声聞は自らの領解を「貧人繋珠〈びんにんけいじゅ〉の譬」として述べます。さらに『授学無学人記品第九』では、釈尊に近侍してきた阿難や釈尊の子である羅●(目+侯)羅〈らごら〉、さらに二千の弟子にも成仏の記別が与えられました。
 三周の説法を聴聞して成仏の記別を受けた二乗は、大いに歓喜しました。
 しかし、法華経迹門までの釈尊は、未だ始成正覚の仏であり、久遠の本地を明かしてはいません。
 したがって、開三顕一等の法門も根無し草のようにはかないものであり、本無今有〈ほんむこんぬ〉(成仏の根本はないが仮に今あるとする)、有名無実(成仏の名目のみがあって実がない)の失があるとされます。真実の二乗の成仏は、法華経本門の説法を待たなければならないのです。
 今日、二乗の成仏を説かない爾前経をもとに立てられた仏教宗派はたくさんあります。
 私たちは、法華経のみが一切衆生に成仏の道を開く真実の仏法であることを確信し、折伏に精進してまいりましょう。

  次回は、「三草二木の譬・化城宝処の譬」について掲載の予定です。

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