大白法 仏教用語解説 内鑑冷然 外適時宜
仏教用語の解説(84) 大白法1163 令和07年12月16号
内鑑冷然 外適時宜
内鑑冷然〈ないがんれいねん〉・外適時宜〈げちゃくじぎ〉とは、天台大師の『摩訶止観』第五に、
「天親・竜樹、内鑑冷然たり、外には時の宜しきに適う」(摩訶止観弘決会本中三一五)
とある文の一部です。冷然は●(三水+令)然とも書き、『一切経音義』に、
「冷然、亦解悟の意なり」(大正蔵五四巻七〇三a)
とあるように、仏法の悟りを示す言葉です。
つまり、天親菩薩・竜樹菩薩の内証には仏法の深い悟りが存していたが、外面には時の宜しきに適した教えを弘めた、との意味です。
天親菩薩・竜樹菩薩は、ともに正法時代(釈尊滅後千年以前)にインドにおいて大乗仏教を弘めた代表的な論師です。
竜樹菩薩と天親菩薩
竜樹菩薩は、二世紀頃の生まれで、付法蔵(正法時代の正統な仏法の継承者)の第十三祖に名を連ねる論師です。代表的な著作には、中道を説く『中論』や、大品般若経の注釈書である『大智度論』等があります。その思想の中心は般若経の空や縁起でした。しかし『大智度論』には、
「般若波羅蜜は秘密の法に非ず。法華等の諸経には阿羅漢の決を受けて作仏するを説く(中略)大薬師の能く毒を以て薬となすが如し」(同二五巻七五四b・国訳釈経論部5下280)
と述べ、最も勝れた教えは般若経ではなく、二乗の成仏を説く法華経であり、毒を変じて薬となす甚深秘密の勝れた法であると説示しています。
また天親(世親)菩薩は、四世紀頃に生まれ唯識を大成した人師ですが、その著である『法華論』には、法華経に十七種の名前があるとして、
「最勝修多羅と名づくとは、三蔵の中に於ける最勝妙蔵、此の法門の中に善く成就するが故なり(中略)最上法門と名づくとは、摂の成就の故なり」(同二六巻二b・新国訳大蔵経釈経論部18巻174)
と、法華経は最も勝れた成仏の経であり、無量の法門を摂める最上の法であると説いています。
このように、竜樹菩薩・天親菩薩は、法華経最勝を内に鑑みながら、外には時宜に適した大乗の法を説いて衆生を導いたのです。
天台大師と伝教大師
大聖人は『治病大小権実違目』に、
「天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども」(御書一二三六)
と、中国の天台大師と日本の伝教大師も、像法時代(釈尊滅後千年を過ぎ末法に至るまでの間)に内鑑冷然・外適時宜の化導を行ったと述べられています。
六世紀に中国で誕生した天台宗の開祖天台大師は、仏法が麻縄のようにもつれ乱れていたなかで五時八教判を示し、法華経の正義を立てました。しかし、寿量品文底の久遠元初の妙法については明らかにせず、法華経迹門を面としつつ、『摩訶止観』に理の一念三千の観法を説いて衆生を導いたのです。
また、八世紀に日本で誕生した伝教大師は、天台大師の跡を受け継いで日本に天台法華宗を開き、迹門の戒壇を建立して法華経の正義を闡明しました。
しかし、伝教大師の教えは、法華経を中心としつつも、それ以外の内容も含まれており、摂受の教えであったといえます。
四師(竜樹・天親・天台・伝教)の内証
竜樹菩薩・天親菩薩の内証については、大聖人の明確な御教示はありません。しかし、大聖人は御本尊の相貌に竜樹菩薩、天親菩薩の名前をたびたび記されるなど、その内証を鑑みられています。
天台大師は、師匠の南岳大師に会ったとき「過去世に霊山で法華経を同座聴聞した宿縁によって今また会うことができた(趣意)」(隋天台智者大師別伝・大正蔵五〇巻一九一c・天台宗教聖典2巻1255)と言われたとされ、伝教大師は南岳大師・天台大師を「霊山の聴衆」(伝教大師全集一巻二三二)と記しています。
これは、南岳大師の内証が観音菩薩、天台大師の内証が薬王菩薩であることを示すもので、大聖人は『下方他方旧住菩薩事』において、天台大師とその跡を受けた伝教大師の内証を薬王菩薩と記しています。つまり、天台大師と伝教大師は、迹化他方の菩薩の一人である薬王菩薩として、過去世に釈尊の法華経説法の会座に連なっていたのです。
別付嘱と総付嘱
法華経本門では、仏滅後に法華経を弘通するための付嘱として、別付嘱と総付嘱という、二種の付嘱が説かれています。
別付嘱は、『如来神力品第二十一』において、別して地涌の菩薩に対して、法華経を含む釈尊の仏法の一切を、要を結んで付嘱(結要付嘱)するものです。
これに対して総付嘱は、釈尊の化導を助けるべく、法華経の会座に列したすべての菩薩に対して、分々の仏法を付嘱するものです。
『治病大小権実違目』に、
「天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来たらず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり」(御書一二三六)
とあるように、総付嘱しか受けていない薬王菩薩の再誕である天台大師・伝教大師が出現した像法時代は、いまだ結要付嘱の妙法を弘めるべき時ではなく、それを受けるべき機根がおらず、自身が付嘱を受けていないために、内証にはそれを鑑みながら、末法の地涌の菩薩に弘通を譲られたのです。
故に天台大師は、
「後五百歳まで遠く妙道に沾う」(法華文句記会本上三八)
と、末法における法華経の利益を確信し、伝教大師は、
「正像稍〈やや〉過ぎ已〈おわ〉りて末法太〈はなは〉だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」(伝教大師全集二巻三四九)
と、末法こそが法華経の弘まるべき時節であると述べています。
結要付嘱の妙法とは
釈尊が別付嘱として地涌の菩薩に付嘱し、天台大師・伝教大師が内に鑑みられた結要付嘱の妙法とは、大聖人が『三大秘法稟承事』に、
「所説の要言の法とは何物ぞや(中略)寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり(中略)久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を、寂光の大地の底よりはるばると召し出だして付嘱し給ふ」(御書一五九三)
と示されるように、大聖人弘通の三大秘法であり、三大秘法総在の本門の本尊となります。大聖人が『開目抄』に、
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろめたまはず、但我が天台智者のみこれをいだけり」(同五二六)
と御教示されるように、その大法は、正法時代・像法時代を通じて寿量品の文底に秘沈されたまま誰も弘めることなく、末法の日蓮大聖人が上行菩薩の再誕として初めて寿量品文底より取り出して弘通されたのです。
その上行菩薩の本地は『百六箇抄』(同一六八五)に示されるように、久遠元初の自受用報身如来であり、竜樹菩薩・天親菩薩・天台大師・伝教大師は、末法に御本仏日蓮大聖人が出現し、三大秘法によって一切衆生を救済することを内鑑冷然して、外適時宜の化導を施したのです。
次回は、「貧人繋珠・髻中明珠の譬」について掲載の予定です。
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