大白法1098号 令和05年4月1日より転載

御書解説262 背景と大意

大白牛車書

御書1188頁


一、御述作の由来

 本抄は、建治三(一二七七)年十二月十七日、大聖人様が御年五十六歳の時に認められた御書です。御真蹟は現存しません。
 本抄の系年については、古写本の文末に「十二月十七日」との日付が記されているのみで年号の記載はありません。しかし『刊本録外』では、本抄は建治三年冬の『庵室〈あじち〉修復書』(御書一一八九)の本文に接続されていたことから、建治三年の述作とされています。
 対告衆についても、宛名は不明です。ただし、『庵室修復書』の、
 「さきにうへのどのよりいも二駄、これ一駄はたまにもすぎ」(御書 一一八九)
との記述から、古来、南条時光殿、あるいは南条時光殿に近い九郎太郎へ宛てられた書とされてきた経緯があります。

二、本抄の大意

 初めに、法華経『譬喩品第三』に説かれる「三車火宅の譬え」の、
 「此の宝乗に乗じて直ちに道場に至る」(法華経 一七〇)
の文を引用され、末法の一切衆生救済のため、大聖人様が建長五(一二五三)年三月二十八日に、初めて大白牛車の譬えをもって示された一仏乗の法華経を、末法流布のために付嘱相伝された要法として唱え顕わしたことを述べられます。
 次に、そうであるのに、このことを弁えない諸宗の人師等が大勢、責め集まってきたのである。中でも真言・浄土・禅宗等は、蜂の巣をつついたように大騒ぎして激しく責めてきたことを仰せられます。
 次いで、それら三宗の攻撃に対し、大聖人様が、
 「大白牛車の牛の角〈つの〉最第一なり」
と、法華経が諸経に勝れて超過した最第一の経典であることを掲げ、敢然として真言等の邪義を破折し、闘ってこられたことを明かされます。そして、大白牛の二本の角とは、法華経の本迹二門であり、それは二乗作仏と久遠実成の二箇の大事に当たると仰せられます。
 次に、弘法大師は、この法華最第一の大白牛の角を最第三と下し、さらに法華に限る一念三千や久遠実成、即身成仏の大事の法門をも真言の経(大日経)にあると曲げて主張したことを仰せられます。
 そして、日蓮がこのような謗法の族を責めると、彼らはかえって日蓮を怨敵となして迫害を加えてきたのである。それは、譬えば「角を矯〈た〉めて牛を殺す」(小さな欠点を直そうとして、かえって物事の全体をだめにしてしまう)ような状態に見えるであろうが、どうしてそのようになるであろうか。なぜなら大白牛車というのは、本門と迹門との二門を両輪として、妙法蓮華経の大白牛にかけ、三界(欲界・色界・無色界)の火宅にあって、生死流転に苦悩する衆生を救い出す車である。故に、ただ信心の楔を打ち込み、志の油を注〈さ〉して、南無妙法蓮華経の題目を唱え、速やかに霊山浄土へ参るべきことを教示されます。
 そしてさらに、「心王」を大白牛に譬え、「生死」の二法を両輪に譬えて、伝教大師の「生死の二法は心の不思議な作用であり、物の有無は本覚の真徳である」(牛頭法門・伝全5-59・日本思想大系09-33)との釈、及び天台大師の「『方便品』の十如は諸法の実相の正体であり、大白牛車の譬えでいえはその車体である」(※妙楽大師の止観弘決・止会中283)との釈を援用して、妙法蓮華経を信じて成仏の境界を確立するところに、生死即涅槃の功徳が享受できることを明かされ、最後に、この文釈をよくよく思案して精進すべきことを述べて本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

大白牛車の一乗法華の相伝

 本抄において大聖人様は、
 「日蓮は建長五年三月二十八日、初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり」
と仰せです。「大白牛車」とは、法華経『譬喩品第三』の「三車火宅の譬え」に説かれる白牛の引く大きな宝車のことです。
 「三車火宅の譬え」では、長者が火事を知らずに室内で遊ぶ子供たちを憐み、これを救い出すため門外に羊車・鹿車・牛車を用意したと告げて誘引し、全員に等しく大白牛車を与えたことが説かれます。この羊・鹿・牛の三車は、それぞれ声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗、大白牛車は一仏乗に譬えられ、法華経迹門における開三顕一の理を説き示されています。
 大聖人様は「大白牛車の一乗法華の相伝」の語をもって、上行所伝結要付嘱の妙法弘通を御示しになり、その付嘱の正体である本門寿量文底秘沈の妙法、すなわち事の一念三千の南無妙法蓮華経を、建長五年の宗旨建立において説き顕わされたことを教示されているのです。
 『御義口伝』に、
 「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、大白牛車に乗じて直至道場するなり」(御書 一七三三)
とあるように、大聖人様の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊様を固く信じて自行化他にわたる題目を唱え、慈悲と勇気をもって折伏に邁進することが成仏の上で最も肝要となります。

 諸宗の迫害に屈せず正法を説く

 本抄において大聖人様は、
 「諸宗の人師等雲霞の如くよせ来たり候。中にも真言・浄土・禅宗等、蜂の如く起こりせめたゝかふ」
と、大聖人様を憎み、迫害を加えてくるものとして、真言宗・浄土宗(念仏)・禅宗の三宗を挙げられています。
 『秋元御書』には、
 「日蓮一人、阿弥陀仏は無間の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗持斎等は国賊なりと申す故に、上一人より下万民に至るまで父母の敵〈かたき〉・宿世の敵・謀叛・夜討・強盗よりも、或は畏れ、或は瞋り、或は詈り、或は打つ」(同 一四四八)
と、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊との「四箇の格言」をもって諸宗を破折したが故に万民に怨まれ、数々の法難や迫害に遭われたことを御示しになっています。
 特に真言宗は、一切経の教主である釈尊を捨てて法身仏の大日如来を立てる故に主を殺すものであり、また釈尊の出世の本懐である法華経を諸経中第三の戯論と下し、大日経を第一とする故に主客転倒しています。これは国に二王を立てるに等しく、真言宗によって鎮護国家を祈れば、かえって国の柱を倒して、亡国を招くのです。
 私たちは、「真言亡国」等の四箇の格言をもって邪宗邪義を破折し、どのような大難が競い起ころうともけっして怯むことなく、大聖人様の仰せのままの信行を実践することが個々の成仏と仏国土の建設の上で大事であることを忘れてはなりません。

 「法華最第三」の邪義

 また、大聖人様は、
 「弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし、一念三千・久遠実成・即身成仏(中略)をも真言の経にありとなをせり」
と、弘法(空海)の邪義を示されています。
 真言宗は、大日如来を本尊とし、真言三部経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経を依経としています。
 日本の真言宗の開祖である弘法は、『十住心論』『秘蔵宝鑰』等を著して真言宗を立て、その中で法華経は第三の戯論・無明の辺域であると誹謗し、『寿量品』の釈尊を捨てて大日如来を本尊と立てました。
 また、大日経等の密教と法華経等の顕教とを比較して、密教は大日法身如来が法界宮や色究竟天等において菩薩のために説いた経典であり、法華経等の顕教は二乗のために説かれた経であること、さらに大日経は大日法身の説であり、法華経は釈迦応身の説であるから教主も異なり、また対告衆も異なるので、法華の顕教は大日の密教に遠く及ばず、即身成仏はただ真言に限るとしています。
 しかし、大聖人様が『撰時抄』に、
 「予此の釈にをどろひて一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに、華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論、六波羅蜜経に対すれば盗人、守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候わず」(同 八五六)
と仰せのように、弘法の主張する義は、全く根拠のないことが明らかです。
 さらに、二乗作仏・久遠実成やそれに基づく十界互具・一念三千の法門、また一切衆生皆成仏道の事跡は、法華経のみに説かれるもので大日経等には全く説かれていません。

四、結び

 御法主日如上人猊下は、
 「大御本尊様に対する絶対の確信をもって、一人ひとりがしっかりとお題目を唱え、自行化他の信心に励んでいくところ、必ず誓願も世界平和も達成することができるのであります」(大白法 九八七号)
と御指南されています。
 数年来のコロナ禍をはじめ、貪瞋癡等の煩悩が盛んになり、人心の荒廃、社会の混乱が色濃くなっている今こそ、いよいよ信心強盛に唱題と折伏を実践し、広宣流布大願成就に向け一層精進してまいりましょう。

参考・第三戯論

次回は『実相寺御書』(平成新編御書一一九五)の予定です

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